流し読み

俺にまつわるエトセトラ

時間の流れとは

時が流れるというのはどういうことだろうか。我々は日常的に時計やスマートフォンの時刻表示などで時間を見ているし、あらゆる人は時の流れの中に生きている。時間というのは川の流れのように、いつも先へ先へと進んでいて止まることはない。考えるまでもなく当たり前のことである。しかし、僕はいつも思うのだ。時が流れるのは何故なのか。一年一年、一日一日、一秒一秒、時は確実に流れていて、我々は常に好むと好まざるとに関わらず「現在」を次の瞬間には「過去」へと変換され「未来」へと進まされる。当然その間に僕は老いていくし、僕を取り巻くさまざまな事象は変化を遂げるだろうし、世界の様相もどんどん移り変わってゆくだろう。今日はそんなことを少し考えてみることにしたい。

 

時間軸というのは、常に3つの要素によって構成されている。先ほども述べた「過去」「現在」「未来」だ。数学的に言えば(数学が非常に苦手なので誤りがあったらご指摘を賜りたい)、X軸のみが存在していて、Y軸とZ軸はそこにはない。つまり時間というのは1次元的な図の描き方で説明できる。要は1本の線だ。それの片方の端に「現在」があり、もう片方の端にその人が時間という概念の中に生き始めることになった契機、その人の生命誕生の瞬間があると仮定しよう。右端を現在、左端を起点と定義する。時間は起点から常に右へ右へと進み続けており、少なくとも今この瞬間までは進むことが可能でありつづけている。

では「未来」はどこにあるのか?そして、我々は自分が生まれる前にも時間が流れていたことを了解しているし、また死んだあとも恐らく流れ続けるであろうことも了解している。時間の流れというのは、如何にしてこのように我々に了解されているのだろう?

 

未来と時間の速度について

未来は、現在の先にある(とされている)ものだ。つまり先ほどの時間軸を持ち出すと、起点から右へ右へと進み続けている「現在」の先、もっと右に「恐らく存在していて、そして今後いつかそこが『現在』になりうるような点の集まり」が未来と言えるのではないだろうか。

こう考えると、未来というものがいかに不確かなものかがよくわかる。まず来るかどうかが分からない。そして、そもそも来るということは存在していることが前提になっている筈だが、未来の存在を実証しうる証拠は果たしてあるだろうか。こういうことを言うと、「これまで我々の人生には未来があり続けてきたんだからこれからもあるのは当然だ」という反論を受けることは予想できる。しかしだ。過去これまでそうだったからと言って、これから先も必ずそうであるという保証にはなり得ないのではなかろうか。

未来はこれまで「たまたま」連続して我々の人生に「現在」へと姿を変えて現れ続けてきたのであって、その「たまたま」がこれからも続くという保証は、少なくとも僕は寡聞にして知らない(もし未来が確実に存在するという確たる証拠を提示し、未来の存在を証明できうる方がいたら是非意見を賜りたい)。

そもそも、時間が流れるものであるとしたら、そこには確実に一定の「速さ」というものが存在する筈である。しかし、ここで一つ疑問を提示したい。

例えば、Aという人と、Bという人がいたとする。AとBの走る速度が全く同じと仮定すると、AとBが同時に10km/hで同じ方向に走った場合、Aから見たBの速度は(Aの主観から見て)0km/hである。同じ速度で走っているのだから、計測器でもない限りAから見ればBの速度はないものと同じだ。しかし第三者から見た場合、両者はどちらも10km/hで走っている。これは一体どういうことだろうか。Aから見たBの速度と、第三者から見たBの速度には、明らかに矛盾が生じている。しかしA、B、第三者の間にはこの時いずれも全く同じ時間が流れている筈であり、そして同じ時間に同じ速度で走っているにも関わらずその速度認識には違いがある。アインシュタイン特殊相対性理論によると、高速で移動する物体と停止している物体とでは、前者の方が時間の流れが若干遅いらしい。何が言いたいかというと、時間の流れは、条件Xと条件Yのもとでは速度がちがってくるのだ。

ここまでは物理法則における速度の話をしてきたが、これを今度は時間に当てはめてみる。例えば、退屈な授業を受けている時や労働をしている時と、友達と楽しく遊んでいる時とでは、同じ2時間でも体感として後者の方が短く感じられるのではないだろうか。文学でもよく「楽しい時間はあっという間に過ぎる」という表現が使われる。ここでも条件Xと条件Yのもとでは、時間(ここでは我々は高速で移動していないので認識にとどまっているが)の速度に差がついている。

