流し読み

どうでもいいこと

冬の空

今年の三月に大学を卒業し、その後紆余曲折の末に社会人の端くれになった。平日は毎朝スーツを着て電車に乗り、会社の最寄り駅まで揺られる。幸い職場の雰囲気や労働環境はそこまで悪くないので、とりあえず数年は続けてみるつもりである。

職場にある自分の机からは、大小さまざまな建物が立ち並ぶ東京の街並みが見える。換気扇が吐き出す煤に汚れたベランダの手摺、遠くに光る、苛立つほど綺麗に窓の拭かれた巨大なビル、ネオンの色彩が目にしみるパチンコ屋……。それらの間々に、水をたっぷり含ませた絵の具のような、淡い色をした冬の空が張り付いている。ご時世の影響で換気のために開けている窓から、冷たく乾いた空気が足元にまとわりつく。おかげでトイレへ小用を足しに行く頻度が高くなった。

昔、高村光太郎の妻・智恵子は「東京に空が無い」と言ったそうだ。働き始めて少し経つが、空を見上げるよりも目の前にあるパソコンの画面を見ていることの方がはるかに多い。歩いていても、前を行く群衆に当たらないよう、人の背中ばかりを見ている気がする。智恵子の言いたいこととはだいぶ違うだろうが、年齢を重ねると空はだんだん無くなっていくのかも知れない。

煙草を吸っているときだけは、空を眺めている。お昼休み、腹を満たし終えて駅前の喫煙所へ赴く。懐から煙草の箱を取り出し、火をつける。煙が龍のように天高く昇ってゆくのは見ていて気分がいい。そして、煙が風に流された先の空をぼんやり眺める。小春日和の寂しい空である。

 

まだ北の大地に暮らしていた頃、冬の空は鉛色をしていた。白銀に覆われた野原に寝転ぶと、遥かな高空から、音もなく雪が降り積もる。白い吐息に、雪が溶けて頬に流れる。今夜は根雪になるだろうと母が言うのを最後に聞いたのは、もう何年も前だ。

弟と二人で雪原を駆け回って、頬と両手が真っ赤になるまで遊んだあの頃、空はいつもすぐそこにあった。あの重たい雲に覆われた空は、いつの間にか俺のすぐ上から消え、今は淡く消えそうな東京の空が俺の遥かな頭上に凝然としている。

 

10年後、俺の頭上にはどんな空が広がっているのだろうか。