流し読み

俺にまつわるエトセトラ

零細IT企業物語

桜の木が花びらを散らし、春の暖かい日差しが徐々に強さを増してきた初夏、俺は会社を辞めた。僅かな期間の勤務だったが、非常に濃密な時間だった。この「濃密」というのは、もちろん悪い意味で、ということである。あらゆる悪意、例えば軽蔑、嫉妬、欺瞞、傲慢、怠惰……様々な感情が渦巻く、そこはまさに魔境だった。思い出すだけでも恐ろしく、悲しく、そして腹立たしい。そこでの奇妙な体験の数々はいまでも理解に苦しむものも多く、当たり前のことが当たり前でない異常な企業体質だった。働いていた当時はそれがどこの会社でも常識なのだろうと考えていたが、今の職場に移ってからそれがとんでもない勘違いで、社員を低賃金で長時間こき使うための方便だったと気付かされた。零細IT企業には、濁ったドブのようなヌメヌメした空気が漂っている。そして、そこに咲いているのは泥水から花を咲かせる気高く美しい蓮の花ではなく、打ち捨てられた名もなき汚れた水草たちの、悪意と諦念の花なのだ。

 

初めにおかしさを感じたのは、採用面接の時である。社長自らが面接(オンラインのものだった)をしていたのだが、まず格好が極めてラフであった。ノーネクタイで、スーツの上着も着ていない。椅子の背もたれに思い切りもたれかかり、腕を組んでいる。流石に今までそのような態度の面接官に出会ったことは無かったのだが、違和感はこれだけではなかった。
彼は面接の終わり際に、「先に言っちゃうけど、大丈夫そうだし内定だと思うよ~」などと言い出した。とにかく仕事が欲しいと思っていた当時の俺はよく考えもせずに飛び付いてしまったが、いま考えればこれもおかしな話だ。わずか数十分喋っただけの人間を、履歴書や受け答え内容を精査することもなく、あっさり内定を出す。それだけ人手が足りていないことの現れだが、そこまで頭が回る余裕は当時の俺にはなかった。他に内定も出ていなかったので、承諾書を提出し、入社と相成った。
入社してみると、それまで社会人の友達から聞いていた企業風土とは全く異なる環境が俺を待っていた。
まず、社内の空気がどんよりとして活気がない。雑居ビルの一角に事務所があったのだが、とにかく空気が濁っている。俺はこの空気、雰囲気の悪さに、内心強い猜疑心を抱いていた。しかし、先輩社員とは初対面なのだから、元気に挨拶をせねばならぬ。これから、ここの人たちに世話になるのだ。挨拶は肝心である。俺は、両親から初めて会った人にはきちんと挨拶をするようにしつけられて今まで育ってきた。
「本日からお世話になります、よろしくお願いいたします!」
「しまーす……」
なぜか、誰もこちらの目を見て挨拶をしない。皆挨拶もそこそこに、パソコンの画面とにらめっこをして、何かよくわからない文字列を猛スピードで書き込んでいる。
たぶん、彼らに悪意はない。礼儀知らずな訳でもない。単純に、俺に興味がなかったのだと思う。後々知ることになるが、この会社では新人が突然来なくなって辞めてしまうのはよくある話だった。彼らからしてみれば「この新人も何ヵ月かしたら辞めるんだろうな」程度にしか感じていなかっただろう。そしてその予感は正しかった。
働き始めてすぐ、上司との間で例の「分からないなら訊けよ!」→「自分で調べろ!」→「分からないなら訊けよ!」→「自分で調べろ!」……の無限ループが始まる。社長に相談したら、「よく分かんないけど、君は新人なんだからそういう理不尽にも黙って耐えないと。それに本当にちゃんと調べてる?笑」等と宣う。他の上司も、俺が頼んだ仕事に対して、驚くほど非協力的だ。「君に仕事を教えたり手伝ったりしても意味ないんだよね。教えるのは給料のうちに入っていないし、他の奴の仕事なんて知ったこっちゃない、会社ってのはそういうもんだろ?」というのが彼らの言い分のようだった。実際、それに近いことも何度か言われた。これが作り話ならブラックジョークで済むのだが(いや、済まないかもしれないが)、あいにく実話である。理不尽なことを要求してくる上司も上司だが、それを理不尽と感じつつほったらかしにしている社長の考え方には驚きを禁じ得なかった。当時を思い返すと、彼らも客先から理不尽とも思える案件の要求をよくされていたし、それを当たり前のように請け負って毎日23時くらいまで残業していたから、理不尽に対する感覚が鈍っていて、俺の言っていることが理解できなかったのかもしれないと考えることもある(勿論それでも許しがたい話ではあるが)。

 

