雑記帳。

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書評『木橋』

今回紹介する本は、永山則夫作『木橋』である。永山則夫と言えば、かの有名な連続ピストル射殺事件を起こし1997年に刑死した元死刑囚である。逮捕当時は読み書きもままならないほどであった彼だが、獄中で勉学を重ね、自己の体験を振り返る形で文学を発表し続けた。『木橋』は、そんな彼の代表作のひとつであり、1983年にこの作品で新日本文学賞を受賞した。彼の生い立ちやその生きざまについては、堀川惠子作『永山則夫―封印された鑑定記録―』に詳しく述べられているので、そちらを参照されたし(近いうちにそちらのレビューもアップロードするつもりである)。以下にネタバレを含むので注意。

 

木橋 (河出文庫)

木橋 (河出文庫)

 

 

本作は、『木橋』『土堤』『なぜか、アバシリ』という三つの短編からなっている。本記事では、『木橋』をこの三つのうちから取り上げたい。『木橋』は、永山の自伝的小説で、彼が青森県板柳町で過ごした頃のことが書かれている。

主人公のN少年(つまり永山)は、三番目の兄が集団就職で東京へ行く前の小学校四年生の時から手伝い始めた新聞配達のアルバイトを、生活の糧としていた。当時、新聞配達をすると板柳町にあった映画館の映画をタダで見られる「パス券」を店主からもらえたのだ。N少年にとって、この「パス券」は憧憬の対象であった。なぜなら、それは小学校で推薦する映画をお金のなさが故に指を咥えて見過ごすしかないという惨めさからN少年を解放するものだったからだ。さらに、テレビのない家に住んでいたN少年は、テレビを見るために他の裕福な家へお邪魔させてもらい、厭味を言われながら30分くらいだけ見せてもらった挙句に追い出される生活を送っていたが、「パス券」はそのようなことごとにも別れを告げられるもののように思えた。

N少年は、頻繁に家出をした。二番目の兄のリンチと、三番目の兄の罵倒が原因である。二番目の兄が上京するまで、N少年の顔には痣やタンコブが絶えなかった。母は、行商から帰って来て、N少年が泣いているのを見ると、理由も訊かずに「ホレッ、まだ泣いでるじゃ!」と怒鳴った。家よりも、外の世界の方が静かに過ごすことができたのだ。N少年にとって、家は暴力と罵倒に耐え続け、ひたすら雑用を押し付けられるだけの、家族愛も何もない場所に過ぎなかった。

ある日、N少年はいつものように新聞配達へ出かける。N少年の家から新聞屋までの道のりには、小さな木橋があった。その日、街は暴風に襲われ、川は氾濫していた。木橋は今にも流されそうに、頼りなくそこに横たわっていた。

夕刊の配達を終えて、家に帰ったN少年は、木橋のことがまだ気にかかっていた。晩飯を食べ終わったN少年は、夜8時頃、木橋を見にゆく。木橋は、流れに揺られながらも、まだそこに頑張っていた。木橋の上にそそり立つ黒々とした山並み。ふもとに広がる林檎畑。林檎の木の枝は、人間の手のように見えた。「助けてよ、助けてよ」と叫んでいるように見えた。ひとり、少年はそれを視ていた……。

 

子供は親を、兄弟を選べない。愛のない家庭に育ち、ただ恐怖と絶望にのみ塗りつぶされた日々の中で、少年はいったい何を学ぶことができるというのだろう。心の中には、絶望と怨嗟が募り、いつかそれはきっと爆発する。永山のように……。

幼少期に親から無償で愛されるという経験は、何物にも代えがたい。子供は、親の愛のもとに育ち、そして次第に自立してゆく。しかし、親が子供を愛さなかったら、親が子供を放っておいたら、子供は精神的に自立することはできない。

この小説には、救いはない。N少年を愛する人は誰もいないし、N少年を守ろうとする人も、友情を分かち合おうとする子供もいない。N少年は、いつも一人だった。