雑記帳。

色々書いていく

ゴジラ映画の不思議な現象

前回と打って変わって今回は完全に趣味の話。まだ小さい頃、かの有名な東宝の映画『ゴジラ』シリーズに随分ハマっていた記憶がある。しかし、このシリーズには独特の法則(或いはお約束というか製作上の都合というか)があり、今思うと少し奇異なものであった。まあそもそも扱ってるモノ自体が奇異なんだけど。

 

話を進める。全ての始まりは1954年に東宝によって製作・公開された映画『ゴジラ』である。この映画は非常に傑出した作品で、反核反戦をテーマとした怪獣映画の一つの金字塔とも言えるものだ。

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初代『ゴジラ』のポスター

 

実際国内外を問わず評価は総じてとても高く、上映当時は渋谷の東宝映画館が2時間待ちになったという話もあるほどだ。渋谷東宝の封切り動員だけでも961万人に及び、当時の日本国の人口から換算するとおおよそ10人に1人はこの封切り動員で『ゴジラ』を観たことになるという。なんだこれは、たまげたなぁ…。

あらすじは皆さんもだいたいはご存知、若しくは予測がついているだろうが、一応ざっくりと説明しておく。繰り返される水爆実験によって古代の生物が突然変異を遂げた怪獣「ゴジラ」が東京を襲い、破壊の限りを尽くす。そして最後には芹沢大助博士(演・平田昭彦)の発明した兵器「オキシジェン・デストロイヤー」によって倒され、海中へと没して白骨死体と化してゆく、という感じだ。じかに核や空襲の恐怖と悲劇を味わった頃の日本人が作った映画だけあって、反核反戦映画、パニック映画としての見応えはまさしく白眉である。皆さんも是非一度は観てみてほしい。

 

さて、このように初代『ゴジラ』は興行的にも社会に与えた影響的にも大成功を収めた傑作だった訳だが、これ以降のゴジラシリーズではこの初代『ゴジラ』が脚本に大きな影を落とすことになる。次にその話をしていこう。

初代『ゴジラ』以降、東宝は1975年の『メカゴジラの逆襲』まで合計15本の映画を出している(いわゆる昭和ゴジラシリーズ)。この段階では、1954年の初代ゴジラの内容を踏まえた脚本が各作品でなされているのだが、問題はこの昭和シリーズが終わったあとに発生する。昭和ゴジラシリーズにも色々触れたい部分はあるのだが、話がずれる上に冗長になるのでそれはまた別の機会に。

 東宝1984年末に平成vsシリーズのスタートとして『ゴジラ』を封切る。ここでタイトルに挙げた不思議な法則、現象が発生する。なんと、昭和ゴジラシリーズは初代ゴジラ以外全てが「なかったもの」として設定され、ゴジラが東京を襲うのは1954年以来だとされたのだ。新たなステージへとシリーズを持っていくためには仕方のないことなのかも知れないが、どうにも首をひねらざるを得ない。

この現象は更に続く。1991年の『ゴジラvsキングギドラ』では、未来からやって来た時間遡行者によって歴史が改竄され、ゴジラがいた歴史そのものが「なかったこと」にされてしまう。そして、何故か再びここでゴジラが現れる(原潜が事故ったか何かが原因らしい)。おまけに、キングギドラゴジラに倒された後に、今度は正義の未来人が倒されたキングギドラをメカキングギドラに改造してゴジラを倒そうとする超展開。84年の『ゴジラ』から間に『ゴジラvsビオランテ』を1本挟んでいるとはいえ展開がややこしいわ!映画自体はゴジラ誕生の秘密が明かされたり迫力満点の特撮バトルシーンの連続でなかなか良かったけど

まだある。1995年、平成ゴジラvsシリーズは『ゴジラvsデストロイア』をもって完結する。ゴジラの死を描いた、ファンにはなかなか胸にこみ上げるものがある映画ではないかと思うが、まあそれはいい。問題なのはこの後だ。1999年、東宝は新たにゴジラ・ミレニアムシリーズと銘打って『ゴジラ2000 ミレニアム』という映画を封切る。ここでまたリセット現象が発生するのだ。1954年の初代ゴジラ以外の出来事は再び「なかったこと」にされる。そしてここからミレニアムシリーズがスタートするのだ。新たなシリーズに移行する時はリセットしなきゃいけない決まりでもあるのか?

