流し読み

俺にまつわるエトセトラ

海のない街で生まれ育ったせいか、海原に対する強い憧れがある。海がないと言っても、車を2時間程走らせれば北国特有のあの透明感のあまりない、青色の絵の具をそのまま絞ったような海の眺望を眼前に収めることは簡単にできてしまうのだが……。ともかく、僕の中には幼少の頃から、海への憧憬が確かに存在していた。

小学生の時分、家族旅行と銘打って泊まり掛けで海水浴へ出掛けた。8月の陽光に照らされて砂子を蒔いたように煌めく海面が、少年時代の僕の心を躍らせた。磯の香りが鼻を突き、潮風を孕んだシャツのバサバサという音に合わせて、遠くから蝉の声がこだましていた。僕の中での最初の海の記憶はそれである。

毎年夏になると、家族で海へ出掛けた。当然のことながら、そのような経緯を経て僕の中での海は容易に「夏」の枕詞たりえた。冬の海の猛々しさ、厳しさを僕は知らずに育った。それは今でも変わらない。

 

東京湾や横浜、小樽、苫小牧の港を眺めていると万里の波濤を乗り越えてやってくる船の数々は、白浪に身を委ねた鋼鉄の城のようにも見える。身近で船を見ることのない日々を送っていた僕にとっては、船というのはただそれだけで男らしさ、舶来風の(積み荷がどうこうという話ではなく船そのものが、ということ)香り、異国情緒、そして海原の彼方への憧れの象徴であった。船に乗るのが大好きで、公園にあった池のボートを父に漕いでもらうだけで喜んでいた思い出が蘇る。小学生の時に一度だけフェリーに乗った旅路なぞは、朝起きてから飯とトイレに行くとき以外はずっと船尾のデッキから海を眺めていたように記憶している。日本海の潮風を肺一杯に吸い込んで、僕はまさしく海の子になったような心持ちでいた。

小さい頃、家族旅行で沖縄へ行った。まだ春先のことであったが、もう既に海開きがされていて、エメラルドグリーンの色をした海と珊瑚礁銀シャリのような砂浜の向こうに広がっていた。地元では珊瑚などというものはテレビの向こう側でしか見たことがなかったので、幼い僕が興奮したのは仕方のないことではあるまいか。沖縄でも、フェリーの時と同じく、ホテルの近くの砂浜でひたすら海を眺めて過ごしていた。晩飯時になって、母が「部屋に戻りなさい」と呼びに来るまでずっと眺めていた。

 

『われは海の子』という童謡がある。御存知の方も多いだろう。僕はあの歌がとても好きで、今でもよく聴いている。あれを聴いていると、いつでも遥か昔の海の記憶を呼び起こすことができるのだ。山陽本線尾道駅の接近メロディとしてこの歌が使われているらしい。いつか聴きに行きたいものである。

 

来年の夏になったら、また海へ行こうと思う。