流し読み

俺にまつわるエトセトラ

学生野球の投手球数制限について

先日、首都大学野球連盟が投手の球数制限のガイドラインを導入するというニュースを見た(下記URL参照)。第1戦に先発した投手は、121球以上を投球した場合、翌日の第2戦では50球以上の投球を禁止するという、投手の故障リスクを少しでも減らそうとする画期的な取り組みだと思う。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180302-00000049-spnannex-base ※リンク切れ

 

ただ、このガイドラインには罰則がなく、場合によっては(優勝や降格・昇格のかかる試合等)エース級の投手に連投を強いるようなチームが出てくるかも知れない。無論首都大学野球連盟は国内有数の強豪ひしめく大学野球リーグであるからして、各大学とも選手層は厚いから、そのようなケースは少ないだろう。しかし、他のリーグではどうだろうか。

恐らく日本国民の間で最もよく知られている大学野球リーグは、東京六大学野球連盟だろう。早稲田、慶応、明治、立教、法政、東大の六大学が春と秋に勝ち点制でリーグ優勝を争う、日本一の歴史と伝統を誇る大学野球リーグだ。僕もよくテレビやスマホアプリ等で観戦している。しかし近年このリーグを見ていて思うのは、故障する投手が非常に多いということだ。一体なぜなのか。

東京六大学野球連盟では、球数制限は導入されていない。これは別に日本の大学野球リーグでは珍しいことではないが(だからといってこれに問題がないわけでは全くない)、更にもうひとつ問題点がある。昇降格の制度がないことだ。東京六大学野球連盟東都大学野球連盟首都大学野球連盟と違って、一部の最下位チームと二部の優勝チームが入れ替え戦を行い昇降格を決めるというシステムが存在しない。そもそも二部自体がないのだから。

これによって生じる問題とは何か。大学間での選手層の差によって、選手層の薄い大学や、選手層の薄い年ほどエース級の投手の連投に頼らざるを得ないという事態が発生する。例えば、東京六大学野球連盟の万年最下位チームとして知られる東京大学は、昨年秋リーグの対法政戦で15年ぶりの勝ち点を上げたが、この2試合でエースの宮台康平投手(日本ハムのドラフト7位指名でプロ入り)は第1戦に先発し9回を121球で2失点完投、翌日の第2戦も6回からリリーフで登板し試合終了まで60球を投げ切った。2日間の合計の球数は181球である。これで更に中5日で次の試合が控えている。勝負が第3戦までもつれて、そこで登板の機会があれば中4日だ。一方、去年の秋リーグ優勝校である慶應義塾大学の投手陣を見てみると、その様相は全く違う。例として2017年秋リーグの慶東戦3試合を挙げてみるが、慶応は3試合とも違った投手が先発登板し、東大がエースの宮台投手を先発させてきた第1戦は落としたものの、残りの2試合は早々に相手先発をノックアウトし勝ちを収めている。選手層の差によって、このように投手陣にかかる負担というのは全く異なってくることがよく分かるだろう。

ここ数年は、早稲田大学の投手にも故障が目立つ。斎藤佑樹、吉永健太郎、小島和哉などなど…。いずれの投手も甲子園で輝かしい実績を残した選手だが、高校時代からの酷使と、大学に入ってからの更なる酷使(どうも早稲田大学野球部は私大のわりに選手層があまり厚くないようだ)によって潰れてしまった。斎藤はプロ入りしたがパッとせず、吉永は大学時代の後半から完全に壊れ社会人野球では野手へ転向、小島はまだ在学しているが投手成績は1年の頃と比べると見る影もない。早稲田大学野球部は、2017年秋リーグは東京大学野球部と並んで同率最下位に沈んだ。適切なコーチングのもと、投手の酷使を避けつつ復活への道を辿ってほしい。

 

そもそも、大学に野球でのスポーツ推薦で行くような学生投手はだいたいが高校時代に甲子園、もしくは地方大会での酷使に遭っている。高校時代からの酷使のツケが回ってきて大学に入ってから怪我をする、というのはよくある話だ。高校野球はトーナメントの一発勝負、となればエースを先発させるのは致し方ないことかも知れない。しかし、その酷使によって投手の将来を潰してしまっては元も子もない。強豪私学ならともかく、公立高校の野球部ともなればエース級の投手を何人も用意するのは至難の業だ。エースへの負担は、ますます増していく。大会が佳境へと入るにつれ、連投に次ぐ連投を強いられる。先程名前を出した斎藤佑樹などは、2006年夏の甲子園でなんと69回を一人で投げ抜いた(これは一人の投手が投げたイニングとしては大会記録)。沖縄水産高校の大野倫投手は、かつて夏の甲子園で決勝まで全試合を投げ抜き、肘の骨を折って投手生命を永久に絶たれた。トーナメント制という高校野球のシステムは、確実に投手の肩や肘の寿命を縮めている。また問題なのが、日本人はどうもこういう「意気に感じて」とか「根性」とかで疲労や痛みを我慢して投げ続ける、というエピソードが大好きな人が多いということだ。特に中年以上の男性や、高野連の理事会。大事なのは、感動と悲劇の物語の中で死するエース像よりも、選手一人一人の将来であることを忘れてはならない。

高校野球でも球数制限を導入してはどうかという意見も最近よく浮上するようになったのは良いことだと思う。しかし一方で、それではますます強豪私学と公立の格差を広めるだけだという声も聞かれる。他にも、トーナメントではなくリーグ戦形式にするのはどうか、休養日をもっと増やすのはどうか等の活発な議論が交わされている。高校3年生の夏ともなると、大学受験や就職のことも考えねばならないので、あまり大会に多くの時間は取れない。トーナメント形式が抽選や会場の確保その他を鑑みて一番時間がかからないので現状こうなっているのだろうが、果たしてこの形式は本当に正しいのか。今後も議論の余地がある問題である。