流し読み

俺にまつわるエトセトラ

文章をうまく書く

文章力とは、どのような力なのだろうか。少し面倒な言い方をすると、今回は「文章をうまく書くこと」について文章を書く。

 

1.基本的な文章の巧拙

文章を書く目的は、大方の場合「他者に何らかのメッセージを伝えること」だろう。日記や個人的なメモなど、それを目的としない文章(つまり自分以外の人間が読むことを想定せずに書かれた文章)もあるにはあるが、普段我々が声に出したり、手紙やメール、SNS等で書く、或いは打つ文章は、誰かに聴かれること、読まれることを前提としているのは間違いない。

これを念頭に置いて、基本的な文章の巧拙について考える。

「他者に何らかのメッセージを伝えること」が文章の目的とすれば、文章の巧拙は通常「そのメッセージが伝わりやすいか否か」で判断されるのが妥当と言えよう。以下に例を示してみる。

 

a.私は彼の不審な挙動が気になり、何故そんなことをするのか尋ねた。

b.私は彼のやることが何だか変だなーと思ったから、私は何だか彼のやることのわけが気になったから、私は今の彼のやることのわけを訊いてみた。

 

aとbの文章は、その伝えたい内容は同じだ。しかし、aとbの文章を比較して「bの方が読みやすい!卓抜な文章だ!」と感じる人は恐らくあまり多くないのではないか。

その理由としては、

1.aと比較してbは冗長であるから。

2.aと比較してbは「何だか」という言葉を、同じ意味合いを持たせて一つの文中で二度用いているから。

3.aと比較してbは「今"の"彼"の"やること"の"」と同じ助詞を三度続けて用いているから。

4.aと比較してbは「彼のやること」という同じ名詞節を三度用いており、代名詞を使っていないから。

5.aと比較してbは「"私は"何だか~」「"私は"今の~」等、省略可能な主語を全く省略していないから。

6.aと比較してbは「から」という接尾語を同じ文中で二度用いているから。

これらが挙げられるだろう。aとbを比較した場合、上記の要因によりbの方が「メッセージの伝わりやすさ」という文章の最も重要な部分において、劣っていると言える。bの文章は、もう少し推敲を重ねた形で読み手の目に入るのが望ましい。

bの文章をもし整理して読みやすいもの(いわばb')にするなら、このような形になるだろう。

b'.私は彼のやることが変だと思い、その理由が気になったため、わけを尋ねてみた。

 

2.助詞の使い方に気を付ける

以前、ラジオNIKKEIの中野雷太アナウンサーが自身の競馬レース実況における助詞の使い方について話しているのを聞き、大変納得がいった記憶がある。彼曰く「内ラチ沿いを伸びてくる馬には『内から』と言う」「僕が『今日は』と言ったら、それは前回、前々回とは違っている。逆に『今日も』と言ったら、前回、前々回と同じ」なのだそうだ。試しに、彼の実況したレースの中からこれらのフレーズが使われている部分を引用してみる。

「その外"から"1番のキズナも追ってこれは横に広がった大激戦」…2013年日本ダービー

「さあ先頭4番ジェネラーレウーノ、今日"は"行きました」…2018年菊花賞

「12番ミッキースワロー今日"も"アルアインを前に見ています」…2017年菊花賞

こうして見てみると、助詞の使い方ひとつで文章全体の印象が少なからず左右されることが伺えるのではないだろうか。

前章で述べた通り、同じ助詞を続ければくどくなるし、本章で述べたように、いつもと同じことを「今日は○○だ」と表現すると文章として適切とはあまり言えない。

「も」と言えば、「他のことがらや過去の出来事と同様に今述べた内容が成立する」という意味合いを伝達できる。逆に、「は」と言うと、「他のことがらや過去の出来事に関係なく、今述べた内容のみについてそれが成立する」ということがニュアンスとして伝わるだろう。

