流し読み

どうでもいいこと

陽キャラ

現在のインターネット社会に「陽キャラ」「陰キャラ」という概念が生まれてから数年が経過した。既に皆さんご存知かとは思うが、俺は相当な陰キャラである。たぶん性格的に一生陽キャラにはなれないだろう。

この辺の概念は、元々「リア充」の対義語として「非リア充」なる言葉が誕生、そして時代の変遷とともにフォーカスされる部分が本人の境遇や環境から精神面、性格面へと移行したという流れだと俺は考えている。これまでそれなりに色々な人と出会ったが、中にはめちゃくちゃな陽キャラもいたし、俺以上の陰キャラもいた。

俺から見て、基本的に陽キャラは「あまり仲良くできないタイプの人」である(一部例外はあるが)。ここで誤解してほしくないのは、「仲良くできない」ということに関して、俺の彼らに対する好き嫌いが原因で仲良くできないという意味ではなく、単純に趣味嗜好の乖離が激しいため話があまり合わず、また彼らの底抜けな明るさに引け目を感じるため仲良くなりにくいという意味で言っているということである。つまり、「(俺の意思としてそうしたくないから)仲良くできない」のではなく、「(容易か困難かというと俺の能力的には後者だから)仲良くできない」ということを言いたいのだ。

 

 

昔の俺は、随分陽キャラを嫌っている人間だった。今は好きな部分とそうではない部分が混在しているが、同時に「すごいな」とは強く感じている。では何が凄いのか。

彼らは基本的に、面白いと感じると大笑いし、悲しいと感じるといかにも沈痛な面持ちをするように見える。感情をそのまま表に出して、互いのいいところを褒め合えるのは素晴らしいことだ。自然に、グループ全体の雰囲気も明るくワイワイしたものになるだろう。概して彼らのグループはエネルギッシュで、楽しい空気で満ちているから人がどんどん集まる。

そしてノリが良く、誰に対しても良く言えば気さく、悪く言えば馴れ馴れしい。そりゃ人生をエンジョイできる筈だ。少数ながら陽キャラの知人が俺にもいるが、彼らは基本的に人の発言を否定しない。相手を問わずに「それいいじゃん!」とサラっと言えるので、彼ら同士ではどんどん会話が弾み、交流が深まる。ここは彼らの大きな美点だと思う。否定から入りがちな人間がちらほらいる陰キャラとの違いはこういう部分かも知れない。馴れ馴れしいのは俺はあまり好きではないのでそこは賛否両論だが……。

先刻述べたが、昔の俺は陽キャラが大嫌いだった。「うるさいだけで、群れて騒ぐしか能のない馬鹿共」などと勝手に決め付けて見下していた過去の自分は頗る愚かだと思う。今でも「うるさいのはちょっとな」とは感じているが、俺は陽キャラの世界を教室や街などで見て分かること程度にしか知らないので、昔の俺が言う「群れて騒ぐしか能のない馬鹿共」かどうかを大して知りもせず勝手に決め付けることはなるべく総力を挙げて避けたいと思っている。

向こうは「陽キャラ」という概念それ自体などではなく(その概念に属する人々ではあるが)生きた人間だから、楽しく遊んでいるだけなのに影で言いがかりをつけられ悪口を言われたら気分を害して当然だ。そうなると陽キャラは陽キャラで「陰キャラは影でしかモノを言えない卑怯な弱虫」と見下して一定の距離を置くか、最悪何らかの反撃をしてくるから(当たり前だが陽キャラは仲間を侮辱されることを強く嫌悪する)、ますます両者の溝は深まるという構造がここに存在していると思う。無論例外もあることを否定はしないが。

中学、高校時代に俺も「陽キャラに嫌なことをされた!あいつらなんて大嫌いだ!」等と考えていた時期があったが、今になって思い返すとだいたい俺の方が最初に何か彼らの気分を害するような言動を影でしていた(悪口を言ったり話したくないからと無視したり……)。そういう自分は極めて卑怯者だと思う。彼らが気付かずに無遠慮なことをして俺が怒った場合もあったのでこちらが100%悪いとまでは思わないが、あたかも自分に全く非がないかのような言説はおかしい。だいたいの陽キャラは、あんまり陰キャラのことを気に留めていない感じがする。勿論こちらが何もしていないのに過剰に関わってきて、あれこれ言ってくるろくでもない奴もいるにはいるが……。

陽キャラはおおよその場合気さくな人間なので、時々こちらにも話しかけてくることがある。だが、俺は生まれてからずっと陰気な人間だったから、話しかけられても返し方が分からないのだ(もしこれを読んでいる陽キャラの人がいたら、恐縮だがこれを心に留めておいてほしい)。だから奇妙な返答になったり、口ごもったりしてしまう。これで相手が実は「陽キャラになりたがっている陰キャラ」だったら最悪だ(俺はこの人種は嫌いである)。間違いなくモゴモゴした返事ただそれだけで見下され、下手するといじめられる。偏見かも知れないが、陰キャラをいじめている奴はだいたいこれだと俺は思っている。陽キャラがどのような意図を以て俺のような陰キャラに話しかけるのかは正直全く分からないが、過去俺に話しかけてきた本物の陽キャラは俺があたふたしていると早々に会話を切り上げるか、こちらが何か喋るまでじっと待っているかのどちらかだった。

 

 

陽キャラ」「陰キャラ」というかなり乱暴な切り分けでここまで書いてきたが、この2つが対立しやすいのは価値観、大事にしているものが大きく異なっているからだと思う。これはあくまでも俺の推測に過ぎないが、陽キャラが大事にしているのは友情や日々の楽しさといった質的な部分で、陰キャラのそれは知識、数値などの量的部分なのではないか。どちらが良くてどちらが悪い等という話は結論が出ないので避けるが、ここに両者が対立しやすい要因があるような気がするのだ。

かつての俺は陽キャラを随分憎んでいたが、それは彼らに対する憧れの裏返しでもあったように思う。だが、一時期陽キャラの真似事をしてみても、ただ心が疲れ果てるだけだった。今は「無理に明るく快活になろうとしなくてもいいのかな」と思えるようになって、そのせいかは分からないが以前より明るくなったと友人に言われることが増えた。俺は、たぶん一生明るく朗らかな人間にはなれないと思う。今後も「陰キャラ」と言われる機会もあるだろう。でも、そういう人生の形もあっていいんじゃないだろうか。あと、人の発言に対し否定から入ることはしないように注意して生きていきたい。