流し読み

俺にまつわるエトセトラ

映画「真夜中のカーボーイ」感想

真夜中のカーボーイ」は、1969年公開のアメリカ映画だ。第42回アカデミー賞作品賞を受賞した名作で、監督はジョン・シュレシンジャー、主演はジョン・ヴォイトダスティン・ホフマンが務めている。

いわゆるアメリカン・ニューシネマと呼ばれる作品群の1つで、その中でも特に優れた作品とも言われる名画だが、何が人々をそれほど惹き付けたのだろうか。

先日、Amazon プライム・ビデオでこの映画が配信されていたので視聴してみたが、これほど評価される理由も納得の作品だった。そして同時に、人生とは何か、理想と現実とは何か、まざまざと見せつけられたように思われ、視聴後はしばらく少しブルーな気持ちになった。この映画を観て感じたこと、考えたことを私なりに書いてみたい。

※以下、ネタバレを含む

 

・あらすじ

テキサスの田舎町でレストランの皿洗いをしている主人公のジョー(ジョン・ヴォイト)は、カウボーイに憧れて、毎日テンガロンハットを被ってウエスタンジャケットを着ているような、いわば「ちょっと痛いヤツ」である。田舎でのうだつの上がらない暮らしに嫌気が差していた彼は、ニューヨークでは金持ちの女が男を買っていると聞き、カウボーイを気取る自分ならきっと上手く(今で言うところの)ママ活で稼げるはずさ、と甘い希望を抱いてニューヨーク行きのバスへ乗り込む。

しかし現実のニューヨークでは、女たちは誰もジョーのことなど鼻にもかけず、しまいには騙されて金までふんだくられる始末。打ちひしがれたジョーは、場末の酒場で、汚い身なりをした片足の不自由な小男、ラッツォ(ダスティン・ホフマン)と出会う。ラッツォはジョーに、ママ活するならいい客を紹介するというが、仲介料を払ったジョーがラッツォの紹介で出会った客は宗教に狂うゲイの中年男だった。

騙されて激怒するジョーはラッツォを探し見つけ出すが、金はもうないという。ジョーは泊まっているホテルの宿泊費もいよいよ払えなくなり、見かねたラッツォが自宅に泊める。彼の住んでいる廃墟のアパートの一室で、最初は仲違いしたはずの彼ら2人の奇妙な同棲生活が始まる。

貧困に喘ぎながら、2人は何とかジョーのママ活を軌道に乗せようと四苦八苦するが、全くうまく行かず、何もかも失敗だらけ。いつしか彼らの間には、冷たい大都会のニューヨークでお互いに孤独を埋め合い、つかの間の安息を得る不思議な友情が芽生え始める。

やがて冬が近付くにつれて、ラッツォの体をしだいに病魔が襲うが、病院に行く金もない。高熱にうなされ咳き込むラッツォは、まともに歩くこともできない。ラッツォはジョーに「フロリダへ行こう、フロリダでやり直そう」と夢見心地で呟く。

ジョーは運良く手に入れた金でフロリダ行きのバスのチケットを買い、ラッツォを抱き抱えて乗り込む。フロリダへの道中、病に苦しむラッツォは小便を漏らしてしまう。ジョーはバスの休憩時間に町でラッツォと自分の着替えを買い、そして、それまで着ていたカウボーイの衣装一式を町のゴミ箱に投げ捨てる。

しかし、ラッツォはフロリダに着く間際、息絶えてしまう。ラッツォの亡骸を抱き締めたジョーが、バスの窓に映るフロリダのヤシの並木を、呆然と眺めている顔のアップで、物語は幕を閉じる。

 

・理想と現実、その残酷さ

物語は、ジョーがニューヨークでママ活して金を稼ごうとするところから始まる。このジョーの夢、理想はハッキリ言って愚かで世間知らずとしか言いようがない。今のようにインターネットやSNSのなかった時代だ。テキサスの田舎に暮らすジョーが情報を手に入れる手段は極めて限られているが、だとしても普通は分かりそうなものである。ジョーは根っからのお人好しで騙されやすい、どこにでもいる都会や強い男に憧れる田舎者だ。ジョン・シュレシンジャー監督は、このジョーの純朴さ、愚かさ、甘さ(言い換えれば「子供っぽさ」)を丁寧に描く。それによって、ジョーの抱く甘い愚かな夢が、どこか滑稽で憎めない印象になり、だからこそ後のシーンの残酷さがより際立つ。いわばここが物語の「フリ」になっているわけだ。

ジョーにとっての理想の自分は「ニューヨークでママ活して稼ぎまくり、労せずに金と女と名声を手にして豪勢な暮らしをする自分」である。しかし現実のジョーは、「カウボーイかぶれの痛いヤツで、田舎で冴えない日々を送り、ニューヨークへ出てきても金も女も名声も何一つ手にできない、失敗ばかりの惨めな自分」だ。理想と現実のギャップという残酷さを、この映画は容赦なく描く。アメリカンドリームの末路の惨めさを、これでもかというほど我々に突きつける。

一方のラッツォも、いくら金持ちで女に囲まれた理想を夢見ても、ついに都会の底辺から終生這い上がれない。物語のなかで、ラッツォがフロリダでの幸福な生活を夢見るシーンがあるのだが、その内容は女に囲まれたラッツォとジョーが、太陽の降り注ぐビーチで追いかけっこをして戯れるというものだ。彼の片足は不自由で、いつも片足を引きずって歩いているのに、夢見る理想の中でだけは全力疾走。理想のラッツォがする全力疾走の滑稽さと、足が不自由で病気に冒され、満足に歩くこともできない現実のラッツォとの残酷なコントラスト。おかしみ、愚かさ、絶望、儚い夢が渾然一体となった、とても印象的なシーンだ。

ラストシーンの手前で、ジョーは着替え(普通のシャツとチノパン)を買った後、カウボーイの衣装を捨て、そしてラッツォへ「フロリダに着いたら、仕事を探すよ。女は儲からないしな」と語る。捨てたカウボーイの衣装は、ジョーにとって「理想の自分」の象徴だった。ジョーはカウボーイの衣装を捨てることで、夢や理想と決別し、残酷で退屈な現実と向き合うことを決めたように感じる。理想の自分、言い換えれば身の丈に合わない自分を捨てることで、人は少しずつ大人になっていくのだ。いわばこの映画は、ジョーが大人になるまでを描いた物語だと私は思う。

