流し読み

俺にまつわるエトセトラ

モテない話

モテない。それも尋常じゃなく。彼女ができる兆しは一向にないし、今年で21歳になるのに女性とは未だに上手く話すことができない。どうしても羞恥が先行したり、自分を無理に良く見せようとして自分語りをし過ぎてしまったり、逆に相手に合わせすぎてしまったり……。オタクなのが良くないのかと思ったこともあるが、高校から大学にかけてオタクでも恋人がいるという事例を沢山見るにつれそれは違うなと気付いた。

思春期に異性関連でいい思いができないと、異性との関わり方がわからなくなる。異性との関わり方がわからないので、当然意中の人を口説くこともできない。そうして失敗体験を積み重ねた結果として自信を持つことができず、年齢を重ねても異性の前で常にオドオドとして頼りない、女々しくて情けない男が出来上がるという寸法だ。

根拠のない自信がある人は本当に強いと思う。例えその自信に何の根拠がなくても「自分はすごい、自分はイケてる」というプラス思考が言動にもしっかり現れてくる。自信のある男は頼り甲斐があって男らしく見えるし、自信のある女は美しく可愛らしく見える。俺とは大違いだ。高校の同期やサークルで関わった人にもそういう人間(と少なくとも俺には感じられた。あくまで俺の主観だけど)がいたが、案の定彼ら彼女らはモテていた。

思春期に、根拠のない自己否定感に苛まれていた。成長するにつれて、根拠のない自己否定感は、根拠のある自己否定感へと変わった。自分をより強く否定し、自分をより激しく嫌い、自分の女々しさにより嫌気が差した。今こうして文章を書いていても、改めて自分の根暗さ、陰険さ、神経質さなどが嫌になってきてイライラしている。たぶんこの文章をアップロードしたら、今度はこの文章を見られる恥ずかしさで悶えてまた自分のことがもっと嫌いになるのだろう(ならアップロードしなければいい話なんですよね)。

自分が女性に愛される姿を想像できなくなったのはいつ頃からだろうか。結婚はしたいが、自分が誰かと結婚して家庭を持っている姿がどうしても想像できない。逆に、35歳を過ぎたあたりで慌てて婚活パーティーに出掛けて汗水垂らしている自分の姿は容易に思い浮かぶ。「将来こんな人と結婚したい」みたいな理想の女性像のハードルがどんどん高くなっていることも感じているし、女性に対する考えをますます拗らせていることも日々実感している。ああああああああどうしたらいいのだろう

そもそもブログでこんなにうだうだと自分がモテない話をしている時点でもう相当女々しい。気持ちの悪い男だ。改めて考えなくてもこんな男を好いてくれる女性など存在する訳はないのである。これは動かしようのない事実だ

先日、高校の友達から「彼女がほしいと思ってるうちは彼女なんか出来ない。彼女いらないと思うようになったら俺も彼女ができた」と言われた。早くその境地に至りたいものだ。しかし、彼女が欲しいがために彼女はいらないと自分に言い聞かせるのは自己矛盾を起こしている気がしてまた色々悩んでしまう。もう手がつけられない

今病気で悩んでいること、留年していることも彼女がほしいという感情の重要なファクターになっていると思う。心の拠り所を求めている訳だ。しかし彼女という存在は断じてカウンセラーなどではない。それを忘れてただ寂しいから、憂鬱だから、嫌なことばかりだからという理由でそういった感情の発散先を求めるのは違う気がする。それは相手に失礼だ(こういうことを書くと、高校の友人の某君から「童貞臭い」と言われそうだ)。

こんな捻くれ拗らせた思考でいるから、女性と縁がない日々を送っているのだろう。長生きしたくないと思いながらも死を行動に移さず、かといって生を一生懸命に享受するでもなく、唯ぼんやりと無為な毎日を過ごしている。そんな自分のことがとても嫌いだし、許すことはできない。「考えすぎだよ」とよく言われる。確かにそうなのかも知れない。考えすぎないためにはどうしたらいいのだろうか?と考えると、そこからまた思考の沼の底へと沈み込んでゆく。

もう疲れた。