流し読み

俺にまつわるエトセトラ

ゲームへの眼差し

俺の実家はテレビゲーム禁止の家庭だった。これは今時わりと珍しいことのようで、周囲でそういう家庭環境に育った人は現在に至るまで寡聞にして知らない。姉が小学5年生のとき、誕生日にDSを買ってほしいと父親にねだったことがあったが、とりつく島もない様子であった。

俺が小学生だった頃、クラスではモンスターハンターが大流行していた。無論俺もプレイしたかったが、買ってもらえない以上どうしようもない。仕方なく友達の家でDSを借りてプレイさせてもらっていた。買ってくれと父親におねだりすることは、何故か非常にみっともないことのように思えたのでしなかった。俺はそういうどこか「利口ぶった」小学生だった。

そんな調子だから、勿論クラスメイトのゲーム話には全くついていけない。

「この前モンハンのティガレックスが云々」

マリオカートの◯◯ステージをようやくクリアして云々」

これらの話をしているクラスメイトが非常に羨ましく思われたと同時に、強い孤立感を覚えたのは事実だ。彼らが遠くに行ってしまったような気がして、ゲームを買ってもらえない自分が少し惨めだった。

結局、父親によるこの「ゲーム禁止」は俺が高校を卒業するまで18年続いた。先日実家に帰ったら弟が居間のテレビで堂々とNintendo Switch版の「大乱闘スマッシュブラザーズ」をプレイしていて俺がぶったまげた話はまた別の機会にでもする。

中学高校の時もゲームの話は相変わらず全く分からなかったが、抑制された「ゲームをしたい」という願望が形になって現れてきていた。その頃、YouTubeニコニコ動画というものに初めて出会ったのだが、ゲームをプレイし、その実況をする動画がポツポツ投稿されていた。俺はその実況動画に追体験を求めて、親が寝静まった後一人居間のパソコンで動画を再生しニヤついていた訳である。

 

大学に入学して実家を離れ、初めて「おおっぴらに家でゲームをしていても誰にも咎められない環境」を手に入れた18歳の俺ではあったが、しかしその段階に至ると今度は、何故か「ゲームを買うこと」に仄かな罪悪感を覚えるようになった。ゲームショップに行くと、何故か悪いことをしている気分になる。これは今でも同じである。据え置き型のゲーム(この呼称が正しいかは分からない)を購入することは、俺にとっては相当な覚悟が必要な行為なのだ。あるいはDS、PSPWiiもそうだ。何故か買うのが怖い。

俺は現在ソシャゲにドハマりしてたまに課金をしたりもしている。ソシャゲというものの存在をまともに知ったのが大学生になってから、というのがその要因なのか?それともそのコンテンツが単純に好きだから?理由は今でもよくわからない。

 

ちなみに、俺が一番長くプレイしたテレビゲームは、近所の文教堂書店に体験版として置かれていたウルトラマン格闘ゲームである。俺がケムラーに苦戦していたところに突然現れて、毒ガスの来るタイミングを教えてくれたあのTシャツスポーツ刈りの少年は今どうしているだろうか。

少年から青年への目覚め─川原にて─

※この記事には性的な記述が含まれています。そのことに留意された上で、それでも良いという方のみ、以下の文章をお読み下さい。

 

小学校4年生か5年生の時だったと思うのだが、ある休日に自転車で出かけた。何か明確な目標があったわけではないが、ただ漠然と「自分が行ける限界まで行ってみたい」と考えて自転車のストッパーを蹴ったのは覚えている。

その頃住んでいた地域はそこそこな田舎で(詳細は以前書いた「あの頃」という記事参照)、当時持っていた地図帳を見ると隅っこにはダム湖が描いてあった。とりあえずそのダム湖を目標にして自転車を漕いだ。季節は初夏で、山々が緑に染まり風に揺れていた。

やがて大きな橋が架かった川に差し掛かった。当時の僕は大変な昆虫好きで、川原にはトノサマバッタを捕まえによく行っていたので、勿論この川原にも立ち寄って虫を探すことにした。よくある田舎少年の光景である。僕は嬉々として自転車を止め、川原をうろうろしていた。

 

人生というのは何が起こるか分からないものだ。その瞬間まで頭の片隅にも思わなかった物事が突然目の前に立ちふさがるなんてことはよくある。あの時の僕もそうだった。

 