 

・大都会の孤独と、2人の友情

ニューヨークという華やかな大都会で、ジョーとラッツォはどこまでも孤独な2人として描かれる。頼る身内も友人も恋人もおらず、金もなく、誰にも相手にされず、ひたすら惨めな日々を送る。

2人の友情も、掛け値なしのものかと問われるとそういう感じはしない。私には、どちらかというと依存、蔑み、同情、そして友愛が混ざった複雑な感情に見えた。お互いに大都会での孤独な日々のなかで、他に頼る者がおらず、孤独を埋めるために相手へ依存する。しかしどこかで、「こいつよりはましだな」と相手を蔑んでいる。蔑みつつ、互いの哀れな現実に同情し、そしてそんな相手のどうしようもなさ、愚かさに「しょうがねえヤツだな」と友愛を感じる。矛盾する心情のようだが、そもそも人間の感情というものは、それ自体が矛盾を抱えがちなもので、この独特でアンビバレントな2人の友情の描き方が、とても生々しく、リアルに感じられた。

この映画のメインテーマは、ハリー・ニルソンがカバーした「うわさの男」だ。映画の冒頭でこの曲が流れ、ジョーがニューヨーク行きのバスへ乗る時は、都会で一旗揚げてやろうという意気込みや、まだ見ぬニューヨークへの夢が感じられワクワクするのだが、ラストシーンの手前で流れるこの曲を改めて聴くと、全く違った印象に思える。ジョーは憧れの大都会で何もかも上手くいかず、夢破れて唯一の友も失い、そして誰にとっても「うわさの男」ではなかった。ジョーは、ニューヨークで孤独な日々を送り、そして恐らくマイアミでも「うわさの男」になれない孤独な日々を送るだろう。

 

・「感情」の不思議さ

前の項目でも書いたが、ジョーとラッツォの友情はどこか一筋縄ではなく、依存、蔑み、同情、友愛など様々な感情が入り交じるものだ。これが実にリアルである。人生をふと振り返ると、そういった感情の矛盾を抱えて我々は生きていることに気付かされる。

気ままな独身生活が楽しいのに、どこか家庭を持った友人が羨ましくて、孤独に苛まれるのに誰かと一緒にいるのが煩わしい。逆に家族と過ごす日々が幸せなはずなのに、その存在がふと疎ましく思われ、一人で気楽に生きている友人が羨ましく、でもその疎ましく思ったはずの家族への愛情もまた確かに己のなかにある……。卑近な例を出せば、先に述べたような体験をしたことのある人は少なくないだろう。

そういった、言葉で切り分けられない感情の曖昧さ、矛盾、微妙なグラデーションが、この映画をより名作たらしめている。ただのアメリカンドリームに破れる物語ではなく、夢破れるまでに渦巻く様々な感情を言外に感じさせる演出、そしてジョン・ヴォイトダスティン・ホフマンの凄みすら感じさせる演技、それが「真夜中のカーボーイ」の素晴らしさ、残酷さ、美しさだと思う。

中でも、やはりダスティン・ホフマンの圧倒的な芝居には脱帽である。「真夜中のカーボーイ」の2年前に公開された彼の出世作「卒業」では将来に悩むエリートの若者を清潔に演じたが、この映画では無学で貧乏、不潔なホームレスのラッツォという正反対の役だ。この汚ならしさの見せ方が素晴らしい。ボサボサの長髪で、くたびれたコートをいつも羽織り、顔も髪も脂で鈍くギトギト光っている。このみすぼらしい見た目から、数多の感情のグラデーションを感じさせる表情が次々と生み出される。ダスティン・ホフマンがいかに天才役者であるかは、この映画を観れば身に染みて感じられるだろう。

 

・ラストシーン

真夜中のカーボーイ」のラストシーンは、ラッツォの亡骸を抱き締めたジョーが、バスの窓に映る夕焼けに染まったマイアミの街を呆然と眺めている、というものだ。

このラストシーンの、なんと無残で美しいことか。夢見た理想は何も手に入らず、退屈で残酷な現実に向き合う覚悟を決めてカウボーイの衣装を捨てたのに、唯一の友をマイアミに着く間際に亡くしてしまう。マイアミに向かう前は、ラッツォと「マイアミでは男好きの熟女がいるって言うしな」なんて冗談を言っていたけれど、ジョーはそんなものはいないと心の奥では悟っている。マイアミの街にも、恐らくジョーの理想はない。テキサスの田舎やニューヨークの廃アパートで過ごしていた、冴えない暮らしの焼き直しが繰り広げられるだけだ。そして、彼らの夢破れた無残さと、その破れた夢の欠片が見せる美しさ……。人生の意味、夢というものの儚さ、現実の退屈さ、残酷さ、どうしようもない孤独、後戻りできない時間の流れ、これらが渾然一体となってラストシーンを形作り、それが観る者の胸を打つのだ。

真夜中のカーボーイ」が見せるアメリカの、そして人生の夢と現実。自分の人生にもあった「あの頃」と「今」に思いを馳せる名作を、ぜひ一度観てみてほしい。

「海がきこえる」のリバイバル上映に行ってきた

 スタジオジブリの「海がきこえる」がリバイバル上映されるので、近所の映画館へ見に行ってきた。氷室冴子の原作は『海がきこえる』『海がきこえる・アイがあるから』のどちらも以前読んだのだが、アニメの方を見るのは初めてである。

 この作品のヒロインである武藤里伽子(むとう・りかこ)は、良くも悪くも「ジブリ作品らしくないヒロイン」だ。例えばナウシカやキキのような、好奇心に溢れた純粋で芯の強いヒロインではない。むしろ真逆の、我が儘で気まぐれで、人生に迷い苦悩し続けていて、いつもどこか寂しげな、弱さや危うさを孕んだキャラクターだ。宮崎駿の監督作品ではなく、ジブリの若手集団が作ったアニメであるがこそのヒロイン像だろう。実際、宮崎駿にはこの「海がきこえる」がかなり不評だったようで、「ヒロインが我が儘だし弱い。登場人物も全体的に優柔不断」などと言っていたらしい。
 物語の展開も、ジブリ作品らしいファンタジー要素は全く、一切ない。普通の高校生の目線から、等身大の日々や感情が描かれている。しかしだからこそ、ジブリの中でも異色の作品として、放送から20年以上経った今でも根強いファンがいるのだろう。

