流し読み

どうでもいいこと

ゲームへの眼差し

俺の実家はテレビゲーム禁止の家庭だった。これは今時わりと珍しいことのようで、周囲でそういう家庭環境に育った人は現在に至るまで寡聞にして知らない。姉が小学5年生のとき、誕生日にDSを買ってほしいと父親にねだったことがあったが、とりつく島もない様子であった。

俺が小学生だった頃、クラスではモンスターハンターが大流行していた。無論俺もプレイしたかったが、買ってもらえない以上どうしようもない。仕方なく友達の家でDSを借りてプレイさせてもらっていた。買ってくれと父親におねだりすることは、何故か非常にみっともないことのように思えたのでしなかった。俺はそういうどこか「利口ぶった」小学生だった。

そんな調子だから、勿論クラスメイトのゲーム話には全くついていけない。

「この前モンハンのティガレックスが云々」

マリオカートの◯◯ステージをようやくクリアして云々」

これらの話をしているクラスメイトが非常に羨ましく思われたと同時に、強い孤立感を覚えたのは事実だ。彼らが遠くに行ってしまったような気がして、ゲームを買ってもらえない自分が少し惨めだった。

結局、父親によるこの「ゲーム禁止」は俺が高校を卒業するまで18年続いた。先日実家に帰ったら弟が居間のテレビで堂々とNintendo Switch版の「大乱闘スマッシュブラザーズ」をプレイしていて俺がぶったまげた話はまた別の機会にでもする。

中学高校の時もゲームの話は相変わらず全く分からなかったが、抑制された「ゲームをしたい」という願望が形になって現れてきていた。その頃、YouTubeニコニコ動画というものに初めて出会ったのだが、ゲームをプレイし、その実況をする動画がポツポツ投稿されていた。俺はその実況動画に追体験を求めて、親が寝静まった後一人居間のパソコンで動画を再生しニヤついていた訳である。

 

大学に入学して実家を離れ、初めて「おおっぴらに家でゲームをしていても誰にも咎められない環境」を手に入れた18歳の俺ではあったが、しかしその段階に至ると今度は、何故か「ゲームを買うこと」に仄かな罪悪感を覚えるようになった。ゲームショップに行くと、何故か悪いことをしている気分になる。これは今でも同じである。据え置き型のゲーム(この呼称が正しいかは分からない)を購入することは、俺にとっては相当な覚悟が必要な行為なのだ。あるいはDS、PSPWiiもそうだ。何故か買うのが怖い。

俺は現在ソシャゲにドハマりしてたまに課金をしたりもしている。ソシャゲというものの存在をまともに知ったのが大学生になってから、というのがその要因なのか?それともそのコンテンツが単純に好きだから?理由は今でもよくわからない。

 

ちなみに、俺が一番長くプレイしたテレビゲームは、近所の文教堂書店に体験版として置かれていたウルトラマン格闘ゲームである。俺がケムラーに苦戦していたところに突然現れて、毒ガスの来るタイミングを教えてくれたあのTシャツスポーツ刈りの少年は今どうしているだろうか。