そしてミレニアムシリーズに入ると、リセットの回数は劇的に増加する。続く『ゴジラvsメガギラス』では、いきなり訳の分からない設定がされる。何と、初代ゴジラがオキシジェン・デストロイヤーによって殺されたという歴史が「なかったこと」にされ、ゴジラは過去に何度も日本を襲っており、挙げ句の果てには日本の首都は大阪になっているとかいうトンデモ展開だ。これもうわかんねぇな…。更にその次の『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』では再びリセット現象が発生。ゴジラは初代以外は全ていなかったことになっている。そしてさらにその次の『ゴジラvsメカゴジラ』でまたしてもリセット。何回この手法続けるんだよ!アメリカの名物レビュワー「AVGN」ことジェームズ・ロルフ氏の言葉を借りよう。「初代は金塊、他は全部クソとでも思ったのか?」

4連続でゴジラをリセットするのは流石に如何なものなのか。これで映画が面白いならまだ良いのだが、個人的には正直先に挙げたミレニアムシリーズは『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』以外はそんなに面白くない(あくまで僕の個人的見解なので面白いと思う方がいたら悪しからず)。特に『ゴジラvsメカゴジラ』は子供心にも正直観てて退屈だった(父親と映画館行きました)。自衛隊メカゴジラ取り戻す戦いとかどうでもいいからゴジラをもっと出せよな、ゴジラ見たくて映画館まで行ってるんだから。まあ続編の『ゴジラ モスラ メカゴジラ 東京SOS』はまあまあ面白かった(内容は様式美って感じは否めなかったけど)からそこで差し引き0か…?『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』は僕が初めて観たゴジラ映画だったので多少の補正はあるかも知れないが、古代神話に絡めた展開や、見た目も行動もファンによく「シリーズ史上最凶」と言われるほど凶悪な怨霊の如きゴジラの恐怖、(公開された2001年当時としては)目覚ましい特撮技術等、観ている者を飽きさせない要素が盛り沢山だ。是非とも観てみてほしい。余談だが、ゴジラシリーズ最凶と言われるゴジラ(太平洋戦争で戦死した人々の怨念が乗り移った破壊神という設定らしい、だから人々を容赦なくブッ殺そうとする)の出演する、人がバタバタ死にまくるこの映画を、東宝はよりにもよってハム太郎映画との同時上映で放映した。ハム太郎目当てで観に行った子供の反応は想像に難くない。こんな同時上映考え付いた奴誰だよ

そして、2004年に放映された「ゴジラ FINAL WARS」では、何と過去に放映された全てのゴジラ映画の出来事が「あったこと」にされている。今度は設定復活させるのかよ…(困惑)。しかも舞台は現在ではなく遥か先の未来ということになっている。もう訳が分からん。まあ映画自体は怪獣がドカドカ出てきてなかなか胸熱なのでそれでいいか

最近話題を呼んだ『シン・ゴジラ』についてだが、僕は観ていないのであまり講釈を垂れることは出来ない。しかし、ポスターや予告編等で目にしたゴジラの造形にどうも違和感を感じる。これは僕が幾分か昔のゴジラ映画ばかり観ていたからだろうが、ゴジラは背中からビームは出さないし、あんなに赤黒い色彩はしていない(ゴジラはグレー、もしくは黒い体色が基本だ)し、放射熱線はビルを突き抜けることはあっても切断はしない(ビルを切断するような光線を出すのは大映ガメラ映画のギャオスだ)し、何よりゴジラは集合体生物ではない。読者諸賢、こういうことをベラベラ言うのが老害、もしくは悪いタイプのオタクなのだろう。『シン・ゴジラ』ファンの方々、申し訳無い。

 

総論に入る。初代『ゴジラ』は傑出した作品であったが、その幻影に東宝は追われ、新シリーズ製作ごとにリセット現象を発生させるようになってしまう。悪いことばかりだとは言わないが、その都度ストーリーを理解し直さなくてはならないのが欠点だ。製作側からすると過去作を初代ゴジラ以外無視して都合の良いように脚本できるので便利な手法なのかも知れないが、どうにも釈然としない。僕が気にしすぎなのか?

この手法がファンに与える利点としては、リセット現象が発生するたびにこれまでの作品群と違った見た目や背景を持つ新たなゴジラを存分に観賞できる、つまり飽きづらくなり新鮮味が映画それぞれに出てくるという点が挙げられるだろう。

東宝が生み出した不朽の名作シリーズ『ゴジラ』は、初代のあまりに素晴らしい脚本や映像、特撮の数々に後の作品群が影響され、「都合がいいから」という理由のもとリセット現象が相次ぎ、結果としてファンを混乱させることとなった。そのことによる功罪は相半ばするといったところだろうが、もう少しスムーズに脚本を進めることは出来なかったのだろうかという一抹の疑問に駆られる。今後、東宝で新たにゴジラ映画が作られるかどうかは分からないが、なるべく前作の内容を踏襲したものとして脚本を進めていってほしいと、一ファンとして切に願う。

最後に、僕なりのおすすめゴジラ映画トップ5を紹介して、結びに代えたいと思う。

1位 『ゴジラ』1954年公開

2位 『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』2001年公開

3位 『モスラ対ゴジラ』1964年公開

4位 『ゴジラ FINAL WARS』2004年公開

5位 『ゴジラvsデストロイア』1995年公開

読者諸賢、とりあえず見てみてくれ。ガメラ映画やウルトラマンシリーズについてはまた今度機会があれば取り上げます。