 実際、今回初めて観てみて、その物語の美しさ、息苦しさに胸を打たれる思いがした。若さがゆえに、色々なことが許せなかったり、思っていることと口に出ることと奥底の本心がぜんぶバラバラになっていたり、ちぐはぐで危うくて飾らない心模様がそこにはあった。

 

・物語の内容

 原作とアニメではストーリーにいくつか違いはあるが、今回はアニメを見に行った話なので、アニメに準拠して、以下に私が観た限りのあらすじを記載する(以下、ネタバレ注意)。
 物語の主人公は、都内で暮らす大学生の杜崎拓(もりさき・たく)だ。拓は、夏休みに地元の高知で行われる高校の同窓会へ参加するため、高知行きの飛行機へ乗る。機内で拓は、高校時代のほろ苦い記憶を辿り始める。

主人公の杜崎拓

 高校時代、拓には隣のクラスの松野豊(まつの・ゆたか)という、クラス委員を務める親友がいた。拓は松野の物の考え方や芯の強さに敬意を抱いており、拓にとっては最も大切な親友だった。

拓の親友・松野

 高校2年生の2学期、松野のいる隣のクラスに武藤里伽子という女子が東京から転校してくる。里伽子はひときわ目を引く美人で、スポーツも勉強も得意だったが、他の生徒からのやっかみや本人の我が儘で屈折した性格もあり、学校にはなかなか馴染めない。そんな里伽子に松野は徐々に惹かれていくが、拓にとって里伽子は「松野が好意を寄せている転校生」というだけの存在だった。

ヒロインの武藤里伽子

 しかし修学旅行で拓は里伽子から、財布を落としたので金を貸してほしいと頼まれる。話を聞いてみると、里伽子はクラス委員の松野から拓の話を色々と聞かされており、拓が春休みに近所の蕎麦屋でバイトして修学旅行の小遣いを貯めていたのを知っていたのだ。拓は呆れながらも金を貸すが、修学旅行が終わって帰ってきても里伽子は一向に金を返さない。
 そんなある日、拓の自宅に同じ学年の小浜という女子から電話がかかってくる。クラスで浮いていた里伽子と唯一仲良くしていた小浜は、里伽子と大阪にコンサートを観に行く約束をしていたらしいのだが、空港に着いてみると里伽子が持っていた航空券は東京行きのものだったのだ。しかも航空券は、拓から借りた金で買ったのだという。小浜に頼まれ空港へ赴いた拓は、行きたくないという小浜を庇う勢いで、俺が里伽子と東京へ行くと啖呵を切り、そのまま羽田行きの飛行機へ乗り込む。
 機内で里伽子は、東京へ着いたらパパのところへ行って、東京へ戻りたい、パパと暮らしたいと伝えるのだと語るが、東京へ着いて里伽子の父を訪ねてみると、既に母ではない女性との二人暮らしを始めていた(つまり、ここでは里伽子がパパっ子であること、そして里伽子の両親は父の不倫が原因で離婚したことが暗示されている)。
 里伽子と別れて、里伽子の父が予約してくれた都内のホテルに拓が泊まっていると、里伽子が訪ねてきて、泣きながら「私もここに泊まる」という。里伽子は部屋の酒を飲みながら、「私は自分をパパの味方だと思っていた。でもパパは私の味方じゃなかった」と呟き、酔いと泣き疲れでそのまま眠ってしまう。里伽子をベッドに寝かせて、拓は風呂場で眠る。

 翌日、里伽子から東京時代のボーイフレンドを紹介されたが、その男は軽薄で自分の話しかせず、里伽子の高知での生活など全く興味がない。おまけに最近、里伽子の東京時代の友人と付き合いだしたと言う。拓はショックを隠して必死に虚勢を張る里伽子に失望するが、里伽子もまたその元ボーイフレンドに失望を隠せなかった。里伽子は拓と2人の部屋に戻ると、「東京にいたときはあんな人だと思ってなかったのに。私が気付いていなかっただけね」と言う。拓はそんな里伽子になぜか、30分の間にひどく大人になったようだと感じた。里伽子は最後に、「ひどい東京旅行になっちゃったわね」と呟く。
 高知へ戻ってからしばらくして高校3年生に進級すると、拓と里伽子は同じクラスになる。相変わらず里伽子はクラスに馴染めず、小浜とだけ仲良くしている。しかしそんなある日、拓は松野から、里伽子に告白したが「私、高知も高知弁を喋る男も大嫌い!」と手酷く振られたと聞かされ、激怒して里伽子と口論のすえ、絶交してしまう。
 里伽子と拓が絶交してからしばらくして、高校の文化祭がやってくるが、里伽子は準備にも参加せず、しまいにはクラスの女子に校舎裏へ呼び出され吊し上げに遭う。里伽子は強気に言い返し、吊し上げの女子たちを追い返すが、それをこっそり見ていた拓に「あんなに追い詰められても言い返すなんて大したもんだ」と笑いながら言われ、「あんたなんか最低よ!」とビンタをかまし、泣きながら走り去る。

 呆然とする拓のもとへ松野が現れ、なにがあったのかと問う。拓はヘラヘラしながら顛末を話すが、松野も拓を殴り、「お前、馬鹿や」と言い残して去ってゆく。それきり里伽子だけでなく松野とも絶交状態になってしまい、拓の高校時代は終わる。拓は東京の大学へ進学し、松野は京都の大学、そして里伽子は地元の高知大学へ入った。

 思い出を振り返り終えた拓が高知空港に着くと、なんとその絶交したはずの松野が車をつけて待っていた。拓を実家に送り届けると松野は「ずっと謝れなかったけど、殴って悪かった」と言い、拓と松野は和解する。二人は海へ散歩に出かける。海を眺めながら松野は「あのときお前を殴ったのは、お前が俺に遠慮してたからだ。お前も武藤のこと、好きだったんだよな」と呟く。