川原を歩いていると、ちょうど橋の真下、影が落ちてくるところに汚い紙束が大量に落ちていた。正義感に溢れる少年だった当時の僕は、当然それを回収して自宅に持ち帰り、「燃えるゴミ」の箱にぶち込むことが責務であると考え、その紙束を拾った。勘の良い読者の方ならもう今後の展開にお気づきだろう。

見てみると、その紙束には女性の裸の写真が ”カラーで”  印刷されていた。僕は当時性的な物事への興味関心などは全くなく、また性欲の何たるかも考えたこともなかった。これが平均的なものなのか、それとも遅いものなのかはよく分からないが、そんなことは些細な問題だ。

その紙束に印刷された "カラーの" 女性の裸からなぜか目が離せなかったのは鮮明に覚えている。僕は男性であるし、身近な女性は家族しかいないから、女性の裸をまともに見るのはそれが初めての体験であったことは言うまでもない。こういう話に共通して存在する感覚だと思うのだが、僕はなぜか自分が途轍もない大罪を犯しているような気分になり、慌てて周囲を見回した。幸か不幸か、ちょうどカヌーサークルか何かの団体が川を下っているところであり、船上のおじさんとばっちり目が合ってしまった。僕は必死で「川原のゴミ拾いをしている、道徳心に溢れ身近な環境問題に通暁した少年」を演じることで平静を保った。あの時の演技は、その年の学習発表会で主役を演じた全ての同級生よりも秀でていたに違いない。

無論、その紙束(通俗的な言い方をすると捨てられたエロ本)を僕は自宅へ持って帰らなかった。川原に落ちていたゴミを置き去りにすることに対する道徳心の痛みよりも、未知の罪悪感からの逃避の方が重要な問題であったからだ。

その後、保健の教科書を僕がそれまでより少し熱心に読むようになった話や、18歳になってから暫く経った高校3年生の冬に初めてエロ本を自前で買った話はまた別の機会にでもすることにしようと思う。

素直じゃない「素直」

素直になれ?

突然だが、皆さんはこんな経験をしたことはないだろうか。

 

例えば、あなたは最近恋愛に冷めていて、しばらく恋人など別に欲しくはないなと考えている。今の生活にも満足しており恋人がいない寂しさも特筆するほどではなく、結婚についても焦る気持ちはない。

そんなある日、あなたは友人と飲みに行く。友人は、あなたに向かって「最近恋人がいないと言っているが寂しい筈だ、こんど好い人を紹介しよう」などと言い出す。あなたにとって恋愛は別に急を要する問題ではないから、そんなことはしなくていい、私は今の生活に満足しているし恋人も欲しくはないと返事をすると、友人は「そんな強がりを言わなくてもいい、本当は寂しいんだろう」「自分の気持ちに素直になりなよ」と言ってくる。あなたは何だか心にスッキリしないものを抱えたまま、結局その話を受けてしまう……。

 

このような、「強がるな」「素直になりなよ」体験(恋人に限った話ではなく、仕事や生活、人間関係など多岐に渡るだろう)をしたことがあるという人は、それなりにいるのではあるまいか。

 

 

「素直な気持ち」は必ずしも「素直な気持ち」とは捉えられない

上記の例で、もしあなたが本当は恋人がいないことが不満足で、寂しさと毎夜戦っているとしたならば、友人の言葉は悩みを吐露しやすくするものかも知れない。だが、いずれにせよこの友人がやっているのは、相手の気持ちを勝手に自分の都合のいいように解釈し、それ以外の感情の発露を一切認めず、あなた本人の気持ちを無理矢理規定して悪びれもしていない悪辣な行為である。

「素直な気持ち」をたとえ吐露したとしても、その場にいる人間にとって面白いもの、彼らの希望に沿うものでなければそれは「素直ではない」と強制的に決定され、それに言い返すと「ムキになっている」「強がっている」と捉えられ、どうあっても真面目に聞いてもらうことなどもはや望むべくもない。

やがて、あなたは「素直になってみろよ」と言われるとむしろ素直になれず、本当の気持ちがどうなのかとは関係なしに「いやはや実は恋人がいないと寂しくて…」「本当はあいつが先に昇進したのが悔しくてね…」といかにも相手にウケそうな台詞を選ぶようになる。すると相手はウンウンと頷いて満足げに「そうだろうそうだろう」と、こう来るわけだ。

 

