流し読み

どうでもいいこと

野球場探訪記Vol.1「札幌市円山球場」

俺が過去に訪れた球場、そしてこれから訪れる球場の記録を残しておくことにした。ということで、1回目は札幌市円山球場である。

 

札幌市円山球場は、札幌市中央区宮ヶ丘にある野球場である。札幌市民には「円山球場」の愛称で親しまれている。

俺が初めてここを訪れたのは、高校1年生の時だ。そのときのことは、わりとよく覚えている。高校の講習をサボって野球を見に行くことにしたのはいいのだが、あいにくファイターズは遠征中で札幌ドームではその日試合がなかったのだ。それに当時は高校生、数千円するプロ野球の観戦チケットはそうそう気軽に買えるものではなかった。そこで思い付く。そうだ、円山球場高校野球をやっていたはずだ!

というわけで地下鉄東西線に乗り、円山公園駅で降りる。円山球場は、駅から動物園方向に上り坂を15分程度歩く。高校生だった自分はあまり堪えなかったが、お年寄りはみんなしんどそうだった。JRバスを使えば近いのだが、料金をケチりたい卑しさを「運動になるから」と誤魔化していたのを覚えている。

さて、左手に動物園を見ながら歩けば、球場に到着だ。両翼98m、センター117mのやや狭いつくりである(横浜スタジアムとほぼ同じ大きさ)。しかし、昭和10年に開かれた歴史あるこの球場は、その狭さにこそ年月を重ねてきた味わいや趣があると俺は思う。

チケット代を払う。当時、高校生は学生証を見せれば100円でその日行われる試合全てを観戦可能だった。これは金なし高校生には大変有難い価格設定で、100円で野球が4試合も見られるというのは至福極まりない話だということはお分かりいただけると思う。俺はいつも御機嫌で学生証と100円玉を当番校の野球部員の方へ出していた。

階段を登る。いつも思うのだが、野球場へ来て一番ワクワクする瞬間は、この階段を登ってフィールドが見えてくるときではあるまいか。これは野球観戦好きの方々にぜひ訊いてみたい。俺はいつも階段を登り切ってフィールドが見えるとゾワゾワっと鳥肌が立つのだ。

さあ、球場の風景が見えてきた。選手たちの掛け声、ブラスバンドの演奏、そして土埃の匂いが強くなっていく。暗い通路を抜けて、視界が一気に光に包まれる。

 

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※写真は2016年に撮影したもの。以下も同様。

本当は毎回朝イチで並んで銀傘の下の席を取りたいのだが、いつもそう上手くはいかない。南北海道大会決勝戦にでもならない限りはそうそう座る席には困らないが、それでも銀傘の下は流石にいつも埋まる。仕方なしに、真夏の炎天下にうちわとフェイスタオルを持って野ざらしの席に陣取る。

外野スタンドには、地方球場あるあるの芝生が広がり、バックの山々と相まって非常に牧歌的な風景を見せてくれる。レフトスタンド奥に木が生えているのも特徴的で何とも面白い。
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また、この円山球場、食堂のカレーライスがめちゃくちゃに美味しい。高校時代、観戦に来たらどんなに暑い日でも必ずカレーを食べた。プラスチックの楕円形の容器に入った、あの昔ながらのカレーライスが本当に懐かしく、思い出すとまた食べたくなってしまう。数年前に食堂の方の体力的なことでやめてしまい、その後別の事業者によって再開したと仄聞したのだが、今、あの飛び切り美味しかったカレーライスはどうなっているのだろうか……。

 

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試合終了、一礼。ナイスゲームをありがとうございました。

 

円山球場は、夏の選手権の南北海道大会およびその札幌支部予選、春期・秋季北海道大会、札幌六大学野球リーグ戦等々、様々な道内の野球公式戦に用いられる。札幌の野球好きにとっては札幌ドームと並んで欠かせない場所(ドームはもうすぐ用済みになるが)である。

ここを舞台に、駒苫田中将大投手(現楽天)と北照植村祐介投手(元日本ハム)の白熱した投げ合いや、東海大四の西嶋亮太投手(元JR北海道野球部)のスローカーブや、他にも数多のドラマチックなシーンがあったのだ。

俺にとって極めて思い出深い場所であり、このご時世が過ぎ去って、また野球を心置きなく見られるようになったら、必ず行きたい球場だ。近い将来、また野球が思い切り楽しめることを願って……。

実録!恐怖体験「コロナ禍での転職活動」

先日、ようやく新しい仕事が決まり転職活動が終わった。転職活動は新卒の就活とは訳が違うと前々から聞いてはいたものの、コロナ禍の影響による転職市場のかつてない不況もあり、いざやってみると想像をはるかに越えるハードさで、精神と貯金を恐ろしい勢いで削られた。経験としてマイナスにはならないだろうが、いま振り返ってみても、一億円積まれても二度とやりたくないという感想しかない。間違いなく俺の人生で一番「お前なんか必要ない」と言われ続けた5ヶ月間の地獄を振り返り、二度とあのような状況に陥らないよう自分を戒めるためにこれを書き残す。