ここでIT業界をよく知らない方のために、この業界の産業構造について軽く述べておく。といっても前の会社の先輩(唯一比較的良心を持っている人がいた)に教わったことと、俺が調べた内容に限った話なので、正確で広範な情報に触れたい人は他を当たってみてほしい。
基本的に、日本のIT企業はSIerSystem Integrationにerをつけた和製英語)と呼ばれるものかWeb制作会社のどちらかで、そのうち大部分を占めるSIerはいわゆるNECDELL富士通など誰でも知ってるような超大手のITゼネコンを頂点とした多重下請け構造のピラミッドを形成している。ピラミッドの頂点が案件を受注して上流工程を済ませたら、あとは下請け①(そこそこ大企業)に発注→下請け①が分割してさらに下請け②(中小企業)に発注→さらに下請け②が下請け③(零細企業)に発注、という風に、下請けへの振り分けと中抜きを繰り返し案件は細分化されて完成を目指すことになる。大手ITゼネコンの労働環境は、実際に働いたことがないのでよく知らないが、少なくとも末端の企業とは比較しようがないほど良いものだと聞く。そして、零細企業の労働環境はもはや言うまでもない。零細企業における俺のような末端の労働者は、基本的に低賃金長時間労働で、潰れるまで使い続けるのがスタンダードだ。それが一番安く済むし、潰れた若者の将来など経営者や元請けの知ったことではないのだから。
顧客は顧客で、システム開発に関しては素人であるから、「この部分をちょっとだけ変えてほしい!」という要求を後出しでしてくることもよくある。この「ちょっとだけ」が、開発する側から見ると全く「ちょっとだけ」で済んでいないことがあり、そして顧客はそれを知らない。開発する技術者側も、一から解説するのも面倒だし納期まで時間もないし、こういうよくある要求をいちいち断っていたら仕事がなくなってしまうので、説明をしない。結果、さらに労働時間は増していくし、この要求を断らなかったことによって、「後から追加でお願いしてもダイジョブなんだ!」という、自らの首を絞める前例を作っていく。そもそも、文系や高卒出身の末端の労働者が実際の工程に携わり、情報系の学科を出た優秀な理系出身者が実務ではなく大手企業で上流工程や下請けのマネジメントを行っている構造もだいぶおかしなものだと思うのだが(この文章は文系理系どちらが優れているか、などという論争の提起を意図したものではない)、それ以上におかしいのは産業全体の構造である。この話を続けると、若者の貧困やら新卒一括採用の見直しやら、いろいろな問題に繋がりがある気がしないでもないが、あまりに長くなりすぎるのでここでは止めておく。

 

前の会社で何をやっていたかを話したことはほぼなかったと思うのでそれも少し触れておく。
下請けで開発を請け負ったシステムのテストや、サーバの保守点検、webサイト制作等々、雑多に色々やっていた感じである。入社していくらも経たない新人のできることは少なかったが、社長から「これやっといて、やり方は全部調べて、教えるのは俺の仕事じゃないから」と雑な仕事の振り方をされ、次から次へと内容もやり方も分からぬまま、必死でググり&コピペの連続で仕事をこなした(教えてくれる親切な人は無論いない)。社長の方針なのかは知らないが、とにかく何でも引き受ける会社だったので、今自分が何の仕事をしているのかすらよく知らないまま、ただ黙って体を動かしていた。今の職場で役立ったスキルもあるにはあるが、それを身につけさせてもらったという感謝の念は、自分でも笑ってしまうほどに全くない。会社の誰かに教わって習得した部分も多少あるが、それでも感謝の気持ちは全くない。これは誰しもある経験だと思うが、誰かに受けた恩を思い出せば思い出すほど、その人に感謝する気持ちにならないということが人生にはままあるように思う。こういう話は俺の好きな分野だが、今回の趣旨からは外れるので続きは別の機会に。

会社を辞めることが決まった日は、不思議な虚脱感しかなかった。嬉しさがもっと湧いてくるかと思ったが、全くなかったのははっきり覚えている。
退勤して、東京の夜空を眺める。折しも新型コロナウイルスの爆発的な感染拡大が起きた時期であり、飲食店は退勤時間にはもう閉まっていた。家についても、何か作る元気もない。コンビニで買ったお握りを食べて、転職サイトでいくつか求人に応募する。煙草を何本も吸って、明け方まで布団の中で眠ったふりをする。自業自得といえばそれまでだし、自分でもそう感じる。大学時代になまけてばかりいたツケが一気に来たのだろう。いうなれば、きついお灸を据えられたというわけだ。そう思っておくのが一番いいように思う。いい記憶など全くない日々だったが、そこに気づかせてもらえたことだけは良かったかもしれない。
今の職場に採用されてから、前の会社の話になり、上司にここまで書いてきたような話をほんの少しだけした。上司は驚き、「本当にそんなところがあるんだねえ……」と、信じられないといった表情で漏らしていた。
俺も信じられなかった。だが、そういう会社は、確かに実在している。

 

2022年1月10日 雪の降る夜に記す