流し読み

どうでもいいこと

少年から青年への目覚め─川原にて─

※この記事には性的な記述が含まれています。そのことに留意された上で、それでも良いという方のみ、以下の文章をお読み下さい。

 

小学校4年生か5年生の時だったと思うのだが、ある休日に自転車で出かけた。何か明確な目標があったわけではないが、ただ漠然と「自分が行ける限界まで行ってみたい」と考えて自転車のストッパーを蹴ったのは覚えている。

その頃住んでいた地域はそこそこな田舎で(詳細は以前書いた「あの頃」という記事参照)、当時持っていた地図帳を見ると隅っこにはダム湖が描いてあった。とりあえずそのダム湖を目標にして自転車を漕いだ。季節は初夏で、山々が緑に染まり風に揺れていた。

やがて大きな橋が架かった川に差し掛かった。当時の僕は大変な昆虫好きで、川原にはトノサマバッタを捕まえによく行っていたので、勿論この川原にも立ち寄って虫を探すことにした。よくある田舎少年の光景である。僕は嬉々として自転車を止め、川原をうろうろしていた。

 

人生というのは何が起こるか分からないものだ。その瞬間まで頭の片隅にも思わなかった物事が突然目の前に立ちふさがるなんてことはよくある。あの時の僕もそうだった。

 

川原を歩いていると、ちょうど橋の真下、影が落ちてくるところに汚い紙束が大量に落ちていた。正義感に溢れる少年だった当時の僕は、当然それを回収して自宅に持ち帰り、「燃えるゴミ」の箱にぶち込むことが責務であると考え、その紙束を拾った。勘の良い読者の方ならもう今後の展開にお気づきだろう。

見てみると、その紙束には女性の裸の写真が ”カラーで”  印刷されていた。僕は当時性的な物事への興味関心などは全くなく、また性欲の何たるかも考えたこともなかった。これが平均的なものなのか、それとも遅いものなのかはよく分からないが、そんなことは些細な問題だ。

その紙束に印刷された "カラーの" 女性の裸からなぜか目が離せなかったのは鮮明に覚えている。僕は男性であるし、身近な女性は家族しかいないから、女性の裸をまともに見るのはそれが初めての体験であったことは言うまでもない。こういう話に共通して存在する感覚だと思うのだが、僕はなぜか自分が途轍もない大罪を犯しているような気分になり、慌てて周囲を見回した。幸か不幸か、ちょうどカヌーサークルか何かの団体が川を下っているところであり、船上のおじさんとばっちり目が合ってしまった。僕は必死で「川原のゴミ拾いをしている、道徳心に溢れ身近な環境問題に通暁した少年」を演じることで平静を保った。あの時の演技は、その年の学習発表会で主役を演じた全ての同級生よりも秀でていたに違いない。

無論、その紙束(通俗的な言い方をすると捨てられたエロ本)を僕は自宅へ持って帰らなかった。川原に落ちていたゴミを置き去りにすることに対する道徳心の痛みよりも、未知の罪悪感からの逃避の方が重要な問題であったからだ。

その後、保健の教科書を僕がそれまでより少し熱心に読むようになった話や、18歳になってから暫く経った高校3年生の冬に初めてエロ本を自前で買った話はまた別の機会にでもすることにしようと思う。