 翌日の同窓会には懐かしいクラスメートたちが集まっていた。宴が終わり、拓は松野や小浜たちと散歩しながら家路につく。その道中、小浜が拓へ、里伽子に昨日会ったという。里伽子は高知大学へ進学したと拓は思い込んでいたが、実はこっそり東京の大学を受験して、そっちへ入学していたらしい。そして拓は小浜から、里伽子がこんなことを言っていたと聞かされる。

「東京にね、私会いたい人がいるの。その人はね、お風呂で寝る人なんだよ」

 高知での同窓会が終わり、東京へ戻った拓。ある日、吉祥寺駅のホームで電車を待っていると、向かいのホームに里伽子そっくりの女性がいるのを見つける。急いで拓が向かいのホームへ向かうと、そこにいたのは間違いなく、あの頃よりも大人びた里伽子だった。拓に微笑みかける里伽子を見つめ、拓は心の中でこうつぶやき、物語は幕を閉じる。

「ああ、俺はやっぱり里伽子が好きなんや」

 

・里伽子の苦悩

 あらすじだけ読むと、里伽子はとんでもなく我が儘な女性に思える。確かに我が儘であることは誰もが頷くところだが、里伽子の本質はそこではないように私は思う。
 里伽子の我が儘ぶりの根源にあるのは、自分の居場所がないという苦悩だと私は考える。思えば、あらすじでも書いたとおり、里伽子は高知という場所には馴染めていない。学校には小浜以外の友達はいないし、劇中では一緒に高知へやってきた母親や弟とも離れ、1人で下宿していることが明かされている。さらに、拓との東京旅行に里伽子は希望を託していたが、大好きだったパパも自分を含めた家族を捨てて、不倫相手と新しい生活を始めていた。おまけに、東京時代の友達とボーイフレンドは付き合いはじめている。高知にも東京にも、里伽子の居場所はどこにもない。
 このことを端的に言い表したのが、拓と泊まった東京のホテルで呟いた「私は自分をパパの味方だと思っていた。でもパパは私の味方じゃなかった」「ひどい東京旅行になっちゃったわね」という里伽子の一言だろう。拓を騙してまで手に入れた金で大好きなパパと東京での幸せな日々へもう一度戻ろうとしてみたら、それら全てが失われていたのだ。17歳の少女の心にどれほどの懊悩を抱かせたかは、想像に難くない。

 冒頭で述べたとおり、里伽子はいつもどこか寂しげだ。それは劇中にある、主人公の拓の「あいつ、なんか幸せじゃなさそう」というセリフに象徴されている。高知にも東京にも居場所がなく、どこにいても周りに馴染めず、心を許せる友達も恋人も家族もいない。世間とずれっぱなしで、苦悩し苛立ち、気付けば周囲の善意が却って憎らしく思え、さらにきつく当たって傷つけては、自分も傷ついて落ち込んでしまう。どうしようもなく不器用で、弱くて、寂しくて、未熟なヒロインだ。里伽子の我が儘とは、もちろん本人の性格も大きいが、一番は寂しさから発露したものだと私は思う。そして、その未熟さ、不器用さ、弱さがゆえに、得も言われぬ愛おしさを持った、人間臭いキャラクターだ。

・拓の役割と、里伽子とのズレ

 この物語の主人公、杜崎拓は一言でいえば「いいやつ」である。優柔不断なところはあるが、友情に篤く、里伽子の我が儘にも真面目につきあい、東京まで一緒に旅行する。
 ほかのクラスメートには心を開かない里伽子も、拓には良くも悪くも感情を見せる。東京にも居場所をなくしてしまったことを悟って「ひどい東京旅行になっちゃったわね」と呟く弱さや、女子の吊し上げに必死で抗っていたところを助けずに傍観していた拓に「あんたなんか最低よ!」と激怒するなど、拓には等身大の自分を見せていた。里伽子にとって拓は、居場所のない高知において、唯一自分の感情を見せられる相手だった。
 里伽子にとって誤算だったのは、拓は里伽子よりも松野との友情を第一に考えていたことだろう。里伽子が松野を「高知も高知弁を喋る男も大嫌い」と振ったあとに、激怒した拓と口論の果てに絶交してしまうのは、その二人のズレが表面化する象徴的なシーンだ。里伽子にとって、高知での「よそ者」としての好奇と排斥の視線を受ける日々の中で、いわば防空壕のような存在だった拓が、これまで付き合ってくれていた自分の我が儘よりも松野との友情を優先したというのが、当時の里伽子には受け入れられなかった。

・二人の和解と、「海がきこえる」のメッセージ

 ではなぜ、それだけ険悪になってしまった拓と里伽子は、再び相まみえたのだろうか?何よりも不思議に思われるのは、同窓会の前日に里伽子が小浜に語った「東京で逢いたい人がいる。その人はお風呂で寝る人」というセリフだ。これは間違いなく拓を指しているが、喧嘩別れした人となぜ、会いたいと願うのだろう。
 月並みな言い方だが、「時間が人を変えた」ということだと私は思う。それを示すシーンが二つある。

 一つ目は、里伽子が東京で元ボーイフレンドに会ったあと、拓に話した「あんな人だと思ってなかったのに。私が気付いてなかっただけ」と告げるシーンだ。この里伽子のセリフを聞いた拓は、里伽子が30分の間に一気に大人になったようだと感じる。確かに、これまでの里伽子なら「なによあいつ!」ぐらい怒鳴りそうなものだが、彼女はそうしなかった。自分が彼の軽薄さに気づいていなかったのだと告げる姿は、拓の言うとおり大人びて見える。東京を離れ、高知で過ごした日々が、里伽子と彼を少しだけ変えた。

 二つ目は、同窓会で見られる。文化祭のときに里伽子を吊し上げた女子たちのリーダーだった清水という女の子が、同窓会の前にたまたま市内で里伽子と会ったのだと語るシーンだ。険悪になるかと思いきや、意外と意気投合し、思い出話に花が咲いたと言い、清水はこう語った。

「あの頃はお互い、世界が狭かったのよね。私も武藤さんも」

 高校時代、清水は高知という狭い世界しか知らず、それを世間の全てだと思っていた。里伽子は里伽子で、高知という世間には目を向けられず、もうなくなってしまった東京での日々という世界を見ていた。お互いの世界が全く異なり、若さと無知、頑なさゆえにそれを許容できない。しかし、あれから時が経ち、皆が地元を離れて新しい世界を知り、あの頃よりもお互いに少しだけ大人になって、あの頃の自分と相手を、そしてあの頃見ていた世界を、少し客観的に落ち着いて見られるようになる。