「も」を使うなら例えば、

A「私"は"いつも休みの日は家でゴロゴロしてるんだけど、あなたはどう?」

B「私"も"そうしています。」

というように、Aという人物の話した事柄についてBも同様にそうであると示したい場合に適切だろう。

「は」について述べるなら、

A「私"は"いつも休みの日は家でゴロゴロしてるんだけど、あなたはどう?」

B「私"は"よく外出しますね。」

といった具合に、AとBの述べた内容が違っており、ABそれぞれ「互いに関係なく自分についてのみ今述べた行動様式が成立する」というニュアンスを文章に含ませたい場合に使うのが良いと思われる。

例示が長くなったが、つまり過去の出来事やその場の状況、他の物事との関連を考えた上でそれに即した助詞を選択し、文章を構成していくことが「読みやすい文章」を作成するためには欠かせないということである。

 

3.着飾りすぎは必ずしも良いことではない

着飾る、つまり文章を豪華絢爛に書くということであるが、これは必ずしも良いことではない(ここで注意してほしいのは、これが絶対的に悪いことだとは私は全く言っていないということである)。

何が言いたいかというと、必要のない場面で文章をわざと難解に書きすぎるなということだ。以下に例を示してみる。

 

a.このような姿をお見せしてしまい、誠にお恥ずかしい限りです。

b.斯様な醜態を曝してしまい、甚も慚愧の念に堪えません。

 

aとbで言いたいことはだいたい同じなのだが、bは過度に文章を難しく書いている。「醜態」ぐらいならまあ大抵の人は読み書きできるだろうが、「慚愧の念(ざんきのねん)」「甚も(いたも)」などは普段あまり目にしない言葉だ。

これが小説で書かれた文章ならまだ良いだろう。何故なら、小説は文章の伝わりやすさも無論大事だが、表現技法としての言葉選び、文章全体の質感も同じぐらい大事であるからだ。例えば、もしも中島敦の『山月記』で急に「なんか俺気付いたら虎になっちゃっててマジビビったわ~」などという文章が出てきたら、前後の文章とのあまりのテイストの違いにこちら側がマジビビったわ~になってしまう。つまり、小説家がわざと難解に文章を書くことや、逆にわざと易しく文章を書くことにはある種の必要性があると推察される訳だ。

しかし、上の文章aとbが、普段の生活の場において何らかの謝罪を目的として作成されたものだとすると、bのようにわざと難解な言葉を用い、衒学的に書く必要性はどこにもない。aとbの文章と比較すると文章の最大の目的である「メッセージの伝わりやすさ」という点においてbの文章はaに大きな遅れを取っていると言わざるを得ないだろう。

まとめると、文章を豪華絢爛に飾り立てるのはある時はそれが表現の美しさを醸し出すが、場合によっては「伝わりにくく読みづらい、目的を果たせぬただ難しい言葉を並べただけの文章」になってしまうということだ。注意されたし。

 

4.最後に

かなり久々のブログ更新になり、テーマも「文章をうまく書くこと」などという極めて主観の入りやすいものだったので少し疲れた。

という訳で、最後にもう一度だけ今書いているこの記事を推敲したら、晴れてブログの更新である。ではまた。

 

追記

もう一度推敲したら誤字を見つけた。推敲は重ねるに越したことはないな。

ゲームへの眼差し

俺の実家はテレビゲーム禁止の家庭だった。これは今時わりと珍しいことのようで、周囲でそういう家庭環境に育った人は現在に至るまで寡聞にして知らない。姉が小学5年生のとき、誕生日にDSを買ってほしいと父親にねだったことがあったが、とりつく島もない様子であった。

俺が小学生だった頃、クラスではモンスターハンターが大流行していた。無論俺もプレイしたかったが、買ってもらえない以上どうしようもない。仕方なく友達の家でDSを借りてプレイさせてもらっていた。買ってくれと父親におねだりすることは、何故か非常にみっともないことのように思えたのでしなかった。俺はそういうどこか「利口ぶった」小学生だった。

そんな調子だから、勿論クラスメイトのゲーム話には全くついていけない。

「この前モンハンのティガレックスが云々」

マリオカートの◯◯ステージをようやくクリアして云々」

これらの話をしているクラスメイトが非常に羨ましく思われたと同時に、強い孤立感を覚えたのは事実だ。彼らが遠くに行ってしまったような気がして、ゲームを買ってもらえない自分が少し惨めだった。