 

1.転職活動開始~仕事探しを舐めた馬鹿野郎を待つ結果とは~

前職を辞めたのは今年の春先の話だが、諸々思うところがあり在籍時から新しい仕事を探し始めていた。しかし中々見つからず、そうこうするうちに色々な行き違いや事情があり会社を辞めることになった。辞めた直後は「これでゆっくり転職活動に集中できるな~」等と馬鹿なことを考えていた。これが地獄への入り口だとも気付かずに……。

とりあえず志望動機を作りやすく、かつ待遇の良い会社を、身の程もわきまえずに受けまくり、当然ながら落ちまくる。これがもう、笑ってしまうほどに落ちまくった(具体的な数字を出すと、最終的に俺は100社ほどエントリーしているがほぼ全て落ちた)。考えてみれば当たり前の話で、不況の転職市場では様々なスキルや経験を持った即戦力以外に用はないのだ。突出して優れた経験やスキルがあるわけでもなく、かといって大して自己PRや志望動機を作り込むわけでもなく、雑な内容の書類を送り付けて受かると思っていた当時の俺はとんでもない馬鹿野郎だ。応募する企業に対しても失礼である。

そして、さすがにまずいと感じた俺は転職エージェントに登録し、本格的に転職活動へ取り組み、より恐ろしい地獄の深淵へ足を踏み入れることになる。

 

2.仕事が決まらない!~焦りと恐怖、そして虚無~

転職活動を開始して3ヶ月、エージェントに書類の添削などをしてもらったこともあり、多少なりとも面接を受ける機会をもらえるようになった(と言っても、大多数の企業は書類で落とされた)。しかしここで、またしても俺は地獄を味わう。

面接に通らない。とにかく通らない。エージェントを通じて落ちた理由としてよく言われたのが「誠実な人柄は伝わったが、やる気を感じなかった」というもので、オブラートに包まず言えば「陰気で暗く、元気のない見た目、喋り方で印象が悪いから」である。

無論、俺もただ漫然と何の改善もせずに面接を受けていた訳ではない。面接での笑顔の練習をしたり、背筋を伸ばして顔を明るく見せようとしたり、挙げ句の果てには明るい印象に見えるよう化粧をしてみたり……。しかしこれらは小手先の誤魔化しで、本番ではどうにもうまくコミュニケーションを取ることができなかった。こういうところが俺の良くない癖である。初対面だと怯えて、びくびくしながら喋ってしまうのだ(後々これは場数を踏み失敗を繰り返すことで改善されていくが……)。

そんなこんなを繰り広げている中、友人と電話なんかをしていると、仕事の話や結婚の話、将来設計や投資の話等々、いかにも大人な話題ばかりで、ついていけない自分が情けなく、とても恥ずかしかった。自虐的なことを言って友人を笑わせてもどこか苦しく、気を遣って俺でもついていける話題を提示してくれる友人にはさらに申し訳なくて、あんなに自分を恥じたことはないと思う。20代半ばの無職に堂々としている権利などないのだ。俺は焦り、恐れた。このまま一生無職のままで、親に心配と迷惑をかけ続け金も家族も友人も持てずに生きていくのか?老いて働けなくなった時はどうなる?俺の人生は終わってしまったのか?あまりの恐ろしさに感覚が麻痺し、だんだん何も感じなくなっていく自分、今の状態に慣れてきている自分が、一番、たまらなく怖かった。

この頃、ダメ元で公務員試験にも幾つか出願している。しかし、こんな状況で試験勉強など捗るわけがなく、結果ノー勉で受験することになったのは言うまでもない。

 

3.面接対策は念入りに~生きた心地のしない日々~

初夏に入っても相変わらず落ちまくり、仕事は一向に決まらない。しかし一方で、嬉しい誤算もあった。

記念受験のつもりで出願し、1秒も勉強しないまま受けた公務員の筆記試験にパスしたのである(2つ受験してどちらもパスした)。完全に落ちたと思っていたため、結果をチェックしたのが選考が早い方の二次試験の1週間前で、目玉が飛び出るほどびっくりした。すぐに飛行機で会場へ飛び、二次試験を受けた。しかし、面接の手応え的に「これは駄目だな」感が強く、そして案の定落ちた。面接対策もそれなりに練って臨んだだけにかなりショックだったが、済んだことはもう切り替えるしかない。もう一つの方の面接対策に取り掛かった。