 私も大学進学を機に地元を離れて東京に移った。成人式のあとに中学時代の同窓会があった。あの頃に私を殴ったバスケ部の奴や、逆に私が傷つけたオタク仲間や、私が好きだったあの子や、あの頃に傷つき傷つけられた人々がそこにはいた。バスケ部の奴にはひどい目に遭わされたのに、会ってみたら何故か意外と楽しく話せて、彼の仕事の話や私の大学の話で楽しいひと時を過ごした。私が傷つけたオタク仲間とも、二次会の居酒屋で2時間近くも話し込み、彼がいまハマっているというゲームの話や、私の大学での馬鹿話や、あの頃の思い出話で盛り上がった。私は楽しかったし、彼もそうだったように見えた。

 時が解決するというのは陳腐な言い方かもしれないが、少し世界が広がって、あの頃の苦い思い出がセピア色を帯びて、少し大人になった私と彼らは、あの頃よりも穏やかな時間を過ごした。

 「海がきこえる」に翻って感じてみると、拓と里伽子の喧嘩別れも、そしてそれがもたらした拓と松野の絶交も、やがて時間が押し流し、新たな自分と新たな相手との、新たな関係が始まり、少しずつそれぞれが大人になってゆく。日々の少しずつの時間の積み重ねが、あの頃の拓や里伽子や松野や、周囲を取り巻く人々の傷を洗い流して、いつかそこにできた瘡蓋を、穏やかなまなざしで見られる日がやってくる。そんな時間の偉大さと、そして流れていった過去のほろ苦さを嚙み締められる作品が、「海がきこえる」であると私は感じた。

 

本文中の画像は、1枚目を除いて、スタジオジブリ公式ウェブサイトより、「※画像は常識の範囲でご自由にお使いください。」との記載をされている中からダウンロードしたもの。

www.ghibli.jp

 

青空

あれは、一度目のフリーター時代の、夏のことである。
いい加減に正社員として就職しようと重い腰を上げ、いくつかの求人に応募するも当然ながら書類落ちし、落ち込んでいたある日だった。
幸運にも、とある清掃会社の面接に合格し、体験入社をした上で入るかどうか決めてほしいと言われ、せっかくならと行かせてもらった。
くだんの会社は、家から電車で数十分のところにあった。地下鉄にゆられて、眠い目をこすりつつ向かった。途中のコンビニで朝ごはんのお握りを食べ、緊張と暑さで出てくる脂汗を拭いながら、雑居ビルの一角にある事務所へと、遅いエレベーターで上がっていった。

挨拶をすませて、作業着に着替える。ワークマンで売っていそうな錆浅葱の色をしたツナギで、そういう服を着るのが初めての私はたいそう便利な衣服があるものだと感心したのを覚えている。
先輩職員の運転する車に乗り込み、今日の現場だというマンションへ向かった。ちょうど時期は夏の盛りで、開けた窓からアブラゼミの声がうるさく聞こえてくる。街路樹の緑が目に眩しい。車内には私のほかに3人の社員がおり、「なんでうちを受けようと思ったの」といった通り一遍の質問をされた後は、特に何かを訊かれることもなかった。

現場のマンションに着く。なかなか立派な建物で、一体どんなお金持ちが住んでいるのかなあ、等と阿呆なことを考えた。そして、それと比べてお金も職もなく、人生の最底辺を生きているような自分の馬鹿さ加減に溜息をついた。
道具を持ち、エレベーターで最上階へ行く。マンションの欄干から眺める景色は、東京の空とは思えぬ広さだ。都合6年半ほど東京で暮らしたが、あんなに空が広かったのはこの時と東京競馬場に行ったときくらいだったと思う。抜けるような夏の青空から風がびょうびょうと吹き付け、ツナギがバタバタ揺れる。眼下に広がる武蔵野台地は、盛夏の日差しにぼんやりと霞んで見えた。
一番ベテランとおぼしき先輩が、水圧で掃除する道具を慣れた手つきで準備する。BSの通販でたまに見る、ケルヒャーの強化版みたいな見た目だ。噴射すると、黒ずんだ汚れが吹き飛ばされ、クリーム色の壁が流水に輝く。水しぶきが風に乗って、思ったほど体感気温は暑くない。

モップを持ち、一番若い社員と二人で廊下を拭いていく。腰にかなり来る作業だ。淡々と拭いていると、ふと社員に話しかけられた。
「この仕事、どう思います?」
無論、私はまだ体験入社の身であるから、悪く言えるはずもない。だが、仕事もないくせにプライドだけは一丁前の私は、素直に「楽しいですね」などと返答することはできなかった。結局口から出たのは、
「まだ入社したわけではないので、よくわからないですが、精一杯やるだけです」
などという、お茶を濁しているのが見え見えのセリフだった。
向こうも何となく私が希望してこの会社を受けたわけではないことに勘付いたようで、
「まあ、そう言うしかないですよね…こんな仕事やりたい人いないですよ」
と汗をぬぐいながら、疲れを湛えた瞳で青空を見上げて呟いた。

この期に及んで極めて恥ずかしいことだが、彼のそのような諦観的な態度への軽蔑を、その時全く抱かなかったと言えば噓になる。彼のようにはなるまいと思いつつも、一方で自分の将来を見ているような気がして、二人でいるのが無性に怖くなり、
「下の階を拭いてきます。分担したほうが早く終わりますよね」
と言い、非常階段を逃げるように小走りに降りた。夏の日差しに、吹き付けられた水しぶきが輝く。廊下に小さな虹がかかった。

黙々と廊下をモップがけする。うなじに日差しが照りつけてジリジリと痛む。ああ、日焼け止めを塗ってくるんだったな、なんて考える。尻ポケットに突っ込んだ雑巾が冷たい。床をこする。
いつの間にか、ツナギが黒い汚れにまみれていた。存外、時間が経っていたようだ。先輩職員の呼ぶ声が聞こえ、廊下の向こうにある階段の踊り場へ走る。
今度は二手に分かれて、共用部の部屋を掃除する。会議やら、催し物やらをしている部屋らしく、けっこう大きい。何だか、ホテルのレストランみたいな見た目だ。私は、眼鏡をかけたおじさんの社員と二人になり、モップをかけていく。クーラーが効いた部屋で、ほっと一息。