結局、父親によるこの「ゲーム禁止」は俺が高校を卒業するまで18年続いた。先日実家に帰ったら弟が居間のテレビで堂々とNintendo Switch版の「大乱闘スマッシュブラザーズ」をプレイしていて俺がぶったまげた話はまた別の機会にでもする。

中学高校の時もゲームの話は相変わらず全く分からなかったが、抑制された「ゲームをしたい」という願望が形になって現れてきていた。その頃、YouTubeニコニコ動画というものに初めて出会ったのだが、ゲームをプレイし、その実況をする動画がポツポツ投稿されていた。俺はその実況動画に追体験を求めて、親が寝静まった後一人居間のパソコンで動画を再生しニヤついていた訳である。

 

大学に入学して実家を離れ、初めて「おおっぴらに家でゲームをしていても誰にも咎められない環境」を手に入れた18歳の俺ではあったが、しかしその段階に至ると今度は、何故か「ゲームを買うこと」に仄かな罪悪感を覚えるようになった。ゲームショップに行くと、何故か悪いことをしている気分になる。これは今でも同じである。据え置き型のゲーム(この呼称が正しいかは分からない)を購入することは、俺にとっては相当な覚悟が必要な行為なのだ。あるいはDS、PSPWiiもそうだ。何故か買うのが怖い。

俺は現在ソシャゲにドハマりしてたまに課金をしたりもしている。ソシャゲというものの存在をまともに知ったのが大学生になってから、というのがその要因なのか?それともそのコンテンツが単純に好きだから?理由は今でもよくわからない。

 

ちなみに、俺が一番長くプレイしたテレビゲームは、近所の文教堂書店に体験版として置かれていたウルトラマン格闘ゲームである。俺がケムラーに苦戦していたところに突然現れて、毒ガスの来るタイミングを教えてくれたあのTシャツスポーツ刈りの少年は今どうしているだろうか。

少年から青年への目覚め─川原にて─

※この記事には性的な記述が含まれています。そのことに留意された上で、それでも良いという方のみ、以下の文章をお読み下さい。

 

小学校4年生か5年生の時だったと思うのだが、ある休日に自転車で出かけた。何か明確な目標があったわけではないが、ただ漠然と「自分が行ける限界まで行ってみたい」と考えて自転車のストッパーを蹴ったのは覚えている。

その頃住んでいた地域はそこそこな田舎で(詳細は以前書いた「あの頃」という記事参照)、当時持っていた地図帳を見ると隅っこにはダム湖が描いてあった。とりあえずそのダム湖を目標にして自転車を漕いだ。季節は初夏で、山々が緑に染まり風に揺れていた。

やがて大きな橋が架かった川に差し掛かった。当時の僕は大変な昆虫好きで、川原にはトノサマバッタを捕まえによく行っていたので、勿論この川原にも立ち寄って虫を探すことにした。よくある田舎少年の光景である。僕は嬉々として自転車を止め、川原をうろうろしていた。

 

人生というのは何が起こるか分からないものだ。その瞬間まで頭の片隅にも思わなかった物事が突然目の前に立ちふさがるなんてことはよくある。あの時の僕もそうだった。

 

川原を歩いていると、ちょうど橋の真下、影が落ちてくるところに汚い紙束が大量に落ちていた。正義感に溢れる少年だった当時の僕は、当然それを回収して自宅に持ち帰り、「燃えるゴミ」の箱にぶち込むことが責務であると考え、その紙束を拾った。勘の良い読者の方ならもう今後の展開にお気づきだろう。

見てみると、その紙束には女性の裸の写真が ”カラーで”  印刷されていた。僕は当時性的な物事への興味関心などは全くなく、また性欲の何たるかも考えたこともなかった。これが平均的なものなのか、それとも遅いものなのかはよく分からないが、そんなことは些細な問題だ。