何でも、面接が3回だか4回だかあるらしく、初めて選考フローを見たときはその多さにぶったまげた。しかし、もう四の五の言っていられる状況ではない。やるしかないのだ。

それからは、多分人生で一番念入りに面接対策をした。俺は話が長くなる癖があるようなので、「簡潔に、具体的に、結論を最初に」を心がけ、友人にアドバイスをもらい、回答を練った。

これが幸いしたのか、その時同時に受けていた企業の一次面接にも通り、二次の案内も来ていた。場数を踏んで慣れることで、ビビってうまく話せない悪癖が多少改善されたのかもしれない。

回答を入念に準備したことが良かったようで、面接ではそれなりに上手く喋れた。具体的な材料を用意して、それに突っ込まれてもすぐ答えられたのが良かったのかもしれない。結果、やっとのことで内定をいただけた。結果の連絡があるまでは、本当に生きた心地がせず、朝から晩まで家の中を、動物園の熊のようにウロウロ歩き回っていたのを覚えている。両親に伝えると俺よりだいぶ喜んでいて、思わず少し笑ってしまった。

馬鹿息子を見守ってくれた両親、助けてくれた友人には心から感謝している。ありがとうございました。

 

4.転職活動後記

転職活動を終えた今になって思うのは、まず時期が悪すぎたということである。

2020年春先から始まった新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い、日本の就活市場は売り手市場から買い手市場へと変貌したと日経新聞か何かで読んだ。俺は経済には詳しくないが、それでも何となく想像はつく事態だ。人や物の移動がなくなり、それによって消費が鈍感し、雇用がなくなったとかそんな感じなのだろう。

言うまでもなく、不況下での転職は苦しい。ましてや、この情勢下ではことのほか苦しい。大した経験やスキルのない、俺のような人材など掃いて捨てるほどいる。企業もそんな人材を雇う余裕はない。この時期に転職活動をするのは、突出した資格、経験、スキルなどがない限り、相当な長期戦を覚悟することになるのは間違いない。

そして次に、これが最も思うことだが、転職活動をするなら会社を辞めずにやることが肝要だということだ。俺は会社を辞めて仕事を探したが、交通費やら履歴書代やらスーツのクリーニング代やらで金はすぐ無くなった。特に交通費は意外と馬鹿にならない。飛行機のチケットの高いこと高いこと……。収入のない状態が何ヵ月も続くと、本当に発狂しそうになる。銀行の預金残高をチェックするたびに胃が痛くなるのはもう御免だ。

俺は様々な幸運により新たな仕事を見つけられたが、少しのすれ違いで今も青白い顔で履歴書を書いていた可能性はある。そして、同年代の友人たちが家庭を築き、人生を豊かなものにしていくのをただ眺めるだけの日々を送っていたかもしれない。これは本当に恐ろしいことで、今になっても不合格の連絡が来る夢や、まわりの人々にどんどん置いていかれる夢を見て飛び起きることがある。いや、実際大幅に置いていかれているのだが……。

考えてみれば、転職活動を始めたばかりの頃の俺は、自分を過大評価していたように思う。社会には俺のような人間など星の数ほど沢山いて、いくらでも代えがきくのだ。それに気付けず、この不況でも自分なら大丈夫だ、何とかなるなどと寝ぼけたことを抜かしていた。仕事探しを始めてすぐそれに気付き、「焦る」ことが出来たのが、不幸中の幸いだったかもしれない。焦っていなかったら、今頃まだ無職のままだっただろう。

転職活動は、自分、ひいては人間というものの性を見つめ直す機会になったことは間違いないし、根性や精神力がついたという側面はあるかもしれない。どのみち、俺にはいつかこういう泥水を啜るような経験が必要だったと思うようにしている。そうでないと、今でも恐ろしさに身震いがしてくるのだ。

これを読んだあなたが、もし転職を考えているならば、コロナが終息して機が熟すのを待った方がいいと俺は思う。しかしそれでも、どうしても転職したいならば、会社の人には内緒にして、コツコツ地道に、長期戦を覚悟して取り組むしかない。会社の人に転職を希望しているのがバレると色々面倒なことになりうるので、言わないことを俺はオススメする。

今月限りで長かった東京暮らしも終わりだ。寂しさは拭いがたいが、新天地で明るく穏やかな未来が待っていると信じたい。高層ビルの間に沈む東京の夕日を見つめて溜息をつくことができるのも、あと半月だけだ。

 

2021年9月12日 引っ越しの準備をしながら……

カレーライス地獄

先日の夕方、自宅でカレーライスを作っていた。一人暮らしなので、カレーのルーさえ沢山作ってしまえば、その後しばらくは料理の面倒臭さからは解放されることになる。代わりに2日ほど朝晩カレーが続くが……。何より、やはりレトルトではなく自分で作ったカレーの美味さは格別である。

