流し読み

俺にまつわるエトセトラ

食事の思い出

まだ小学生だった頃、僕は毎日のように野山で遊び回る田舎の少年であった。学校から帰ると虫採りへ行き、昆虫のいない冬は橇で雪山を滑り、腹が減ったら家路についた。

小学生の僕は、痩せた子供だった。なのにかなりの大食いで、両親によく不思議がられたものだった。

あの頃の食卓で僕が大好きだったのは豚カツだ。父の給料日が来ると、母はいつもより少し良い肉を買ってくる。その頃は家庭もそれほどギスギスしていなかったから、豚カツが並ぶ月末の食卓が僕はいつも待ち遠しかった。

母の作る豚カツはいつも衣がサクサクで、中の肉は小学生の僕でも食べやすいよう柔らかく下拵えがしてあった。ソースをかけて頬張ると堪らない美味しさで、ついつい3枚4枚とおかわりを繰り返した。母はそういうときいつも「私はもういらないからあんたが食べなさい」と言って1枚しかない自分の豚カツをくれた。弟とそれを巡って取り合いの口論になり、母がその豚カツを半分に分けて僕ら兄弟を宥めるのが常であった。食事が終わり僕と弟がレゴブロックで遊ぶ頃に、築40年近い当時の自宅の古びた台所で黙って洗い物をする母の背中が何故か寂しく思えた。台所のすりガラスの外には、いつも白熱灯がぼんやりと滲んで見えていた。

 

小学生の頃は平均身長ぐらいの体格だった僕だが、中学校の3年間で20cm背が伸びた。所謂成長期だ。

この頃の生活は、ほぼ食欲と性欲、そして自意識に支配されていた。中でも食欲が一際強く、給食はおかわり必須であった。給食前の4時間目の授業中に空腹で音が鳴るのが嫌で朝食も白米を二杯おかわりしていたのだが、それでも毎日ぐぅと腹が鳴る。今思うと運動部でもないのに毎日馬鹿みたいな量の飯を平らげていた。だから身長が伸びたのかも知れない。

朝食は毎日白米で、パンは全く食べなかった。パン派の姉はやや不満げであったが、姉以外の家族全員が白米派であったから仕方ない。朝食のメニューは、白米と味噌汁は固定で他はおかずが1品か2品ついた。

わかめの味噌汁が僕の思春期の思い出の食事である。母はいつも白味噌で作っていた。朝の弱い僕が漸く遅刻ギリギリで起き出してくると、居間は味噌汁の香りに満ちている。母に急かされながら朝食を摂り、制服に着替えて家を出る。朝の冷たい空気が肺を満たした。勉強は嫌いではなかったが、学校はあまり好きではなかった。家族の朝食に会話が減っていったのは、この頃からだっただろうか。今となっては、あまりよく覚えていない。

 

かなり通学に時間がかかる高校に進学して、家を出る時間がぐっと早くなった。最初の頃は母が弁当を作ってくれたが、しばらくして「早起きして弁当を作るのが面倒」という至極もっともなお達しを彼女が僕に言い渡したため、その後は食堂で昼飯を食べるようになった。

中学生の頃ほどではなくなったが、相変わらず食事の量は多かった。食堂のメニューに炒飯があったのだが、僕はいつも大盛りを注文していた。しかもそれでは飽き足らず、帰宅途中によくおにぎり等を買い食いしていた。

高校2年生の春休みに、11年間習い続けていたピアノをやめた。受験勉強のためだった。最後の発表会で、ピアノ教室の先生と握手を交わした思い出が頭を過る。習い始めた頃は小さな子供だったのに、いつの間にか僕の方が先生よりもだいぶ大きくなってしまっていた。

発表会が終わったあと、家族で回転寿司を食べに行った。弟と二人で、どちらが沢山食べられるか競争になった。もう先生にピアノを習えないという寂しさを紛らわせようと、僕は寿司を沢山食べた。わさびが鼻につんと染みた。

 

高校3年生の冬、家庭は冷えていた。母と姉が毎日喧嘩を繰り返し、父は数年前から単身赴任で家にあまりいなかった。

塾から帰るといつも弟が玄関で嫌気のさした顔をしていた。2階からは怒鳴り声が聞こえてくる。誰もいないテーブルには昔を思い出すかのように、僕用に作られた冷めた豚カツの乗った皿が1枚、ラップに包まれて置いてあった。家族がバラバラに食事をすることが増えて、話すことも減った。このころよく母と二人で晩飯を食べたのだが、あの頃のように話すことはできなかった。僕も母もそれぞれの事情でストレスを溜めており、喧嘩はさほどしなかったが接し方を忘れてしまったような感覚がした。母は「おかわりいらない?私のをあげようか」と、僕が食べ終わる前によく言ってきたが、元々異常な程痩せているのが歳を取ってますます細くなり、皺も増えた母の食事を貰うことはできなかった。

冷めた豚カツは、しなびた衣に染みこんだソースの味ばかり目立っていた。窓の外には、雪がしんしんと降っていた。

 

大学生になり、僕は実家を出た。初めての東京暮らしは何もかも新鮮で、田舎者の僕は全てに圧倒されていた。

独り暮らしであるから当然自分の食事を作る必要に迫られる訳だが、母のように美味しくできない。炒飯、野菜炒め、鍋などの簡単な料理しか作れない。塩辛い野菜炒めをおかずにご飯を食べた。一人で食事をするのは慣れていたが、どこか侘しかった。

最近これではまずいと思い、料理を練習し始めた。オムライスを練習しているのだが、これが中々面白い。いつの日でも、美味しい食事は僕に元気を与えてくれる。

先日帰省したときに、母の豚カツを久々に食べた。あの頃と変わらない美味しさが、嬉しかった。家族があちこちに離散し、昔のように団欒を楽しむことはもう出来なくなったが、豚カツの味は今になっても変わらない。

やはり、豚カツは揚げたてで温かい方がいい。