その紙束に印刷された "カラーの" 女性の裸からなぜか目が離せなかったのは鮮明に覚えている。僕は男性であるし、身近な女性は家族しかいないから、女性の裸をまともに見るのはそれが初めての体験であったことは言うまでもない。こういう話に共通して存在する感覚だと思うのだが、僕はなぜか自分が途轍もない大罪を犯しているような気分になり、慌てて周囲を見回した。幸か不幸か、ちょうどカヌーサークルか何かの団体が川を下っているところであり、船上のおじさんとばっちり目が合ってしまった。僕は必死で「川原のゴミ拾いをしている、道徳心に溢れ身近な環境問題に通暁した少年」を演じることで平静を保った。あの時の演技は、その年の学習発表会で主役を演じた全ての同級生よりも秀でていたに違いない。

無論、その紙束(通俗的な言い方をすると捨てられたエロ本)を僕は自宅へ持って帰らなかった。川原に落ちていたゴミを置き去りにすることに対する道徳心の痛みよりも、未知の罪悪感からの逃避の方が重要な問題であったからだ。

その後、保健の教科書を僕がそれまでより少し熱心に読むようになった話や、18歳になってから暫く経った高校3年生の冬に初めてエロ本を自前で買った話はまた別の機会にでもすることにしようと思う。

素直じゃない「素直」

素直になれ?

突然だが、皆さんはこんな経験をしたことはないだろうか。

 

例えば、あなたは最近恋愛に冷めていて、しばらく恋人など別に欲しくはないなと考えている。今の生活にも満足しており恋人がいない寂しさも特筆するほどではなく、結婚についても焦る気持ちはない。

そんなある日、あなたは友人と飲みに行く。友人は、あなたに向かって「最近恋人がいないと言っているが寂しい筈だ、こんど好い人を紹介しよう」などと言い出す。あなたにとって恋愛は別に急を要する問題ではないから、そんなことはしなくていい、私は今の生活に満足しているし恋人も欲しくはないと返事をすると、友人は「そんな強がりを言わなくてもいい、本当は寂しいんだろう」「自分の気持ちに素直になりなよ」と言ってくる。あなたは何だか心にスッキリしないものを抱えたまま、結局その話を受けてしまう……。

 

このような、「強がるな」「素直になりなよ」体験(恋人に限った話ではなく、仕事や生活、人間関係など多岐に渡るだろう)をしたことがあるという人は、それなりにいるのではあるまいか。

 

 

「素直な気持ち」は必ずしも「素直な気持ち」とは捉えられない

上記の例で、もしあなたが本当は恋人がいないことが不満足で、寂しさと毎夜戦っているとしたならば、友人の言葉は悩みを吐露しやすくするものかも知れない。だが、いずれにせよこの友人がやっているのは、相手の気持ちを勝手に自分の都合のいいように解釈し、それ以外の感情の発露を一切認めず、あなた本人の気持ちを無理矢理規定して悪びれもしていない悪辣な行為である。

「素直な気持ち」をたとえ吐露したとしても、その場にいる人間にとって面白いもの、彼らの希望に沿うものでなければそれは「素直ではない」と強制的に決定され、それに言い返すと「ムキになっている」「強がっている」と捉えられ、どうあっても真面目に聞いてもらうことなどもはや望むべくもない。

やがて、あなたは「素直になってみろよ」と言われるとむしろ素直になれず、本当の気持ちがどうなのかとは関係なしに「いやはや実は恋人がいないと寂しくて…」「本当はあいつが先に昇進したのが悔しくてね…」といかにも相手にウケそうな台詞を選ぶようになる。すると相手はウンウンと頷いて満足げに「そうだろうそうだろう」と、こう来るわけだ。

 

「素直になろう」のズルさ

「素直になろう」がズルいのは、ここでたとえ「俺は素直に話したつもりだ」と言い返しても、絶対にそれを相手はまともに取り合わないところだ。「まーたそんなに強がっちゃって…」「強情なやつだなあ」なんてニヤニヤ笑いながら言う。「なぜ俺は素直ではないと断定できるのか」といくら訊いたって、こいつ強がってムキになっているぜとからかわれて終わりである。素直かそうでないかの判断基準なんていう話には、絶対に乗ってこない。ひたすら茶化してからかって、それだけだ。

