流し読み

どうでもいいこと

父と酒

俺の父親は、極めて酒好きな男である。週末の晩酌を楽しみに仕事をしているような節が多々あり、特に日本酒への造詣が深い。息子の俺が酒のことを少し訊ねると、嬉々として色々話してくれる。一番の趣味が酒であるから、それも自然なことだろう。酒屋へ行くときの父はいつも玩具店へ赴く子供のような顔をしている。

成人してから実家へ帰ると、父はいつも酒を勧めてくる。仕事で東京へ来る用事がある時も、都内の居酒屋を予約して飲みに誘ってくる。俺も酒は嫌いではないのでよく一緒に飲む。俺と酒を飲むとき、父はいつもすこぶる上機嫌な様子だ。

姉があまり酒に強くない一方、俺は極端に強い訳ではないが、平均よりは少し飲める方だ。父は晩酌が趣味なだけあって、ザルという表現が合致するような人物である。父は酒を飲むといつも「お前は飲めるなぁ、父さんに似たんだなぁ」と言う。実際、俺の様々な身体的特徴(卑近な例で言えば顔の造形だろうか)は驚くほど父に酷似しており、同じく俺の親である筈の母に似た要素はあまり見当たらない。

成人したばかりの頃は、父が俺とやたら酒を飲みたがる理由がよく分からなかった。外見は確かに似ているが、共通の趣味は読書ぐらいなもので、そもそも年齢だって当たり前だが数十歳離れている。性格も、父は社交的で能弁なところのある人物だが、息子の俺はかなり内向的だ。親子であることを抜きにしてみると、人物像や性格に重なる部分は然程多くない。父は自分と異なる特徴を数多く有した、こんな若者と晩酌をして楽しいのだろうか?そんなことを考えたこともあった。

今になると、父が俺と晩酌をしたがる理由が何となく分かる。俺がこういうことを言うのは立場として違うかも知れないが、恐らく息子の成長を実感したいのだろう。このことは、父が俺と飲んでいるとき昔の思い出をよく話すことからも何となく察しがつく。「昔のお前はこんな子供で……」等と話すエピソードを俺自身はあまり覚えていないが、父の中では大事な記憶のようだ。父は話したがりなので、内向的な俺との相性もいいのかも知れない。

 

先日父方の爺さんが他界し、父は自分の親を初めて亡くした。爺さんが数年前から病気がちだったこともあり、葬式で父は特に涙を見せたりはしなかった。ただ、坊さんの読経が響く中、遠いどこかを見ているような目をしていた。棺に眠る爺さんの口許を大好きだった焼酎で濡らしていた父の表情は、今でも忘れられない。やけにぎらつく初夏の太陽に、白い菊の花が目映かった。

父ももうすぐ還暦だ。俺が小さい頃の記憶よりもだいぶ「お爺さん」になってきている。白髪が増え、しょうもないギャグを言うようになり、怒ることも減った。最近は定年退職したあとの新しい趣味探しにご執心のようで、面白くて年老いてもできることをネットで色々検索して見つけようとしている。だが、恐らく定年してからも、相変わらず酒を飲んで刺身を食ってプロ野球を見ているような気がする。これは、或いは息子である俺の願望なのだろうか。

ジョッキになみなみと注がれたビールの泡の向こう側に見える父の顔は、いつか小さい頃、俺に絵本の読み聞かせをしてくれたあの日と同じ笑みを今でも浮かべている。