この日も、俺は鼻歌でBruno Marsの「Runaway Baby」を歌いつつ、気分良くジャガイモ、人参、玉ねぎを刻み、ニンニクをすりおろし、圧力鍋に具材をぶちこんでトマトジュースと水で煮込んでいた。圧力鍋は文明の利器だ。こんなに便利なものがあったのなら、もっと早く手に入れておけばよかったと常々感じる。蓋の圧力メーターのフチが緑になるまで加熱したら弱火で15分、あとは火を消して放っておけば具材はキッチリ煮込まれているという寸法だ。

圧力メーターが下がったのを確認し、ワクワクしながら蓋を開ける。ジャガイモも人参も、火がしっかり通っており、かつ崩れてはいない上々の仕上がりだ。あとはルーを入れて溶かすだけ。

 

しかし、ここで問題が発生する。

 

一体、この量の具材と煮汁にはどの程度のルーを溶かすのが正解なのか。今日は作り置きを意図して、普段よりもだいぶ多めに作っている。となると、適切なルーの量はどうなる……?視界良好だと思っていたカレー作りに、俄に暗雲が立ち込める。

とりあえず、普段は固形ルーを2つ入れるから増やして3つにしてみる。10分ほどで溶け、いつも通りの芳しいスパイスの香りが……しない。何か匂いが水っぽいぞ?

味見をする。嫌な予感で小皿が震えるが、覚悟を決めて一息にいただく。

匂いに感じた違和感は的中!味が薄い、とにかく水っぽい。いわゆるシャバシャバのカレーである。どうやらルーが足りないようだ。

原因が分かれば、あとは解決策を練り、実行するだけだ。追加のルーをとりあえず1つ投入。料理にこういう味の薄さ問題が起きた時、肝心なのは少しずつ味を濃くし、味見を何度もすることだ。一気に濃くすると今度は高血圧が気になるレベルのしょっぱさを招くこともある。慎重に、丁寧に、美味しく食べてくれる人の顔を思い浮かべて……って食べるの俺だけじゃねえか。

とにかく、1つ足してみたところ、味は満足のゆくものになった。しかし、まだ解決していない問題があったのだ。

 

あれ?まだ水っぽくないか?

 

そう、まだルーがシャバシャバの水っぽい仕上がりなのだ。俺はカレールーはドロドロ派なのだ、水っぽいカレールーなど言語道断、受け入れることは到底不可能である。

そこで、流しの下から取り出したのは小麦粉である。こいつを混ぜればドロドロになると以前料理本で読んだのだ。最近の料理本は、様々なコンセプトのものが揃っていて、読んでるだけでも大変楽しい。今度は煮物の本を買おう。

話が脱線した。小麦粉をちょっとずつ混ぜ、ドロドロのルーを仕上げていく。確かにとろみがついてきたようだ。カレー独特のツンと鼻腔を突く香りが何ともかぐわしい。充分に溶かしたところで、出来上がりだ。

食べてみると、少し粉っぽいもののうまい。充分食える味である。俺は腹を満たし、残りのカレールーの入った鍋には蓋をして、ぐっすり眠った。

 

翌朝起きて、カレーを食べるためにルーを暖める。グツグツ言い出したら、ご飯とルーをよそい、いただきます。ん?

 

めちゃくちゃ粉っぽい。

 

原因はよく分からないが、見たところどうやら、一晩寝かせたら小麦粉が浮いてきてしまったらしい。ふざけた話である。こっちはただドロドロの美味いカレーが食いたいだけなのに何ということだ。しかも思い出してみると、今回は作り置きを考えてかなり多めに作ったはず。ということは……。

恐る恐る鍋を見る。案の定、そこにはまだまだ沢山の粉っぽいカレールーが鎮座していた。アメリカ人なら、こういうときOh my Godと叫ぶのだろう。お陰で英会話の用法例を一つ覚えられた訳だ。浮いてきやがった小麦粉には、感謝の念を禁じ得ない。

こうして美味しく食べるはずのカレーを無駄に粉っぽくしてしまい、おまけに多めに作ったために、しばらく粉っぽいカレー地獄に苦しむ破目になった、馬鹿な男がいたというお話。それではまた。

冬の空

今年の三月に大学を卒業し、その後紆余曲折の末に社会人の端くれになった。平日は毎朝スーツを着て電車に乗り、会社の最寄り駅まで揺られる。幸い職場の雰囲気や労働環境はそこまで悪くないので、とりあえず数年は続けてみるつもりである。

職場にある自分の机からは、大小さまざまな建物が立ち並ぶ東京の街並みが見える。換気扇が吐き出す煤に汚れたベランダの手摺、遠くに光る、苛立つほど綺麗に窓の拭かれた巨大なビル、ネオンの色彩が目にしみるパチンコ屋……。それらの間々に、水をたっぷり含ませた絵の具のような、淡い色をした冬の空が張り付いている。ご時世の影響で換気のために開けている窓から、冷たく乾いた空気が足元にまとわりつく。おかげでトイレへ小用を足しに行く頻度が高くなった。