結局のところ、本当にその言葉が素直なものかどうかなど何ら大事なことではなく、その場の話のタネとして面白いか、「素直になれよ」と言った人間が、そう発言した者"だけは少なくとも"楽しいかどうか、という事項のみが大事なのだ。言動が自己中心的なのはまだいいとしても、それに対する反論の一切を「強がってる断定」「茶化し」で遮断しこちらの感情を勝手に決めてかかってくる卑怯さズルさは、非常に神経に障る。「素直になれよ」と言われると、僕は内心に苛立ちを禁じ得ない。

そのうちに、「俺は素直に言ったんだけど」と返しているとやがて「なんだこいつは、異常な奴だ」といった目で見られ始める。彼らの勝手に考えた「きっとこうだろう、これなら面白かろう」に沿わない感情を持ち合わせていると、それは異常なことらしいのだ。異常なのは、相手の感情を勝手に規定してそれ以外の一切を認めず、反論も許さない人間の方だと思うのだが……。

なので、これから先「素直になれよ」と言われたら「素直な僕の感情として申し上げますが、そんなことを言われるのは不愉快なのでやめていただきたい」と返すことにしようかと思う。臆病者なので多分出来ないなこれ。

ハイライト

僕は喫煙者だ。最近の世の中は嫌煙の潮流があって少し肩身が狭いが、実際副流煙は非常に健康を害するから仕方ないことだろう。まあとにかく、今回は喫煙の害やらたばこ条例やらの社会的な話がしたくてこの記事を書いている訳ではないので、その辺のことについては触れない。

 

僕の一番頻繁に吸っている銘柄は断トツでハイライトだ。JT日本たばこ産業)の生産する純国産の煙草で、1960年の発売以来今日まで長く愛されている日本を代表する銘柄である。僕は現在、1日だいたい7~10本ほど吸うので、2、3日に1箱くらいのペースで買っている。値段は20本入りの1箱で420円。タール17mg、ニコチン1.4mgで、現在コンビニで売っている煙草の中では重い部類に入ると言えよう。

ハイライトという名前は、hi-liteと綴る。「もっと陽の当たる場所」という意味らしい。発売された1960年は、4年前の1956年には経済白書に「もはや戦後ではない」と記された高度経済成長の真っ只中にあり、そうした世相を反映した名前であることが窺い知れる。

最近よくある煙草の箱のタイプは、いわゆるボックスタイプとか呼ばれるものだ。セブンスターの箱なんかが典型だろう。箱の上部に蓋がついていて、そこをパカッと開く方式だ。何本か吸った後だと、この箱の中にライターを入れておくことが可能なので便利である。しかしハイライトの箱は、今時少し珍しいソフトタイプだ。ボックスタイプのような厚紙ではなく、普通の柔らかい紙で出来ている。このタイプの箱は、上の銀紙の真ん中を横断するような形でオビがついていて、そのオビで分けられているどちらかの銀紙の折り目がついた部分をビリビリ破いて開ける。よく言われるのは、銀紙の折り目が「人」の形(つまり左の紙が上)ではなく、「入」の形(右の紙が上)になっている側を開けるというものだ。元々は水商売の世界に存在していたやり方のようで、「人」を破くのは失礼だからという理由らしい。こじつけかも知れないが縁起がいいので、僕もそれに倣っていつも「入」の側を破くようにしている。
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手元にあったハイライトを撮影。右が「入」で、左が「人」の形になっているのがお分かりいただけるだろうか


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そして、この箱のデザイン。まさしくシンプルイズベスト。昭和の香り漂う、何とも渋くて格好いいものではあるまいか。俗にハイライトブルーなどと呼ばれる色彩で、新幹線の色を決めかねていた国鉄の職員が、会議室でハイライトの箱を見てこの色にしたという逸話もある。ちなみに、デザインは『三谷幸喜のありふれた生活』のイラスト等で知られる和田誠である。僕はこの箱のデザインが大好きで、以前絵に描いたこともあるぐらいだ。僕が海に憧れていたというのも、この青色に惹かれた理由かも知れない。このへんの煙草の箱デザインの話については、また今度詳しく書きたいと思っている。