モップをかけ終わり、おじさんとお茶を飲みながら少し話した。
「君は、大学を出ているの?」
「一応出てますよ」
「どこ大?」
「〇〇大です」
おじさんは目を見開いた。
「すごいとこ出てるじゃないか、何でうちなんか入ろうとしてるの?」
「いや、そんな大したとこじゃないですよ…」
おじさんは、にこやかな表情をしていた。だが、眼鏡の奥の瞳は、動物園のカバのような、どこか悲しげで、疲れの滲む、澄んだ色彩を湛えていた。あの、疲れと透明感を同時に湛えた瞳が、今でも忘れられない。
「悪いこと言わないから、うちはやめときな。せっかく親御さんにいい大学を出させてもらったんだから、もっとふさわしい仕事が君にはあるよ。俺みたいな、学も技術も資格もない馬鹿がやる仕事だから、これは」
「いや、そんな…」
かける言葉は、思いつかなかった。否定しようにも、俺はおじさんのことを名前くらいしか知らないのだから、その否定はどう転んだって本当ではなくなってしまう。かといって、肯定するのはあまりにも失礼だ。
締め切った部屋には、時計の秒針の音だけが響いていた。水にぬれたフローリングの床が、夏の日差しに鈍く光る。窓ごしの澄み切った青空に、湧き上がる白い雲。どんな悲しみも、あそこまでは届かないと歌っていたのは誰だっただろうか。

その後、私は結局その会社には入らなかった。あのカバのような澄んだ目をしたおじさんにも、無論それから一度も会っていない。
うなじを照らす、濃い夏の日差しを見上げるたびに、あの青空がやけにきれいだった1日を今でも思い出す。

サツキマスのいた川

サツキマスのいた川』という絵本を、皆さんは読んだことがあるだろうか。

昔、俺が通っていた小学校の図書室に、この本は置いてあった。絵本というより、正確には写真集かもしれない。初版は1991年、作者は田口茂男さんである。
初めて読んだのは、もう15年以上前のことだと思う。だが、一度読んだら忘れられない、魅力的で、そして物悲しい本だ。
主人公の「ぼく」は、亡くなった祖父の形見として、20年前に発行された鉄道の切符、手書きの地図二枚、そして「この手紙はかならず旅から帰ったあとで読むこと」と書かれた封筒をもらう。やがて夏休みが来て、「ぼく」は切符の行き先に書かれた、長良川の流れる岐阜県郡上八幡を目指して旅に出る。そこから、一夏の不思議な冒険が始まるのだ。
美しい長良川、水遊びを楽しむ子供たち、そして力強く泳ぎ回るサツキマスの群れ…。日本の原風景を色濃く残す郡上八幡の町に「ぼく」はすっかり魅せられ、宝物のような夏の日々を過ごす。しかし、旅から帰った「ぼく」が祖父の手紙を読んでみると─────。結末は語らないが、あえてヒントを出すならば、この本のタイトルは『サツキマスの"いた"川』だ、ということだろう。

俺自身も長良川郡上八幡へ行ったことがある。風光明媚な水の都で、長良川は美しかった。だが、昔を知っている方からすれば、今の長良川は見られたものではないのかもしれない。そして、そんな川ですら己の身で体験することもなく生活する子供たちが、日本中に沢山いる。無理もないことだと思うし、今更自然に帰るべきだとも思わない。ただ、そこはかとない悲しみを覚えるだけだ。
俺の住む街にも、川がある。秋になると、鮭が海から遡上してくる。それを川へ見に行くのが、毎年の楽しみだ。ずっとこんな秋が続いてほしいと願っているが、一方で今の便利な暮らしが環境を汚すことを知りつつ、それを今更やめられない。

似たような話の絵本に、『ワンプのほし』がある。

ワンプたちが平和に暮らす星に、ある日突然やってきた「バッチィ人」なる宇宙人が、便利だけれど星を汚し尽くす暮らしを続け、最後には掃除もせずにワンプの星を出て行ってしまう、という話だ。バッチィ人は最後にはいなくなるが、ワンプの星が元に戻ることは、もう二度とない。

この記事を書くために、久しぶりに『サツキマスのいた川』を読んだ。31年前に出された本とは思えないほど、写真は美しく、そして、結末はやっぱり物悲しかった。

華金の夜

仕事帰り いつもの道を一人歩く

 

信号待ち 白い息に笑顔のカップ

 

照れ笑いして 手を握り合う

 

窓ガラス 結露の向こうに一家団欒

 

笑い声と カレーの香り

 

眼鏡の曇り わざと拭わず

 

マスクの下で 唇を噛む

初恋

小学校へ入学した頃のことでした。
たまたま隣の席になった、ユミちゃんという女の子がいました。ユミちゃんはいつもニコニコとしていて、愛嬌のある女の子でした。
ユミちゃんは僕に名前を尋ね、そして「友達になろう」と言いました。僕は当時から、背は高く体は大きいけれど、とても怖がりで人見知りな子供だったので、ただうんと頷くことしかできませんでした。それでも彼女はニコニコ笑って「ありがとう」と言いました。幼稚園時代のことは昔すぎて覚えていないので、今の僕の記憶に残っている一番最初の友達です。
ユミちゃんは勉強がよくでき、運動も得意でした。皆さんも覚えがあるでしょう、小学生の時にクラスに必ず1人はいた、利発で優しい女の子です。彼女が、初夏のグラウンドをクラスメートと駆けてゆく後ろ姿の、日焼けした手足が風車のようにくるくる回る光景を、僕は教室からぼんやり眺めていることが多かったように思います。

僕は勉強はよくできましたが、運動もお喋りも苦手で、ガリ勉だとよくいじめられていました。生まれつき色白だったので、そのことをからかって「お化けだお化けだ」といじめられたこともはっきり覚えています。そのうえ、僕の家は、地域の小さなコミュニティの中ではかなりお金持ちなほうでした。家がお金持ちで、勉強はできるが気弱で運動はからっきしな少年が、いかにいじめられやすい要素を沢山持っているか、皆さんも経験上わかるのではないでしょうか。ユミちゃんは、僕がいじめられているのを見てもその場で助けてはくれませんでしたが(いじめっ子が怖かったのでしょう)、放課後によく慰めてくれ、一緒に遊んでくれました。
たまたまユミちゃんが教科書を忘れて、「ごめん、教科書見せて」と頼まれた時などは、僕はユミちゃんに頼りにされるのが嬉しくて、意気揚々と見せてあげました。幼心に、ユミちゃんとずっと一緒にいられたらいいのになあ、と寝る前にあれこれと妄想しては、幸福な眠りへと旅立ちました。誰しも少年期は、夢見がちなものです。まだ恋というものの意味も理解していない年頃ですが、とにかく一緒にいたいと願っていたのは覚えています。