昔、高村光太郎の妻・智恵子は「東京に空が無い」と言ったそうだ。働き始めて少し経つが、空を見上げるよりも目の前にあるパソコンの画面を見ていることの方がはるかに多い。歩いていても、前を行く群衆に当たらないよう、人の背中ばかりを見ている気がする。智恵子の言いたいこととはだいぶ違うだろうが、年齢を重ねると空はだんだん無くなっていくのかも知れない。

煙草を吸っているときだけは、空を眺めている。お昼休み、腹を満たし終えて駅前の喫煙所へ赴く。懐から煙草の箱を取り出し、火をつける。煙が龍のように天高く昇ってゆくのは見ていて気分がいい。そして、煙が風に流された先の空をぼんやり眺める。小春日和の寂しい空である。

 

まだ北の大地に暮らしていた頃、冬の空は鉛色をしていた。白銀に覆われた野原に寝転ぶと、遥かな高空から、音もなく雪が降り積もる。白い吐息に、雪が溶けて頬に流れる。今夜は根雪になるだろうと母が言うのを最後に聞いたのは、もう何年も前だ。

弟と二人で雪原を駆け回って、頬と両手が真っ赤になるまで遊んだあの頃、空はいつもすぐそこにあった。あの重たい雲に覆われた空は、いつの間にか俺のすぐ上から消え、今は淡く消えそうな東京の空が俺の遥かな頭上に凝然としている。

 

10年後、俺の頭上にはどんな空が広がっているのだろうか。

父と酒

俺の父親は、極めて酒好きな男である。週末の晩酌を楽しみに仕事をしているような節が多々あり、特に日本酒への造詣が深い。息子の俺が酒のことを少し訊ねると、嬉々として色々話してくれる。一番の趣味が酒であるから、それも自然なことだろう。酒屋へ行くときの父はいつも玩具店へ赴く子供のような顔をしている。

成人してから実家へ帰ると、父はいつも酒を勧めてくる。仕事で東京へ来る用事がある時も、都内の居酒屋を予約して飲みに誘ってくる。俺も酒は嫌いではないのでよく一緒に飲む。俺と酒を飲むとき、父はいつもすこぶる上機嫌な様子だ。

姉があまり酒に強くない一方、俺は極端に強い訳ではないが、平均よりは少し飲める方だ。父は晩酌が趣味なだけあって、ザルという表現が合致するような人物である。父は酒を飲むといつも「お前は飲めるなぁ、父さんに似たんだなぁ」と言う。実際、俺の様々な身体的特徴(卑近な例で言えば顔の造形だろうか)は驚くほど父に酷似しており、同じく俺の親である筈の母に似た要素はあまり見当たらない。

成人したばかりの頃は、父が俺とやたら酒を飲みたがる理由がよく分からなかった。外見は確かに似ているが、共通の趣味は読書ぐらいなもので、そもそも年齢だって当たり前だが数十歳離れている。性格も、父は社交的で能弁なところのある人物だが、息子の俺はかなり内向的だ。親子であることを抜きにしてみると、人物像や性格に重なる部分は然程多くない。父は自分と異なる特徴を数多く有した、こんな若者と晩酌をして楽しいのだろうか?そんなことを考えたこともあった。

今になると、父が俺と晩酌をしたがる理由が何となく分かる。俺がこういうことを言うのは立場として違うかも知れないが、恐らく息子の成長を実感したいのだろう。このことは、父が俺と飲んでいるとき昔の思い出をよく話すことからも何となく察しがつく。「昔のお前はこんな子供で……」等と話すエピソードを俺自身はあまり覚えていないが、父の中では大事な記憶のようだ。父は話したがりなので、内向的な俺との相性もいいのかも知れない。

 

先日父方の爺さんが他界し、父は自分の親を初めて亡くした。爺さんが数年前から病気がちだったこともあり、葬式で父は特に涙を見せたりはしなかった。ただ、坊さんの読経が響く中、遠いどこかを見ているような目をしていた。棺に眠る爺さんの口許を大好きだった焼酎で濡らしていた父の表情は、今でも忘れられない。やけにぎらつく初夏の太陽に、白い菊の花が目映かった。

父ももうすぐ還暦だ。俺が小さい頃の記憶よりもだいぶ「お爺さん」になってきている。白髪が増え、しょうもないギャグを言うようになり、怒ることも減った。最近は定年退職したあとの新しい趣味探しにご執心のようで、面白くて年老いてもできることをネットで色々検索して見つけようとしている。だが、恐らく定年してからも、相変わらず酒を飲んで刺身を食ってプロ野球を見ているような気がする。これは、或いは息子である俺の願望なのだろうか。