「素直になろう」のズルさ

「素直になろう」がズルいのは、ここでたとえ「俺は素直に話したつもりだ」と言い返しても、絶対にそれを相手はまともに取り合わないところだ。「まーたそんなに強がっちゃって…」「強情なやつだなあ」なんてニヤニヤ笑いながら言う。「なぜ俺は素直ではないと断定できるのか」といくら訊いたって、こいつ強がってムキになっているぜとからかわれて終わりである。素直かそうでないかの判断基準なんていう話には、絶対に乗ってこない。ひたすら茶化してからかって、それだけだ。

結局のところ、本当にその言葉が素直なものかどうかなど何ら大事なことではなく、その場の話のタネとして面白いか、「素直になれよ」と言った人間が、そう発言した者"だけは少なくとも"楽しいかどうか、という事項のみが大事なのだ。言動が自己中心的なのはまだいいとしても、それに対する反論の一切を「強がってる断定」「茶化し」で遮断しこちらの感情を勝手に決めてかかってくる卑怯さズルさは、非常に神経に障る。「素直になれよ」と言われると、僕は内心に苛立ちを禁じ得ない。

そのうちに、「俺は素直に言ったんだけど」と返しているとやがて「なんだこいつは、異常な奴だ」といった目で見られ始める。彼らの勝手に考えた「きっとこうだろう、これなら面白かろう」に沿わない感情を持ち合わせていると、それは異常なことらしいのだ。異常なのは、相手の感情を勝手に規定してそれ以外の一切を認めず、反論も許さない人間の方だと思うのだが……。

なので、これから先「素直になれよ」と言われたら「素直な僕の感情として申し上げますが、そんなことを言われるのは不愉快なのでやめていただきたい」と返すことにしようかと思う。臆病者なので多分出来ないなこれ。

ハイライト

僕は喫煙者だ。最近の世の中は嫌煙の潮流があって少し肩身が狭いが、実際副流煙は非常に健康を害するから仕方ないことだろう。まあとにかく、今回は喫煙の害やらたばこ条例やらの社会的な話がしたくてこの記事を書いている訳ではないので、その辺のことについては触れない。

 

僕の一番頻繁に吸っている銘柄は断トツでハイライトだ。JT日本たばこ産業)の生産する純国産の煙草で、1960年の発売以来今日まで長く愛されている日本を代表する銘柄である。僕は現在、1日だいたい7~10本ほど吸うので、2、3日に1箱くらいのペースで買っている。値段は20本入りの1箱で420円。タール17mg、ニコチン1.4mgで、現在コンビニで売っている煙草の中では重い部類に入ると言えよう。

ハイライトという名前は、hi-liteと綴る。「もっと陽の当たる場所」という意味らしい。発売された1960年は、4年前の1956年には経済白書に「もはや戦後ではない」と記された高度経済成長の真っ只中にあり、そうした世相を反映した名前であることが窺い知れる。

最近よくある煙草の箱のタイプは、いわゆるボックスタイプとか呼ばれるものだ。セブンスターの箱なんかが典型だろう。箱の上部に蓋がついていて、そこをパカッと開く方式だ。何本か吸った後だと、この箱の中にライターを入れておくことが可能なので便利である。しかしハイライトの箱は、今時少し珍しいソフトタイプだ。ボックスタイプのような厚紙ではなく、普通の柔らかい紙で出来ている。このタイプの箱は、上の銀紙の真ん中を横断するような形でオビがついていて、そのオビで分けられているどちらかの銀紙の折り目がついた部分をビリビリ破いて開ける。よく言われるのは、銀紙の折り目が「人」の形(つまり左の紙が上)ではなく、「入」の形(右の紙が上)になっている側を開けるというものだ。元々は水商売の世界に存在していたやり方のようで、「人」を破くのは失礼だからという理由らしい。こじつけかも知れないが縁起がいいので、僕もそれに倣っていつも「入」の側を破くようにしている。
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手元にあったハイライトを撮影。右が「入」で、左が「人」の形になっているのがお分かりいただけるだろうか


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そして、この箱のデザイン。まさしくシンプルイズベスト。昭和の香り漂う、何とも渋くて格好いいものではあるまいか。俗にハイライトブルーなどと呼ばれる色彩で、新幹線の色を決めかねていた国鉄の職員が、会議室でハイライトの箱を見てこの色にしたという逸話もある。ちなみに、デザインは『三谷幸喜のありふれた生活』のイラスト等で知られる和田誠である。僕はこの箱のデザインが大好きで、以前絵に描いたこともあるぐらいだ。僕が海に憧れていたというのも、この青色に惹かれた理由かも知れない。このへんの煙草の箱デザインの話については、また今度詳しく書きたいと思っている。