ある日、ユミちゃんから「児童会館へ行って一緒に遊ぼう」と誘われました。もちろん僕は二つ返事で了承しました。ユミちゃんと遊ぶ時間が、当時の僕にとって一番の憩いの場だったのですから。
しかし、僕は当時、まだ児童会館へ行ったことはありませんでした。児童会館には、僕の知らない年上の子供たちが沢山いると聞いていたからです。怖がりで人見知りの僕は、とても1人で児童会館へ行くことはできませんでしたが、ユミちゃんと一緒なら大丈夫ではないかと思ったのです。
けれども、児童会館へ着いてみると、ユミちゃんは僕の知らない子供たちと元気よく話をし、遊び、僕のことなど存在すら感知していないかのようでした。無理もありません、小学1年生の彼女にとって、一番大事なのは自分の楽しい遊びですから。
僕は児童会館の、手垢で黒ずんだおもちゃや絵本が置いてある片隅に座り込み、1人で大好きな絵本をずっと読みました。普段あんなに大好きで、毎日胸を躍らせながら読んでいたはずの絵本が、その日はちっとも楽しくありませんでした。
やがて真っ赤な太陽が、西方の山のかなたへと沈みだす時刻になりました。僕の家は厳しいので、5時になるまでに帰らなければいけません。ユミちゃんと一緒に帰りたかったけれど、楽しそうに知らない子たちと遊んでいる彼女を隅っこから見ていると、そんなことを言う勇気はとても湧いてきませんでした。ユミちゃんにとって僕は大勢いる友達のうちの一人にすぎないことを自覚させられ、彼女は何も悪いことをしていないのですが、裏切られたような気がしていました。僕は恥ずかしくて寂しくて悲しくて、キラキラ光る瞳で笑い転げる子供たちみんなに笑われているような気がして、涙ぐみながら児童会館の職員さんに絵本を貸してもらったお礼を言い、1人で帰りました。泣いて帰って母に心配をかけるのが嫌だったので、涙はぐっと堪えました。

次の日から、ユミちゃんと教室でどのように接していたか、僕はよく覚えていません。やがて学年が上がるにつれて、僕にも他の友達ができ、ユミちゃんとは話さなくなりました。
中学校に入る時に引っ越し、それ以来小学校の同級生とは会っていないので、ユミちゃんが今どうしているかは全く知りません。

これが僕の初恋です。

零細IT企業物語

桜の木が花びらを散らし、春の暖かい日差しが徐々に強さを増してきた初夏、俺は会社を辞めた。僅かな期間の勤務だったが、非常に濃密な時間だった。この「濃密」というのは、もちろん悪い意味で、ということである。あらゆる悪意、例えば軽蔑、嫉妬、欺瞞、傲慢、怠惰……様々な感情が渦巻く、そこはまさに魔境だった。思い出すだけでも恐ろしく、悲しく、そして腹立たしい。そこでの奇妙な体験の数々はいまでも理解に苦しむものも多く、当たり前のことが当たり前でない異常な企業体質だった。働いていた当時はそれがどこの会社でも常識なのだろうと考えていたが、今の職場に移ってからそれがとんでもない勘違いで、社員を低賃金で長時間こき使うための方便だったと気付かされた。零細IT企業には、濁ったドブのようなヌメヌメした空気が漂っている。そして、そこに咲いているのは泥水から花を咲かせる気高く美しい蓮の花ではなく、打ち捨てられた名もなき汚れた水草たちの、悪意と諦念の花なのだ。

 

初めにおかしさを感じたのは、採用面接の時である。社長自らが面接(オンラインのものだった)をしていたのだが、まず格好が極めてラフであった。ノーネクタイで、スーツの上着も着ていない。椅子の背もたれに思い切りもたれかかり、腕を組んでいる。流石に今までそのような態度の面接官に出会ったことは無かったのだが、違和感はこれだけではなかった。
彼は面接の終わり際に、「先に言っちゃうけど、大丈夫そうだし内定だと思うよ~」などと言い出した。とにかく仕事が欲しいと思っていた当時の俺はよく考えもせずに飛び付いてしまったが、いま考えればこれもおかしな話だ。わずか数十分喋っただけの人間を、履歴書や受け答え内容を精査することもなく、あっさり内定を出す。それだけ人手が足りていないことの現れだが、そこまで頭が回る余裕は当時の俺にはなかった。他に内定も出ていなかったので、承諾書を提出し、入社と相成った。
入社してみると、それまで社会人の友達から聞いていた企業風土とは全く異なる環境が俺を待っていた。
まず、社内の空気がどんよりとして活気がない。雑居ビルの一角に事務所があったのだが、とにかく空気が濁っている。俺はこの空気、雰囲気の悪さに、内心強い猜疑心を抱いていた。しかし、先輩社員とは初対面なのだから、元気に挨拶をせねばならぬ。これから、ここの人たちに世話になるのだ。挨拶は肝心である。俺は、両親から初めて会った人にはきちんと挨拶をするようにしつけられて今まで育ってきた。
「本日からお世話になります、よろしくお願いいたします!」
「しまーす……」
なぜか、誰もこちらの目を見て挨拶をしない。皆挨拶もそこそこに、パソコンの画面とにらめっこをして、何かよくわからない文字列を猛スピードで書き込んでいる。
たぶん、彼らに悪意はない。礼儀知らずな訳でもない。単純に、俺に興味がなかったのだと思う。後々知ることになるが、この会社では新人が突然来なくなって辞めてしまうのはよくある話だった。彼らからしてみれば「この新人も何ヵ月かしたら辞めるんだろうな」程度にしか感じていなかっただろう。そしてその予感は正しかった。
働き始めてすぐ、上司との間で例の「分からないなら訊けよ!」→「自分で調べろ!」→「分からないなら訊けよ!」→「自分で調べろ!」……の無限ループが始まる。社長に相談したら、「よく分かんないけど、君は新人なんだからそういう理不尽にも黙って耐えないと。それに本当にちゃんと調べてる?笑」等と宣う。他の上司も、俺が頼んだ仕事に対して、驚くほど非協力的だ。「君に仕事を教えたり手伝ったりしても意味ないんだよね。教えるのは給料のうちに入っていないし、他の奴の仕事なんて知ったこっちゃない、会社ってのはそういうもんだろ?」というのが彼らの言い分のようだった。実際、それに近いことも何度か言われた。これが作り話ならブラックジョークで済むのだが(いや、済まないかもしれないが)、あいにく実話である。理不尽なことを要求してくる上司も上司だが、それを理不尽と感じつつほったらかしにしている社長の考え方には驚きを禁じ得なかった。当時を思い返すと、彼らも客先から理不尽とも思える案件の要求をよくされていたし、それを当たり前のように請け負って毎日23時くらいまで残業していたから、理不尽に対する感覚が鈍っていて、俺の言っていることが理解できなかったのかもしれないと考えることもある(勿論それでも許しがたい話ではあるが)。