ジョッキになみなみと注がれたビールの泡の向こう側に見える父の顔は、いつか小さい頃、俺に絵本の読み聞かせをしてくれたあの日と同じ笑みを今でも浮かべている。

陽キャラ

現在のインターネット社会に「陽キャラ」「陰キャラ」という概念が生まれてから数年が経過した。既に皆さんご存知かとは思うが、俺は相当な陰キャラである。たぶん性格的に一生陽キャラにはなれないだろう。

この辺の概念は、元々「リア充」の対義語として「非リア充」なる言葉が誕生、そして時代の変遷とともにフォーカスされる部分が本人の境遇や環境から精神面、性格面へと移行したという流れだと俺は考えている。これまでそれなりに色々な人と出会ったが、中にはめちゃくちゃな陽キャラもいたし、俺以上の陰キャラもいた。

俺から見て、基本的に陽キャラは「あまり仲良くできないタイプの人」である(一部例外はあるが)。ここで誤解してほしくないのは、「仲良くできない」ということに関して、俺の彼らに対する好き嫌いが原因で仲良くできないという意味ではなく、単純に趣味嗜好の乖離が激しいため話があまり合わず、また彼らの底抜けな明るさに引け目を感じるため仲良くなりにくいという意味で言っているということである。つまり、「(俺の意思としてそうしたくないから)仲良くできない」のではなく、「(容易か困難かというと俺の能力的には後者だから)仲良くできない」ということを言いたいのだ。

 

 

昔の俺は、随分陽キャラを嫌っている人間だった。今は好きな部分とそうではない部分が混在しているが、同時に「すごいな」とは強く感じている。では何が凄いのか。

彼らは基本的に、面白いと感じると大笑いし、悲しいと感じるといかにも沈痛な面持ちをするように見える。感情をそのまま表に出して、互いのいいところを褒め合えるのは素晴らしいことだ。自然に、グループ全体の雰囲気も明るくワイワイしたものになるだろう。概して彼らのグループはエネルギッシュで、楽しい空気で満ちているから人がどんどん集まる。

そしてノリが良く、誰に対しても良く言えば気さく、悪く言えば馴れ馴れしい。そりゃ人生をエンジョイできる筈だ。少数ながら陽キャラの知人が俺にもいるが、彼らは基本的に人の発言を否定しない。相手を問わずに「それいいじゃん!」とサラっと言えるので、彼ら同士ではどんどん会話が弾み、交流が深まる。ここは彼らの大きな美点だと思う。否定から入りがちな人間がちらほらいる陰キャラとの違いはこういう部分かも知れない。馴れ馴れしいのは俺はあまり好きではないのでそこは賛否両論だが……。

先刻述べたが、昔の俺は陽キャラが大嫌いだった。「うるさいだけで、群れて騒ぐしか能のない馬鹿共」などと勝手に決め付けて見下していた過去の自分は頗る愚かだと思う。今でも「うるさいのはちょっとな」とは感じているが、俺は陽キャラの世界を教室や街などで見て分かること程度にしか知らないので、昔の俺が言う「群れて騒ぐしか能のない馬鹿共」かどうかを大して知りもせず勝手に決め付けることはなるべく総力を挙げて避けたいと思っている。

向こうは「陽キャラ」という概念それ自体などではなく(その概念に属する人々ではあるが)生きた人間だから、楽しく遊んでいるだけなのに影で言いがかりをつけられ悪口を言われたら気分を害して当然だ。そうなると陽キャラは陽キャラで「陰キャラは影でしかモノを言えない卑怯な弱虫」と見下して一定の距離を置くか、最悪何らかの反撃をしてくるから(当たり前だが陽キャラは仲間を侮辱されることを強く嫌悪する)、ますます両者の溝は深まるという構造がここに存在していると思う。無論例外もあることを否定はしないが。

中学、高校時代に俺も「陽キャラに嫌なことをされた!あいつらなんて大嫌いだ!」等と考えていた時期があったが、今になって思い返すとだいたい俺の方が最初に何か彼らの気分を害するような言動を影でしていた(悪口を言ったり話したくないからと無視したり……)。そういう自分は極めて卑怯者だと思う。彼らが気付かずに無遠慮なことをして俺が怒った場合もあったのでこちらが100%悪いとまでは思わないが、あたかも自分に全く非がないかのような言説はおかしい。だいたいの陽キャラは、あんまり陰キャラのことを気に留めていない感じがする。勿論こちらが何もしていないのに過剰に関わってきて、あれこれ言ってくるろくでもない奴もいるにはいるが……。

