流し読み

俺にまつわるエトセトラ

あの頃

小学生の頃、田舎に住んでいた。近所の森にヒグマやシカが出たり、バスが一日に来る本数が一桁だったり(今調べたら一日上り下りともに7本だった)、庭にキツネが出たりするくらいの田舎である。鉄道は走っていない。コンビニは一番近いところで、坂道を20分くらい上ったところにあった記憶がある。僕は12歳までそこで暮らし、小学校を卒業すると同時に現在実家のある町へと引っ越し、大学入学を機に上京して今に至っている。

田舎の暮らしは、今思うと不便なことも色々あったが、当時はそこそこ楽しかった。学校の休み時間は図書館で読書に耽り、放課後は塾(バスでしばらく行ったところにあった)がない日は昆虫を捕まえて遊んでいた。あの頃は大きなクワガタムシを捕まえることが男子生徒みんなの夢であり目標のようになっていたから、僕も夏の夜になると父に頼んで一緒に公園の白熱灯を見に行っていた。特にミヤマクワガタが人気だったと思う。今でも夏になると、ついつい神社の傍の街灯などを見に行ってしまうのは当時の思い出が誘蛾灯となって僕をおびき寄せているからなのだろうか。

 

小学校の給食で、一番人気なのは揚げパンだった。あれが出る日はおかわりのジャンケンをする生徒の目がとても真剣だった。しかし、僕は揚げパンが苦手だった。砂糖がべたべたしていて、どうにも好きになれなかったのだ。揚げパンを欲しがるクラスメイトと、何か他のおかずをトレード(北海道弁で言うと「ばくりっこ」)してもらって腹を満たすのがいつものことだった。

小中学校は給食制だから、間食ができないのが非常に苦しかった思い出がある。特に中学生の時はキツかった。男子中学生の胃袋なんていうのは底なし沼のようなもので、食べても食べても腹が減る。朝食はいつもおかわりをしていたのだが、4時間目になるといつも腹がグウと鳴ってたいそう恥ずかしかった。高校に入ってからは購買でパンやお握りなんかを買えるようになったし、食事を学校に持ち込むこともできたので随分助かったものだ。

 

運動会の時、毎年のように校庭で竜巻が起こるのには閉口した。原因はいまいち分からないのだが、なぜか毎年昼過ぎになると発生した。弁当が砂利だらけになるし、ビニールシートや傘なんかが飛ばされて裏の田んぼに突っ込み泥だらけになったりする。運動の苦手さと相まって、運動会はいつも大嫌いだった。

当時を振り返ると、かなり小規模な運動会だったなあと思う。生徒の数が少ないので仕方ないが、どの種目もあっという間に終わる。一番時間がかかったのは100メートル走だろうか……。

 

汚い話だが、冬になるとつららをよく食べた。登下校の道にある家の屋根からよくつららが垂れているので、それを折ってボリボリ食べるのだ。いい水分補給だとあの頃は思っていたが、そのうち汚さに気づいてしなくなった。

雪もよく食べたが、これも同様の理由でしなくなっている(酔っ払っていると今でもたまにやってしまうけど)。

 

 近所に、何歳か年上の女の子が住んでいた。僕がまだ小学生だった頃に、彼女は中学校へ入学した。制服を着た彼女は、何故かとても遠いところへ行ってしまったような感じがして、以前のように一緒に遊ぶことに変な気後れを感じてしまった。その後、僕は引っ越し、彼女もどこか別の町へ引っ越し、風の噂で上京したようなことを聞いたが、現在何をしているのか、どこに住んでいるのか、元気にしているのか、今となっては何も分からない。引っ越してから、一度も会ったこともない。あの女の子は、どこへ行ってしまったのだろうか。もう二度と会えないと知っていながら、それが心のどこかに引っ掛かって仕方がない。

 

昔僕が住んでいたあの小さな町は、諸々の理由で今は誰もいなくなってしまったようだ。一度だけ見に行ったが、熊笹の向こうに見える昔の家は朽ち果てていた。草木に蝕まれ、陽の光に照らされ、雪に押し潰され、少しずつ森へと還っていくように思えて、戻らぬ少年の日々に茫漠とした悲しみと儚さを覚えてならなかった。

 

あの頃を思い出すにつけ、薄明の色彩に混濁した少年の日々の、砂子のような小さく静かなきらめきを偲ばずにはいられない。皆さんはどうだろうか。