 

と、ここまで箱の話を延々としてきたが、やはり一番の問題は味である。どんなに綺麗な箱の煙草でも、肝心の味がまずければデザインで感じた喜びは雲散霧消だ。以前アメリカンスピリットを買ったとき、箱に描かれたネイティブアメリカンの絵を見て「中々どうしてハイカラな雰囲気でいいじゃないか」なんて思ったが、どうも味の方は、少なくとも僕は好きになれなかった(アメスピが好きな方を否定するつもりは一切ありません。単に僕個人が苦手な味だったというだけです)。煙草の味も人によって色々好き嫌いがあるから、煙草を吸おうかなと考えている方は、まずコンビニで売っているものを幾つか適当に吸ってみるといい。

話を戻す。さてハイライトの味だが、(僕個人としては)コンビニの煙草ではやっぱり一番美味しく感じられて大好きだ。高度経済成長期に最も売れた煙草の名は伊達ではない。

ハイライトに火をつけてゆっくり吸い込む。鼻と口に拡がる独特の芳醇な香りは、ラム酒でつけられているものだ。これが非常にいい味を出している。ふわりと漂う甘味と、仄かな酸味(これがもしガツンと感じられたら吸い込む勢いが強すぎる証なのでもう少しゆっくり吸い込もう)に、自然と頬が綻ぶ。基本いつ吸っても美味いのだが、特にお酒を飲みながら吸うともう堪らない。同じく僕の好きなビールをぐびりと一口、そしてハイライトを吸い込む。至高だ。喫煙者の読者諸兄、ハイライトを是非ともお試しあれ。

 

悪夢

自分の身体から血が抜けていく。だんだんと身体が冷たくなっていくのが感じられる。深い海の底へ底へと沈んでいくような、そんな気持ちがする。どうやら俺は死ぬらしい。そんなことを考えたあたりで死ぬ。そんな夢を見た。

 

 

自分の布団に他の誰かがいる。どういう怨恨か知らないが、俺は包丁を持っていて、その人(暗くて誰だかよく分からない、辛うじて和服の女性だということだけは分かったがそんな人には全く覚えがない)に何度も突き刺す。ねばねばした血が腕や顔へとかかるのがよくわかる。女性は何も言わぬ。ただ死んでいく。そんな夢を見た。

 

 

自宅の天井に何か大きな生き物が張り付いていて、凝然と俺を見ている。何なのかは分からない。それを見ようと思って振り向いた瞬間に死ぬ。そしてまた自宅へと戻っている。何度も振り向いて、何度も死ぬ。そんな夢を見た。

 

 

どこだかはさっぱり分からないが、とにかく俺は超高層ビルの屋上にいる。遥か下には、歩く人々の姿がゴマ粒のようにポツポツと見える。誰かが俺の背中を押す。俺は真っ逆さまに落ちていく。風が身体を切り、ビョウビョウと大きな音がする。当然頭が重いから、脳天を下にして落っこちていく。地面に当たる瞬間に目が覚める。そんな夢を見た。

 

 

眼鏡の中年男性(見覚えはない)にひたすら怒られている。どういう理由なのか全く分からない。とにかく怒られている。「お前はそんなんだから駄目なんだ」と、どこかで聞いたことのあるような言葉を耳にした。目覚まし時計の音が、説教と俺の心に溜まってきた怒りを打ち破った。そんな夢を見た。

 

 

どこまでも歩いている。先は見えぬ。ひたすら一本道を歩いていく。まわりは畑なのだが、何故か時計を栽培していて、生えている時計の針が俺が歩くのと同じようにガッチャガッチャと動く。空は曇っている。そんな夢を見た。

 

 

 自分の夢が分からない。

あの頃

小学生の頃、田舎に住んでいた。近所の森にヒグマやシカが出たり、バスが一日に来る本数が一桁だったり(今調べたら一日上り下りともに7本だった)、庭にキツネが出たりするくらいの田舎である。鉄道は走っていない。コンビニは一番近いところで、坂道を20分くらい上ったところにあった記憶がある。僕は12歳までそこで暮らし、小学校を卒業すると同時に現在実家のある町へと引っ越し、大学入学を機に上京して今に至っている。