陽キャラはおおよその場合気さくな人間なので、時々こちらにも話しかけてくることがある。だが、俺は生まれてからずっと陰気な人間だったから、話しかけられても返し方が分からないのだ(もしこれを読んでいる陽キャラの人がいたら、恐縮だがこれを心に留めておいてほしい)。だから奇妙な返答になったり、口ごもったりしてしまう。これで相手が実は「陽キャラになりたがっている陰キャラ」だったら最悪だ(俺はこの人種は嫌いである)。間違いなくモゴモゴした返事ただそれだけで見下され、下手するといじめられる。偏見かも知れないが、陰キャラをいじめている奴はだいたいこれだと俺は思っている。陽キャラがどのような意図を以て俺のような陰キャラに話しかけるのかは正直全く分からないが、過去俺に話しかけてきた本物の陽キャラは俺があたふたしていると早々に会話を切り上げるか、こちらが何か喋るまでじっと待っているかのどちらかだった。

 

 

陽キャラ」「陰キャラ」というかなり乱暴な切り分けでここまで書いてきたが、この2つが対立しやすいのは価値観、大事にしているものが大きく異なっているからだと思う。これはあくまでも俺の推測に過ぎないが、陽キャラが大事にしているのは友情や日々の楽しさといった質的な部分で、陰キャラのそれは知識、数値などの量的部分なのではないか。どちらが良くてどちらが悪い等という話は結論が出ないので避けるが、ここに両者が対立しやすい要因があるような気がするのだ。

かつての俺は陽キャラを随分憎んでいたが、それは彼らに対する憧れの裏返しでもあったように思う。だが、一時期陽キャラの真似事をしてみても、ただ心が疲れ果てるだけだった。今は「無理に明るく快活になろうとしなくてもいいのかな」と思えるようになって、そのせいかは分からないが以前より明るくなったと友人に言われることが増えた。俺は、たぶん一生明るく朗らかな人間にはなれないと思う。今後も「陰キャラ」と言われる機会もあるだろう。でも、そういう人生の形もあっていいんじゃないだろうか。あと、人の発言に対し否定から入ることはしないように注意して生きていきたい。

カッコつけたい時期

思春期の男子は、基本的にカッコつけたがる生き物である。今になって振り返ると呆れ返るほど馬鹿なことをカッコいいと思っていた訳で、あの頃女子にウケると思ってやっていたことはだいたい何とも思われていないかダサいと思われていたかの二つに一つだったろう。当時の俺が自己をある程度客観的に見つめる視点を著しく欠いていたことは否めない。

 

中学生の頃、ポケットに手を入れて歩くのがカッコいいと思っていた。何だか少し悪な感じがして(中学生男子にとって、カッコつけと少し悪は同義語である)、特に登下校の最中によくやっていた。たぶんそもそも女子に気付かれてなかったと思う。思い返してみてもかなりダサい。考えてみれば、中学で背が伸びまくってズボンが七分丈みたいになっていた制服で不良ぶってもコントにしか見えないだろう。不良が腰パンで手を突っ込んでいるならまだしも、モサッとした髪型にニキビだらけの顔をした気持ち悪いオタクがそんなことをしていても女子にウケる要素などどこにもないのは至極当たり前である。

制服に関するカッコつけは色々あった。上着の下に着るシャツは長袖と半袖の二種類あって、夏以外は長袖を着用する。この長袖シャツを腕捲りして着るのがカッコいいと思っていた。猛者になると、半袖の時ですら捲ってノースリーブのシャツみたいにしていた。捲れた袖が肩のところでクロワッサンみたいに丸まっているのが少し笑える着こなしである。他にも(俺はやってなかったが)、上着のボタンをわざと留めないで前を開けて着たり、靴のかかとをわざと踏んで履いたり……。とにかく制服は崩して着るのがカッコいいとだいたいの男子は考えていたようである。女子がどう感じていたかは全く知らないが、少なくとも「カッコいい」とは多分思ってないだろう。清潔感ないし。この頃の体験を通じて、後に俺は「清潔感」というものが女性が男性を評価する上でかなり大きなウェイトを占めていることを学んだ。

 

ありがちな話だが、「女になんか全然興味ないから」とスカした態度を取るのがカッコいいと思っていた。むろん実際のところは思春期であるから「女子にモテたい」「彼女がほしい」「女子の裸を見たい」「おっぱい揉みたい」「おっぱい揉みたい」「おっぱい揉みたい」……等ということしか考えていない。10代男子のガラスの心にとって「めちゃくちゃモテたいのに現実的には女子に毛ほども相手にされていない自分」を受け入れることは耐え難い屈辱である。それをどうにか受け入れるために編み出したのが「女になんか興味ないからモテなくても全然悔しくない」という態度だった訳だ。もうこの文章を見ただけでも「死ぬほどモテたいんだろうし、おっぱいとかも揉みたいんだろうな~」と感じられて苦笑いしてしまう。事実、俺は何とかしておっぱいが揉めないかとあれこれ考えを巡らせては良いアイデアが思い付かず虚しく眠ることを中学時代繰り返していた。3年間でその成果が出たかどうか、読者諸賢は書かなくても勿論お分かりだろう。後に高校へ入学してから、この辺の性的欲望は一気にオープンな、かつ負の方向へと振り切れることになる。