 

ここでIT業界をよく知らない方のために、この業界の産業構造について軽く述べておく。といっても前の会社の先輩(唯一比較的良心を持っている人がいた)に教わったことと、俺が調べた内容に限った話なので、正確で広範な情報に触れたい人は他を当たってみてほしい。
基本的に、日本のIT企業はSIerSystem Integrationにerをつけた和製英語)と呼ばれるものかWeb制作会社のどちらかで、そのうち大部分を占めるSIerはいわゆるNECDELL富士通など誰でも知ってるような超大手のITゼネコンを頂点とした多重下請け構造のピラミッドを形成している。ピラミッドの頂点が案件を受注して上流工程を済ませたら、あとは下請け①(そこそこ大企業)に発注→下請け①が分割してさらに下請け②(中小企業)に発注→さらに下請け②が下請け③(零細企業)に発注、という風に、下請けへの振り分けと中抜きを繰り返し案件は細分化されて完成を目指すことになる。大手ITゼネコンの労働環境は、実際に働いたことがないのでよく知らないが、少なくとも末端の企業とは比較しようがないほど良いものだと聞く。そして、零細企業の労働環境はもはや言うまでもない。零細企業における俺のような末端の労働者は、基本的に低賃金長時間労働で、潰れるまで使い続けるのがスタンダードだ。それが一番安く済むし、潰れた若者の将来など経営者や元請けの知ったことではないのだから。
顧客は顧客で、システム開発に関しては素人であるから、「この部分をちょっとだけ変えてほしい!」という要求を後出しでしてくることもよくある。この「ちょっとだけ」が、開発する側から見ると全く「ちょっとだけ」で済んでいないことがあり、そして顧客はそれを知らない。開発する技術者側も、一から解説するのも面倒だし納期まで時間もないし、こういうよくある要求をいちいち断っていたら仕事がなくなってしまうので、説明をしない。結果、さらに労働時間は増していくし、この要求を断らなかったことによって、「後から追加でお願いしてもダイジョブなんだ!」という、自らの首を絞める前例を作っていく。そもそも、文系や高卒出身の末端の労働者が実際の工程に携わり、情報系の学科を出た優秀な理系出身者が実務ではなく大手企業で上流工程や下請けのマネジメントを行っている構造もだいぶおかしなものだと思うのだが(この文章は文系理系どちらが優れているか、などという論争の提起を意図したものではない)、それ以上におかしいのは産業全体の構造である。この話を続けると、若者の貧困やら新卒一括採用の見直しやら、いろいろな問題に繋がりがある気がしないでもないが、あまりに長くなりすぎるのでここでは止めておく。

 

前の会社で何をやっていたかを話したことはほぼなかったと思うのでそれも少し触れておく。
下請けで開発を請け負ったシステムのテストや、サーバの保守点検、webサイト制作等々、雑多に色々やっていた感じである。入社していくらも経たない新人のできることは少なかったが、社長から「これやっといて、やり方は全部調べて、教えるのは俺の仕事じゃないから」と雑な仕事の振り方をされ、次から次へと内容もやり方も分からぬまま、必死でググり&コピペの連続で仕事をこなした(教えてくれる親切な人は無論いない)。社長の方針なのかは知らないが、とにかく何でも引き受ける会社だったので、今自分が何の仕事をしているのかすらよく知らないまま、ただ黙って体を動かしていた。今の職場で役立ったスキルもあるにはあるが、それを身につけさせてもらったという感謝の念は、自分でも笑ってしまうほどに全くない。会社の誰かに教わって習得した部分も多少あるが、それでも感謝の気持ちは全くない。これは誰しもある経験だと思うが、誰かに受けた恩を思い出せば思い出すほど、その人に感謝する気持ちにならないということが人生にはままあるように思う。こういう話は俺の好きな分野だが、今回の趣旨からは外れるので続きは別の機会に。

会社を辞めることが決まった日は、不思議な虚脱感しかなかった。嬉しさがもっと湧いてくるかと思ったが、全くなかったのははっきり覚えている。
退勤して、東京の夜空を眺める。折しも新型コロナウイルスの爆発的な感染拡大が起きた時期であり、飲食店は退勤時間にはもう閉まっていた。家についても、何か作る元気もない。コンビニで買ったお握りを食べて、転職サイトでいくつか求人に応募する。煙草を何本も吸って、明け方まで布団の中で眠ったふりをする。自業自得といえばそれまでだし、自分でもそう感じる。大学時代になまけてばかりいたツケが一気に来たのだろう。いうなれば、きついお灸を据えられたというわけだ。そう思っておくのが一番いいように思う。いい記憶など全くない日々だったが、そこに気づかせてもらえたことだけは良かったかもしれない。
今の職場に採用されてから、前の会社の話になり、上司にここまで書いてきたような話をほんの少しだけした。上司は驚き、「本当にそんなところがあるんだねえ……」と、信じられないといった表情で漏らしていた。
俺も信じられなかった。だが、そういう会社は、確かに実在している。

 

2022年1月10日 雪の降る夜に記す