流し読み

俺にまつわるエトセトラ

書評『一房の葡萄』

今回はかの有名な文豪、有島武郎の書いた童話『一房の葡萄』を取り上げる。これは僕が最も好きな小説のうちのひとつで、初めて読んだ小学生の時からいつ読んでも変わらぬ輝きと、独特の、タイトル通り葡萄のような切ない酸っぱさを感じさせる、沢山の方に読んでいただきたい小説だ。著作権が切れて青空文庫にアップロードされているので読んだことのない人はGoogleで検索してぜひ読んでみて欲しい(下記URL参照)。短い童話なので15分もあれば読めると思う。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/211_20472.html

 

 

一房の葡萄 他四篇 (岩波文庫)

一房の葡萄 他四篇 (岩波文庫)

 

 あらすじ

この小説は、有島本人の体験に基づいて書かれたと言われており、横浜英和学校に通っていた少年時代の彼自身がモデルになっているそうだ。

主人公の「ぼく」は引っ込み思案で無口、友達もいない。彼は唯一絵を描くことが好きだった。学校の行き帰りに見える横浜港の風景の美しさを彼はいつも絵にしようとしたが、彼の持っている粗末な絵の具では、あの透き通るような海の藍色と、船の水際近くに塗ってある洋紅色がどうしてもうまく出せなかった。

「ぼく」のクラスメートのジムという男の子が持っている絵の具は舶来の上等品で、とりわけ藍と洋紅は驚くほど美しかった。「ぼく」はそのジムの絵の具がほしくてほしくてたまらなかった。

ある秋の日、「ぼく」は一人教室にいた昼休みの時間、ジムの藍と洋紅色の絵の具を盗んでしまう。しかしすぐにバレて、クラスメートに職員室へ連れていかれ、大好きな美人の女の先生の前で絵の具を盗んだことを告白させられてしまう。涙に暮れる「ぼく」を前に、先生はクラスメートを部屋から帰らせて、「ぼく」に庭の木に実っていた一房の西洋葡萄をくれる。

翌日になって「ぼく」が学校へ行くと、ジムが真っ先に笑顔で飛んできて「ぼく」を女の先生のところへ連れていき、そこで二人は仲直りをするのだ。そして先生は、ジムと「ぼく」にまた一房の葡萄を半分に切り分けてプレゼントしてくれた。

「ぼく」はそれから少しはにかみ屋でなくなり、いい子になった。しかし、大好きだったあの先生はどこへ行ってしまったのだろうか。秋になると葡萄の実は美しい紫の色彩を見せるが、それを受け止めた白い美しい手はどこにも見つからない……。

葡萄が本作品に於いて果たした役割とは

本作のタイトルは『一房の葡萄』である。先生は「ぼく」が盗みを犯したことを知っても叱責せず、ただ一房の葡萄を下さって、そしてジムと仲直りしたあとにもう一度葡萄を二人に下さる。葡萄が本作品に於いて極めて重要なアイテムとなっていることに異論をはさむ余地はないだろう。では、有島はこの作品で、葡萄にどのようなメッセージを込めたのだろうか。

まず、葡萄という果物は秋(8月下旬から10月くらい)が一般的に旬とされている。というわけで、まず一つはこの物語で語られる季節が秋であることを示している。まあこれはさして重要なことではないだろう。では、文学的側面から見て、葡萄が本作に於いて果たした役割とは何か。

この小説は、大人になった「ぼく」が、かつての少年時代の記憶を一人回想するという形を取っている。そして、そこで出てくるのが葡萄なのだ。葡萄は彼にとって、学校での孤独で惨めな日々からの大きな転換点と、そして何より憧れの美しい先生とのかけがえのない思い出の象徴であると言えるのではないだろうか。もう二度と戻らぬ幼き頃の日々。そして二度と会えないであろう先生への忘れがたき追憶。そうした、少年から青年へ、そして大人へと成長していくにつれ懐かしく思え、どうしようもなく胸を締め付けられるような時の流れへの切なさ。そういった、誰しもが経験しうる幼少期の思い出の象徴として用いられたのが、本作での葡萄だったのだ。「ぼく」にとっての、いわば現代で言うところの少年時代のキャッチフレーズのようなものだろうか……。

人生は、時の流れは、常に先へ先へと流れてゆき、数瞬の間も止まることはない。少年の日々も、決して戻ることはない。「ぼく」はその後先生と再会することはなかっただろうし、「ぼく」のその後についても何も語られてはいない。そうした切なさ、大切な人との別れをこれほど見事に描写した小説はなかなかないのではなかろうか。

そして、何よりも僕が良いと思うのは、ここで選ばれた果実が葡萄であったという点だ。これが林檎や蜜柑だったら、これほどの名作にはなっていなかったろう。葡萄という果実の甘酸っぱさ、それが「ぼく」の絵の具を盗んでしまったという罪への罪悪感と、先生との別離という切なさのメタファーになっているのだ。また紫色の色彩も良い。紫という色は、得てしてマイナスなイメージを抱かれがちである。有島はそれを逆手に取り、罪を犯した罪悪感や、少年の日々への追憶、もう二度と会えない先生との思い出、そういったどこか悲しみを感じさせる要素を葡萄の色彩によって際立たせているのだ。

幼き頃の思い出を振り返りたい方、あの頃にしかなかった純粋な悲しみ、思い返して蘇る切なさ、そういったものをもう一度味わいたい方、是非ともこの小説を読んでいただきたい。切に願う。