 

と、ここまで箱の話を延々としてきたが、やはり一番の問題は味である。どんなに綺麗な箱の煙草でも、肝心の味がまずければデザインで感じた喜びは雲散霧消だ。以前アメリカンスピリットを買ったとき、箱に描かれたネイティブアメリカンの絵を見て「中々どうしてハイカラな雰囲気でいいじゃないか」なんて思ったが、どうも味の方は、少なくとも僕は好きになれなかった(アメスピが好きな方を否定するつもりは一切ありません。単に僕個人が苦手な味だったというだけです)。煙草の味も人によって色々好き嫌いがあるから、煙草を吸おうかなと考えている方は、まずコンビニで売っているものを幾つか適当に吸ってみるといい。

話を戻す。さてハイライトの味だが、(僕個人としては)コンビニの煙草ではやっぱり一番美味しく感じられて大好きだ。高度経済成長期に最も売れた煙草の名は伊達ではない。

ハイライトに火をつけてゆっくり吸い込む。鼻と口に拡がる独特の芳醇な香りは、ラム酒でつけられているものだ。これが非常にいい味を出している。ふわりと漂う甘味と、仄かな酸味(これがもしガツンと感じられたら吸い込む勢いが強すぎる証なのでもう少しゆっくり吸い込もう)に、自然と頬が綻ぶ。基本いつ吸っても美味いのだが、特にお酒を飲みながら吸うともう堪らない。同じく僕の好きなビールをぐびりと一口、そしてハイライトを吸い込む。至高だ。喫煙者の読者諸兄、ハイライトを是非ともお試しあれ。

 

悪夢

自分の身体から血が抜けていく。だんだんと身体が冷たくなっていくのが感じられる。深い海の底へ底へと沈んでいくような、そんな気持ちがする。どうやら俺は死ぬらしい。そんなことを考えたあたりで死ぬ。そんな夢を見た。

 

 

自分の布団に他の誰かがいる。どういう怨恨か知らないが、俺は包丁を持っていて、その人(暗くて誰だかよく分からない、辛うじて和服の女性だということだけは分かったがそんな人には全く覚えがない)に何度も突き刺す。ねばねばした血が腕や顔へとかかるのがよくわかる。女性は何も言わぬ。ただ死んでいく。そんな夢を見た。

 

 

自宅の天井に何か大きな生き物が張り付いていて、凝然と俺を見ている。何なのかは分からない。それを見ようと思って振り向いた瞬間に死ぬ。そしてまた自宅へと戻っている。何度も振り向いて、何度も死ぬ。そんな夢を見た。

 

 

どこだかはさっぱり分からないが、とにかく俺は超高層ビルの屋上にいる。遥か下には、歩く人々の姿がゴマ粒のようにポツポツと見える。誰かが俺の背中を押す。俺は真っ逆さまに落ちていく。風が身体を切り、ビョウビョウと大きな音がする。当然頭が重いから、脳天を下にして落っこちていく。地面に当たる瞬間に目が覚める。そんな夢を見た。

 

 

眼鏡の中年男性(見覚えはない)にひたすら怒られている。どういう理由なのか全く分からない。とにかく怒られている。「お前はそんなんだから駄目なんだ」と、どこかで聞いたことのあるような言葉を耳にした。目覚まし時計の音が、説教と俺の心に溜まってきた怒りを打ち破った。そんな夢を見た。

 

 

どこまでも歩いている。先は見えぬ。ひたすら一本道を歩いていく。まわりは畑なのだが、何故か時計を栽培していて、生えている時計の針が俺が歩くのと同じようにガッチャガッチャと動く。空は曇っている。そんな夢を見た。

 

 

 自分の夢が分からない。

あの頃

小学生の頃、田舎に住んでいた。近所の森にヒグマやシカが出たり、バスが一日に来る本数が一桁だったり(今調べたら一日上り下りともに7本だった)、庭にキツネが出たりするくらいの田舎である。鉄道は走っていない。コンビニは一番近いところで、坂道を20分くらい上ったところにあった記憶がある。僕は12歳までそこで暮らし、小学校を卒業すると同時に現在実家のある町へと引っ越し、大学入学を機に上京して今に至っている。