今になって振り返ると、そんなにモテたいのならもっさりした髪型を整えるとか筋肉をもっとつけるとか(俺の中には思春期の女子は大抵運動部の筋肉質な男子が好きだという偏見がある)、色々できることはあった筈だ。ありのままの自分を受け入れてほしいという10年前の自分が抱く気持ちは分からなくもないが、それが可能なルックスや性格、能力を磨いてこなかったことに俺は愚かにも気づいていなかった。極端に言えば、レストランで生の豚肉を出されて「これがありのままの豚肉ですので、受け入れてお召し上がりください」等と言われるようなものである。加工して見栄えや味を良くしたから食べてもらえるわけで、何も加工しないまま食えと要求されてもどだい無理な話だ。そもそも、「モテたい=色んな異性に好かれてその中から自分の一番好みな異性を自由に選びたい」というとんでもなく傍若無人な欲望であり、そりゃそんなこと考えてる奴が女子から相手にされないのも当然だ。相手は玩具店に売っているお人形さんではなく、一人の生きた人間の女の子なのだから。

 

特に成績の良い男子にありがちなことだが、定期試験前になると「今回全然勉強してないからなぁ~」と女子の前で言う。本当は机にかじりついてめちゃくちゃ勉強しているのに。

勉強していないことがカッコいいと思っていた時期が俺にもあった。しかし実際は何だかんだ勉強していたから、それを女子に知られてはいけない訳だ。今になると心底馬鹿だと思うが、当時の俺は『勉強してないアピール→試験で高得点→女子に「カッコいい!!すごい!!♥️♥️」と言われる』と内心まあまあ本気で思っていた。実際のところは、俺のような陰気な男子が高得点を取っても良くて精々「あーそうなんだ、すごいね」程度である。女子との関わりが少なかったから当たり前だ。むしろ「すごいね」と言ってくれればまだいい方かも知れない。因みに、一番俺の成績を褒めてくれた異性はダントツで姉だった(俺の母親は子供を褒めない人だ)。

勉強関連で言うと、女子に勉強を教えてくれと頼まれたときにわざとぶっきらぼうに教えるのがカッコいいと思っていた。折角頼ってくれたのに失礼以外の何物でもない。「こんなの誰でもわかるだろ、簡単だよ」とかほざいてる暇があるなら練習問題のひとつでも作問した方がまだ好印象なのは考えるまでもない。あと、学生時代の女の子は勉強してないアピールにばかり精を出している俺のような男子よりも、毎日コツコツ目標に向かって頑張ってる努力家な男子の方が多分好きだと思う。

今までの人生で学んだことだが、女性は基本的に一目惚れの割合が男性に比べて非常に低いような気がする。女性というものは全員そうだと主張する訳ではないが、少なくとも俺の周囲にいた女性はあまり一目惚れをしなかったように思う。そして、女性が男性を評価するとき、俺には未だにハッキリと実態の掴めない「生理的に無理」というカテゴリーがあるらしい。姉に訊いたところ「清潔感のない人は全員そこだね」とのことだった。また「清潔感」か……。まあ男性の俺も髪の毛が脂でテカテカしてたり、フケだらけだったり、シャツが皺だらけでヨレヨレだったりする女性は確かに嫌だから、その感覚の強化版みたいなものなのだろうか。

 

他にも色々と意味不明なカッコつけは存在した。夜更かしをするのがカッコいい、授業中居眠りをするのがカッコいい、早弁をするのがカッコいい、テストで高得点を取っても平然としているのがカッコいい、等々……。正直書いていて恥ずかしいが、昔の俺は大真面目だった。自分でも非常に気持ち悪いと思う。ありのままでモテる人間など数はそんなに多くないから、それを自覚した上で何とか工夫をしていたという思い切り好意的な解釈をしても、流石にダサい以外の感想がない。

因みに、俺には弟がいるのだが、彼は彼で「女に興味ないカッコつけ」を俺以上に尖った形で行っていた。バレンタインデーにクラスの女子から呼び出され(弟は俺よりだいぶモテる男だ)、チョコを渡され告白されたにも関わらず「いや、付き合うとか興味ねえから」などと言って断った話をニヤニヤ笑いながら自慢げにしていたのを覚えている。弟の手には、その女子から貰ったチョコレートの食べかけがしっかりと握られていた。

告白断っておいてチョコだけもらってくるなよ。おい。