流し読み

どうでもいいこと

初恋

小学校へ入学した頃のことでした。
たまたま隣の席になった、ユミちゃんという女の子がいました。ユミちゃんはいつもニコニコとしていて、愛嬌のある女の子でした。
ユミちゃんは僕に名前を尋ね、そして「友達になろう」と言いました。僕は当時から、背は高く体は大きいけれど、とても怖がりで人見知りな子供だったので、ただうんと頷くことしかできませんでした。それでも彼女はニコニコ笑って「ありがとう」と言いました。幼稚園時代のことは昔すぎて覚えていないので、今の僕の記憶に残っている一番最初の友達です。
ユミちゃんは勉強がよくでき、運動も得意でした。皆さんも覚えがあるでしょう、小学生の時にクラスに必ず1人はいた、利発で優しい女の子です。彼女が、初夏のグラウンドをクラスメートと駆けてゆく後ろ姿の、日焼けした手足が風車のようにくるくる回る光景を、僕は教室からぼんやり眺めていることが多かったように思います。

僕は勉強はよくできましたが、運動もお喋りも苦手で、ガリ勉だとよくいじめられていました。生まれつき色白だったので、そのことをからかって「お化けだお化けだ」といじめられたこともはっきり覚えています。そのうえ、僕の家は、地域の小さなコミュニティの中ではかなりお金持ちなほうでした。家がお金持ちで、勉強はできるが気弱で運動はからっきしな少年が、いかにいじめられやすい要素を沢山持っているか、皆さんも経験上わかるのではないでしょうか。ユミちゃんは、僕がいじめられているのを見てもその場で助けてはくれませんでしたが(いじめっ子が怖かったのでしょう)、放課後によく慰めてくれ、一緒に遊んでくれました。
たまたまユミちゃんが教科書を忘れて、「ごめん、教科書見せて」と頼まれた時などは、僕はユミちゃんに頼りにされるのが嬉しくて、意気揚々と見せてあげました。幼心に、ユミちゃんとずっと一緒にいられたらいいのになあ、と寝る前にあれこれと妄想しては、幸福な眠りへと旅立ちました。誰しも少年期は、夢見がちなものです。まだ恋というものの意味も理解していない年頃ですが、とにかく一緒にいたいと願っていたのは覚えています。

ある日、ユミちゃんから「児童会館へ行って一緒に遊ぼう」と誘われました。もちろん僕は二つ返事で了承しました。ユミちゃんと遊ぶ時間が、当時の僕にとって一番の憩いの場だったのですから。
しかし、僕は当時、まだ児童会館へ行ったことはありませんでした。児童会館には、僕の知らない年上の子供たちが沢山いると聞いていたからです。怖がりで人見知りの僕は、とても1人で児童会館へ行くことはできませんでしたが、ユミちゃんと一緒なら大丈夫ではないかと思ったのです。
けれども、児童会館へ着いてみると、ユミちゃんは僕の知らない子供たちと元気よく話をし、遊び、僕のことなど存在すら感知していないかのようでした。無理もありません、小学1年生の彼女にとって、一番大事なのは自分の楽しい遊びですから。
僕は児童会館の、手垢で黒ずんだおもちゃや絵本が置いてある片隅に座り込み、1人で大好きな絵本をずっと読みました。普段あんなに大好きで、毎日胸を躍らせながら読んでいたはずの絵本が、その日はちっとも楽しくありませんでした。
やがて真っ赤な太陽が、西方の山のかなたへと沈みだす時刻になりました。僕の家は厳しいので、5時になるまでに帰らなければいけません。ユミちゃんと一緒に帰りたかったけれど、楽しそうに知らない子たちと遊んでいる彼女を隅っこから見ていると、そんなことを言う勇気はとても湧いてきませんでした。ユミちゃんにとって僕は大勢いる友達のうちの一人にすぎないことを自覚させられ、彼女は何も悪いことをしていないのですが、裏切られたような気がしていました。僕は恥ずかしくて寂しくて悲しくて、キラキラ光る瞳で笑い転げる子供たちみんなに笑われているような気がして、涙ぐみながら児童会館の職員さんに絵本を貸してもらったお礼を言い、1人で帰りました。泣いて帰って母に心配をかけるのが嫌だったので、涙はぐっと堪えました。

次の日から、ユミちゃんと教室でどのように接していたか、僕はよく覚えていません。やがて学年が上がるにつれて、僕にも他の友達ができ、ユミちゃんとは話さなくなりました。
中学校に入る時に引っ越し、それ以来小学校の同級生とは会っていないので、ユミちゃんが今どうしているかは全く知りません。

これが僕の初恋です。