流し読み

どうでもいいこと

素直じゃない「素直」

素直になれ?

突然だが、皆さんはこんな経験をしたことはないだろうか。

 

例えば、あなたは最近恋愛に冷めていて、しばらく恋人など別に欲しくはないなと考えている。今の生活にも満足しており恋人がいない寂しさも特筆するほどではなく、結婚についても焦る気持ちはない。

そんなある日、あなたは友人と飲みに行く。友人は、あなたに向かって「最近恋人がいないと言っているが寂しい筈だ、こんど好い人を紹介しよう」などと言い出す。あなたにとって恋愛は別に急を要する問題ではないから、そんなことはしなくていい、私は今の生活に満足しているし恋人も欲しくはないと返事をすると、友人は「そんな強がりを言わなくてもいい、本当は寂しいんだろう」「自分の気持ちに素直になりなよ」と言ってくる。あなたは何だか心にスッキリしないものを抱えたまま、結局その話を受けてしまう……。

 

このような、「強がるな」「素直になりなよ」体験(恋人に限った話ではなく、仕事や生活、人間関係など多岐に渡るだろう)をしたことがあるという人は、それなりにいるのではあるまいか。

 

 

「素直な気持ち」は必ずしも「素直な気持ち」とは捉えられない

上記の例で、もしあなたが本当は恋人がいないことが不満足で、寂しさと毎夜戦っているとしたならば、友人の言葉は悩みを吐露しやすくするものかも知れない。だが、いずれにせよこの友人がやっているのは、相手の気持ちを勝手に自分の都合のいいように解釈し、それ以外の感情の発露を一切認めず、あなた本人の気持ちを無理矢理規定して悪びれもしていない悪辣な行為である。

「素直な気持ち」をたとえ吐露したとしても、その場にいる人間にとって面白いもの、彼らの希望に沿うものでなければそれは「素直ではない」と強制的に決定され、それに言い返すと「ムキになっている」「強がっている」と捉えられ、どうあっても真面目に聞いてもらうことなどもはや望むべくもない。

やがて、あなたは「素直になってみろよ」と言われるとむしろ素直になれず、本当の気持ちがどうなのかとは関係なしに「いやはや実は恋人がいないと寂しくて…」「本当はあいつが先に昇進したのが悔しくてね…」といかにも相手にウケそうな台詞を選ぶようになる。すると相手はウンウンと頷いて満足げに「そうだろうそうだろう」と、こう来るわけだ。

 

「素直になろう」のズルさ

「素直になろう」がズルいのは、ここでたとえ「俺は素直に話したつもりだ」と言い返しても、絶対にそれを相手はまともに取り合わないところだ。「まーたそんなに強がっちゃって…」「強情なやつだなあ」なんてニヤニヤ笑いながら言う。「なぜ俺は素直ではないと断定できるのか」といくら訊いたって、こいつ強がってムキになっているぜとからかわれて終わりである。素直かそうでないかの判断基準なんていう話には、絶対に乗ってこない。ひたすら茶化してからかって、それだけだ。

結局のところ、本当にその言葉が素直なものかどうかなど何ら大事なことではなく、その場の話のタネとして面白いか、「素直になれよ」と言った人間が、そう発言した者"だけは少なくとも"楽しいかどうか、という事項のみが大事なのだ。言動が自己中心的なのはまだいいとしても、それに対する反論の一切を「強がってる断定」「茶化し」で遮断しこちらの感情を勝手に決めてかかってくる卑怯さズルさは、非常に神経に障る。「素直になれよ」と言われると、僕は内心に苛立ちを禁じ得ない。

そのうちに、「俺は素直に言ったんだけど」と返しているとやがて「なんだこいつは、異常な奴だ」といった目で見られ始める。彼らの勝手に考えた「きっとこうだろう、これなら面白かろう」に沿わない感情を持ち合わせていると、それは異常なことらしいのだ。異常なのは、相手の感情を勝手に規定してそれ以外の一切を認めず、反論も許さない人間の方だと思うのだが……。

なので、これから先「素直になれよ」と言われたら「素直な僕の感情として申し上げますが、そんなことを言われるのは不愉快なのでやめていただきたい」と返すことにしようかと思う。臆病者なので多分出来ないなこれ。