田舎の暮らしは、今思うと不便なことも色々あったが、当時はそこそこ楽しかった。学校の休み時間は図書館で読書に耽り、放課後は塾(バスでしばらく行ったところにあった)がない日は昆虫を捕まえて遊んでいた。あの頃は大きなクワガタムシを捕まえることが男子生徒みんなの夢であり目標のようになっていたから、僕も夏の夜になると父に頼んで一緒に公園の白熱灯を見に行っていた。特にミヤマクワガタが人気だったと思う。今でも夏になると、ついつい神社の傍の街灯などを見に行ってしまうのは当時の思い出が誘蛾灯となって僕をおびき寄せているからなのだろうか。

 

小学校の給食で、一番人気なのは揚げパンだった。あれが出る日はおかわりのジャンケンをする生徒の目がとても真剣だった。しかし、僕は揚げパンが苦手だった。砂糖がべたべたしていて、どうにも好きになれなかったのだ。揚げパンを欲しがるクラスメイトと、何か他のおかずをトレード(北海道弁で言うと「ばくりっこ」)してもらって腹を満たすのがいつものことだった。

小中学校は給食制だから、間食ができないのが非常に苦しかった思い出がある。特に中学生の時はキツかった。男子中学生の胃袋なんていうのは底なし沼のようなもので、食べても食べても腹が減る。朝食はいつもおかわりをしていたのだが、4時間目になるといつも腹がグウと鳴ってたいそう恥ずかしかった。高校に入ってからは購買でパンやお握りなんかを買えるようになったし、食事を学校に持ち込むこともできたので随分助かったものだ。

 

運動会の時、毎年のように校庭で竜巻が起こるのには閉口した。原因はいまいち分からないのだが、なぜか毎年昼過ぎになると発生した。弁当が砂利だらけになるし、ビニールシートや傘なんかが飛ばされて裏の田んぼに突っ込み泥だらけになったりする。運動の苦手さと相まって、運動会はいつも大嫌いだった。

当時を振り返ると、かなり小規模な運動会だったなあと思う。生徒の数が少ないので仕方ないが、どの種目もあっという間に終わる。一番時間がかかったのは100メートル走だろうか……。

 

汚い話だが、冬になるとつららをよく食べた。登下校の道にある家の屋根からよくつららが垂れているので、それを折ってボリボリ食べるのだ。いい水分補給だとあの頃は思っていたが、そのうち汚さに気づいてしなくなった。

雪もよく食べたが、これも同様の理由でしなくなっている(酔っ払っていると今でもたまにやってしまうけど)。

 

 近所に、何歳か年上の女の子が住んでいた。僕がまだ小学生だった頃に、彼女は中学校へ入学した。制服を着た彼女は、何故かとても遠いところへ行ってしまったような感じがして、以前のように一緒に遊ぶことに変な気後れを感じてしまった。その後、僕は引っ越し、彼女もどこか別の町へ引っ越し、風の噂で上京したようなことを聞いたが、現在何をしているのか、どこに住んでいるのか、元気にしているのか、今となっては何も分からない。引っ越してから、一度も会ったこともない。あの女の子は、どこへ行ってしまったのだろうか。もう二度と会えないと知っていながら、それが心のどこかに引っ掛かって仕方がない。

 

昔僕が住んでいたあの小さな町は、諸々の理由で今は誰もいなくなってしまったようだ。一度だけ見に行ったが、熊笹の向こうに見える昔の家は朽ち果てていた。草木に蝕まれ、陽の光に照らされ、雪に押し潰され、少しずつ森へと還っていくように思えて、戻らぬ少年の日々に茫漠とした悲しみと儚さを覚えてならなかった。

 

あの頃を思い出すにつけ、薄明の色彩に混濁した少年の日々の、砂子のような小さく静かなきらめきを偲ばずにはいられない。皆さんはどうだろうか。

時間の流れとは

時が流れるというのはどういうことだろうか。我々は日常的に時計やスマートフォンの時刻表示などで時間を見ているし、あらゆる人は時の流れの中に生きている。時間というのは川の流れのように、いつも先へ先へと進んでいて止まることはない。考えるまでもなく当たり前のことである。しかし、僕はいつも思うのだ。時が流れるのは何故なのか。一年一年、一日一日、一秒一秒、時は確実に流れていて、我々は常に好むと好まざるとに関わらず「現在」を次の瞬間には「過去」へと変換され「未来」へと進まされる。当然その間に僕は老いていくし、僕を取り巻くさまざまな事象は変化を遂げるだろうし、世界の様相もどんどん移り変わってゆくだろう。今日はそんなことを少し考えてみることにしたい。

