流し読み

俺にまつわるエトセトラ

カレーライス地獄

先日の夕方、自宅でカレーライスを作っていた。一人暮らしなので、カレーのルーさえ沢山作ってしまえば、その後しばらくは料理の面倒臭さからは解放されることになる。代わりに2日ほど朝晩カレーが続くが……。何より、やはりレトルトではなく自分で作ったカレーの美味さは格別である。

この日も、俺は鼻歌でBruno Marsの「Runaway Baby」を歌いつつ、気分良くジャガイモ、人参、玉ねぎを刻み、ニンニクをすりおろし、圧力鍋に具材をぶちこんでトマトジュースと水で煮込んでいた。圧力鍋は文明の利器だ。こんなに便利なものがあったのなら、もっと早く手に入れておけばよかったと常々感じる。蓋の圧力メーターのフチが緑になるまで加熱したら弱火で15分、あとは火を消して放っておけば具材はキッチリ煮込まれているという寸法だ。

圧力メーターが下がったのを確認し、ワクワクしながら蓋を開ける。ジャガイモも人参も、火がしっかり通っており、かつ崩れてはいない上々の仕上がりだ。あとはルーを入れて溶かすだけ。

 

しかし、ここで問題が発生する。

 

一体、この量の具材と煮汁にはどの程度のルーを溶かすのが正解なのか。今日は作り置きを意図して、普段よりもだいぶ多めに作っている。となると、適切なルーの量はどうなる……?視界良好だと思っていたカレー作りに、俄に暗雲が立ち込める。

とりあえず、普段は固形ルーを2つ入れるから増やして3つにしてみる。10分ほどで溶け、いつも通りの芳しいスパイスの香りが……しない。何か匂いが水っぽいぞ?

味見をする。嫌な予感で小皿が震えるが、覚悟を決めて一息にいただく。

匂いに感じた違和感は的中!味が薄い、とにかく水っぽい。いわゆるシャバシャバのカレーである。どうやらルーが足りないようだ。

原因が分かれば、あとは解決策を練り、実行するだけだ。追加のルーをとりあえず1つ投入。料理にこういう味の薄さ問題が起きた時、肝心なのは少しずつ味を濃くし、味見を何度もすることだ。一気に濃くすると今度は高血圧が気になるレベルのしょっぱさを招くこともある。慎重に、丁寧に、美味しく食べてくれる人の顔を思い浮かべて……って食べるの俺だけじゃねえか。

とにかく、1つ足してみたところ、味は満足のゆくものになった。しかし、まだ解決していない問題があったのだ。

 

あれ?まだ水っぽくないか?

 

そう、まだルーがシャバシャバの水っぽい仕上がりなのだ。俺はカレールーはドロドロ派なのだ、水っぽいカレールーなど言語道断、受け入れることは到底不可能である。

そこで、流しの下から取り出したのは小麦粉である。こいつを混ぜればドロドロになると以前料理本で読んだのだ。最近の料理本は、様々なコンセプトのものが揃っていて、読んでるだけでも大変楽しい。今度は煮物の本を買おう。

話が脱線した。小麦粉をちょっとずつ混ぜ、ドロドロのルーを仕上げていく。確かにとろみがついてきたようだ。カレー独特のツンと鼻腔を突く香りが何ともかぐわしい。充分に溶かしたところで、出来上がりだ。

食べてみると、少し粉っぽいもののうまい。充分食える味である。俺は腹を満たし、残りのカレールーの入った鍋には蓋をして、ぐっすり眠った。

 

翌朝起きて、カレーを食べるためにルーを暖める。グツグツ言い出したら、ご飯とルーをよそい、いただきます。ん?

 

めちゃくちゃ粉っぽい。

 

原因はよく分からないが、見たところどうやら、一晩寝かせたら小麦粉が浮いてきてしまったらしい。ふざけた話である。こっちはただドロドロの美味いカレーが食いたいだけなのに何ということだ。しかも思い出してみると、今回は作り置きを考えてかなり多めに作ったはず。ということは……。

恐る恐る鍋を見る。案の定、そこにはまだまだ沢山の粉っぽいカレールーが鎮座していた。アメリカ人なら、こういうときOh my Godと叫ぶのだろう。お陰で英会話の用法例を一つ覚えられた訳だ。浮いてきやがった小麦粉には、感謝の念を禁じ得ない。

こうして美味しく食べるはずのカレーを無駄に粉っぽくしてしまい、おまけに多めに作ったために、しばらく粉っぽいカレー地獄に苦しむ破目になった、馬鹿な男がいたというお話。それではまた。