田舎の暮らしは、今思うと不便なことも色々あったが、当時はそこそこ楽しかった。学校の休み時間は図書館で読書に耽り、放課後は塾(バスでしばらく行ったところにあった)がない日は昆虫を捕まえて遊んでいた。あの頃は大きなクワガタムシを捕まえることが男子生徒みんなの夢であり目標のようになっていたから、僕も夏の夜になると父に頼んで一緒に公園の白熱灯を見に行っていた。特にミヤマクワガタが人気だったと思う。今でも夏になると、ついつい神社の傍の街灯などを見に行ってしまうのは当時の思い出が誘蛾灯となって僕をおびき寄せているからなのだろうか。

 

小学校の給食で、一番人気なのは揚げパンだった。あれが出る日はおかわりのジャンケンをする生徒の目がとても真剣だった。しかし、僕は揚げパンが苦手だった。砂糖がべたべたしていて、どうにも好きになれなかったのだ。揚げパンを欲しがるクラスメイトと、何か他のおかずをトレード(北海道弁で言うと「ばくりっこ」)してもらって腹を満たすのがいつものことだった。

小中学校は給食制だから、間食ができないのが非常に苦しかった思い出がある。特に中学生の時はキツかった。男子中学生の胃袋なんていうのは底なし沼のようなもので、食べても食べても腹が減る。朝食はいつもおかわりをしていたのだが、4時間目になるといつも腹がグウと鳴ってたいそう恥ずかしかった。高校に入ってからは購買でパンやお握りなんかを買えるようになったし、食事を学校に持ち込むこともできたので随分助かったものだ。

 

運動会の時、毎年のように校庭で竜巻が起こるのには閉口した。原因はいまいち分からないのだが、なぜか毎年昼過ぎになると発生した。弁当が砂利だらけになるし、ビニールシートや傘なんかが飛ばされて裏の田んぼに突っ込み泥だらけになったりする。運動の苦手さと相まって、運動会はいつも大嫌いだった。

当時を振り返ると、かなり小規模な運動会だったなあと思う。生徒の数が少ないので仕方ないが、どの種目もあっという間に終わる。一番時間がかかったのは100メートル走だろうか……。

 

汚い話だが、冬になるとつららをよく食べた。登下校の道にある家の屋根からよくつららが垂れているので、それを折ってボリボリ食べるのだ。いい水分補給だとあの頃は思っていたが、そのうち汚さに気づいてしなくなった。

雪もよく食べたが、これも同様の理由でしなくなっている(酔っ払っていると今でもたまにやってしまうけど)。

 

 近所に、何歳か年上の女の子が住んでいた。僕がまだ小学生だった頃に、彼女は中学校へ入学した。制服を着た彼女は、何故かとても遠いところへ行ってしまったような感じがして、以前のように一緒に遊ぶことに変な気後れを感じてしまった。その後、僕は引っ越し、彼女もどこか別の町へ引っ越し、風の噂で上京したようなことを聞いたが、現在何をしているのか、どこに住んでいるのか、元気にしているのか、今となっては何も分からない。引っ越してから、一度も会ったこともない。あの女の子は、どこへ行ってしまったのだろうか。もう二度と会えないと知っていながら、それが心のどこかに引っ掛かって仕方がない。

 

昔僕が住んでいたあの小さな町は、諸々の理由で今は誰もいなくなってしまったようだ。一度だけ見に行ったが、熊笹の向こうに見える昔の家は朽ち果てていた。草木に蝕まれ、陽の光に照らされ、雪に押し潰され、少しずつ森へと還っていくように思えて、戻らぬ少年の日々に茫漠とした悲しみと儚さを覚えてならなかった。

 

あの頃を思い出すにつけ、薄明の色彩に混濁した少年の日々の、砂子のような小さく静かなきらめきを偲ばずにはいられない。皆さんはどうだろうか。