 

時間軸というのは、常に3つの要素によって構成されている。先ほども述べた「過去」「現在」「未来」だ。数学的に言えば(数学が非常に苦手なので誤りがあったらご指摘を賜りたい)、X軸のみが存在していて、Y軸とZ軸はそこにはない。つまり時間というのは1次元的な図の描き方で説明できる。要は1本の線だ。それの片方の端に「現在」があり、もう片方の端にその人が時間という概念の中に生き始めることになった契機、その人の生命誕生の瞬間があると仮定しよう。右端を現在、左端を起点と定義する。時間は起点から常に右へ右へと進み続けており、少なくとも今この瞬間までは進むことが可能でありつづけている。

では「未来」はどこにあるのか?そして、我々は自分が生まれる前にも時間が流れていたことを了解しているし、また死んだあとも恐らく流れ続けるであろうことも了解している。時間の流れというのは、如何にしてこのように我々に了解されているのだろう?

 

未来と時間の速度について

未来は、現在の先にある(とされている)ものだ。つまり先ほどの時間軸を持ち出すと、起点から右へ右へと進み続けている「現在」の先、もっと右に「恐らく存在していて、そして今後いつかそこが『現在』になりうるような点の集まり」が未来と言えるのではないだろうか。

こう考えると、未来というものがいかに不確かなものかがよくわかる。まず来るかどうかが分からない。そして、そもそも来るということは存在していることが前提になっている筈だが、未来の存在を実証しうる証拠は果たしてあるだろうか。こういうことを言うと、「これまで我々の人生には未来があり続けてきたんだからこれからもあるのは当然だ」という反論を受けることは予想できる。しかしだ。過去これまでそうだったからと言って、これから先も必ずそうであるという保証にはなり得ないのではなかろうか。

未来はこれまで「たまたま」連続して我々の人生に「現在」へと姿を変えて現れ続けてきたのであって、その「たまたま」がこれからも続くという保証は、少なくとも僕は寡聞にして知らない(もし未来が確実に存在するという確たる証拠を提示し、未来の存在を証明できうる方がいたら是非意見を賜りたい)。

そもそも、時間が流れるものであるとしたら、そこには確実に一定の「速さ」というものが存在する筈である。しかし、ここで一つ疑問を提示したい。

例えば、Aという人と、Bという人がいたとする。AとBの走る速度が全く同じと仮定すると、AとBが同時に10km/hで同じ方向に走った場合、Aから見たBの速度は(Aの主観から見て)0km/hである。同じ速度で走っているのだから、計測器でもない限りAから見ればBの速度はないものと同じだ。しかし第三者から見た場合、両者はどちらも10km/hで走っている。これは一体どういうことだろうか。Aから見たBの速度と、第三者から見たBの速度には、明らかに矛盾が生じている。しかしA、B、第三者の間にはこの時いずれも全く同じ時間が流れている筈であり、そして同じ時間に同じ速度で走っているにも関わらずその速度認識には違いがある。アインシュタイン特殊相対性理論によると、高速で移動する物体と停止している物体とでは、前者の方が時間の流れが若干遅いらしい。何が言いたいかというと、時間の流れは、条件Xと条件Yのもとでは速度がちがってくるのだ。

ここまでは物理法則における速度の話をしてきたが、これを今度は時間に当てはめてみる。例えば、退屈な授業を受けている時や労働をしている時と、友達と楽しく遊んでいる時とでは、同じ2時間でも体感として後者の方が短く感じられるのではないだろうか。文学でもよく「楽しい時間はあっという間に過ぎる」という表現が使われる。ここでも条件Xと条件Yのもとでは、時間(ここでは我々は高速で移動していないので認識にとどまっているが)の速度に差がついている。

 時間の体感認識の差は、「集中」によって生じるというのが僕なりに考えた結論だ。たぶん大方の人もそう思うだろう。物事に集中している時は時間認識は「速く」なるし、逆にしていない時は「遅く」感じられる。物理的側面における違いが「速度」であるならば、認識における違いはその「集中」の「強さ」だ。人間の心理には速度は存在しないのだから。人間の認識とは不思議なもので、時間の流れは一定である筈なのに先刻の物理的な例や心理的な面から見るとそこには細かな違いが発生している。

 

時間の流れの了解とは?

冒頭でも述べた通り、我々は自分が生まれる前も、死んだ後も時間が流れ続けるであろうことを了解している。しかし我々はその現場を見ることはない。ではなぜ、時間がこれまでもこれからもずっと流れ続けることを人間は承認しているのだろう?

 前章では、まず物理的側面から時間と未来について切り込み、それを心理的側面へと適用してみたが、本章では「こころ」の時間認識について迫り、それを深く考えてみることにしたい。なぜなら、時間そのものは物理的に流れるものとしての説明が可能だが、本章で考える時間の流れの了解において了解を「する」のは「人間」であって、人間が時間を認識するのは「こころ」によってだからだ。

 例えば、今朝僕はシャワーを浴びたが、これは僕が生きている間に起きた過去の出来事だ。僕は「今朝僕はシャワーを浴びた」ということを了解している。シャワーを浴びていたその時はそれが「現在」だったが、この記事を書いている今この瞬間においてはもうそれは「過去」の出来事だ。そもそも、この「シャワーを浴びた」という過去の出来事はどこへ行ったのだろう?今この瞬間僕はシャワーを浴びていないが、仮に明日の朝が来たとしたら僕は恐らくシャワーを浴びるだろう。では、今朝の「シャワーを浴びた」という出来事は未来へ行ったのか?というと、これは違うだろう。未来の事象はまだ現段階に於いては不確定であって、過去がそのまま未来へと移動するなどという現象はありえない。

過去の出来事は、全てが「過去」というカテゴリに例外なく分類され、それは時の流れの法則に従い「終わったもの」として今この瞬間我々に認識されている。過去は、冒頭で出した時間軸の左側に存在しているのではなく、もはや「認識」においてのみ我々の心の中にあるのだ。それが証拠に、歴史の教科書でよく何年にこんな出来事があって云々という記述があって、我々はそれがあったことを認識しているが、実際にそれを(例えば関ヶ原の戦いを)見たという人はいないだろう。それを「現在」として認識したことのある人間が既にみな死んでいるからだ。しかし僕はそんな出来事があったということを「こころの中の認識」として知っている。過去は、時間軸のこれまでにあるのではなく、我々の認識の中にのみ存在していると考える。つまり、極端な話、仮に我々が過去を認識しなければ、過去は存在しないし、そもそも人間がみな地球上から死に絶えれば、過去を認識する存在がなくなるわけだから過去はなくなってしまう。

では、「未来」はどうか。僕は間違いなく運がよくてもあと数十年、運が悪ければ次の瞬間にでも死ぬだろうし、それは読者諸賢も変わらない。死というものは、生命に義務付けられている必然の行く末なのだから。しかし、おそらく僕が死んだあとも時間は流れ続けるだろうし、これを読んでいる読者の皆さんが死んだあとも時間は恐らく流れ続けるだろう。だが、これについて明確な根拠を示せと言われると、なかなか難しいのではないだろうか。「過去」についてはそれをこころの中で認識することでその存在を証明できるが、「未来」はそもそも「未だ」「来ていない」と書いて未来と読む通りまだ不確定なものであって、認識ができない。「神はいるのか」という問いと少し似ている。

未来の存在了解については、我々人間はただ「何となく」了解しているにすぎず、来るかどうか分からないので、これを証明せよというのはまさしく悪魔の証明である。存在しているかどうかが不確定なものを何となく承認しているというのは、よく考えてみれば何とも不思議な話だ。この「何となく」を支えるものが、歴史である。「今までそうだったんだから、これからもそうだろう」という頼りない予測のもと、我々は未来の存在を何となく了解しているのだ。

 

おわりに

本記事では、「過去」「現在」「未来」と時間を三つの区分に分けて考えた。途中からこれを書いている現在が過去へと変化していくことを認識し続け不思議な感覚に陥ったが、拙いながらも書き上げることができ嬉しく思う。

これから先の「未来」が、少なくとも僕と僕の知人全てに、たとえ不幸なものでも幸福なものでも、途切れることなく訪れることを願う。過去を認識し続け、避けられない死とそこへ向かうまでに降りかかるであろう様々な理不尽を享受し続けることが、人生というものなのだから。