 時間の体感認識の差は、「集中」によって生じるというのが僕なりに考えた結論だ。たぶん大方の人もそう思うだろう。物事に集中している時は時間認識は「速く」なるし、逆にしていない時は「遅く」感じられる。物理的側面における違いが「速度」であるならば、認識における違いはその「集中」の「強さ」だ。人間の心理には速度は存在しないのだから。人間の認識とは不思議なもので、時間の流れは一定である筈なのに先刻の物理的な例や心理的な面から見るとそこには細かな違いが発生している。

 

時間の流れの了解とは?

冒頭でも述べた通り、我々は自分が生まれる前も、死んだ後も時間が流れ続けるであろうことを了解している。しかし我々はその現場を見ることはない。ではなぜ、時間がこれまでもこれからもずっと流れ続けることを人間は承認しているのだろう?

 前章では、まず物理的側面から時間と未来について切り込み、それを心理的側面へと適用してみたが、本章では「こころ」の時間認識について迫り、それを深く考えてみることにしたい。なぜなら、時間そのものは物理的に流れるものとしての説明が可能だが、本章で考える時間の流れの了解において了解を「する」のは「人間」であって、人間が時間を認識するのは「こころ」によってだからだ。

 例えば、今朝僕はシャワーを浴びたが、これは僕が生きている間に起きた過去の出来事だ。僕は「今朝僕はシャワーを浴びた」ということを了解している。シャワーを浴びていたその時はそれが「現在」だったが、この記事を書いている今この瞬間においてはもうそれは「過去」の出来事だ。そもそも、この「シャワーを浴びた」という過去の出来事はどこへ行ったのだろう?今この瞬間僕はシャワーを浴びていないが、仮に明日の朝が来たとしたら僕は恐らくシャワーを浴びるだろう。では、今朝の「シャワーを浴びた」という出来事は未来へ行ったのか?というと、これは違うだろう。未来の事象はまだ現段階に於いては不確定であって、過去がそのまま未来へと移動するなどという現象はありえない。

過去の出来事は、全てが「過去」というカテゴリに例外なく分類され、それは時の流れの法則に従い「終わったもの」として今この瞬間我々に認識されている。過去は、冒頭で出した時間軸の左側に存在しているのではなく、もはや「認識」においてのみ我々の心の中にあるのだ。それが証拠に、歴史の教科書でよく何年にこんな出来事があって云々という記述があって、我々はそれがあったことを認識しているが、実際にそれを(例えば関ヶ原の戦いを)見たという人はいないだろう。それを「現在」として認識したことのある人間が既にみな死んでいるからだ。しかし僕はそんな出来事があったということを「こころの中の認識」として知っている。過去は、時間軸のこれまでにあるのではなく、我々の認識の中にのみ存在していると考える。つまり、極端な話、仮に我々が過去を認識しなければ、過去は存在しないし、そもそも人間がみな地球上から死に絶えれば、過去を認識する存在がなくなるわけだから過去はなくなってしまう。

では、「未来」はどうか。僕は間違いなく運がよくてもあと数十年、運が悪ければ次の瞬間にでも死ぬだろうし、それは読者諸賢も変わらない。死というものは、生命に義務付けられている必然の行く末なのだから。しかし、おそらく僕が死んだあとも時間は流れ続けるだろうし、これを読んでいる読者の皆さんが死んだあとも時間は恐らく流れ続けるだろう。だが、これについて明確な根拠を示せと言われると、なかなか難しいのではないだろうか。「過去」についてはそれをこころの中で認識することでその存在を証明できるが、「未来」はそもそも「未だ」「来ていない」と書いて未来と読む通りまだ不確定なものであって、認識ができない。「神はいるのか」という問いと少し似ている。

未来の存在了解については、我々人間はただ「何となく」了解しているにすぎず、来るかどうか分からないので、これを証明せよというのはまさしく悪魔の証明である。存在しているかどうかが不確定なものを何となく承認しているというのは、よく考えてみれば何とも不思議な話だ。この「何となく」を支えるものが、歴史である。「今までそうだったんだから、これからもそうだろう」という頼りない予測のもと、我々は未来の存在を何となく了解しているのだ。

 

おわりに

本記事では、「過去」「現在」「未来」と時間を三つの区分に分けて考えた。途中からこれを書いている現在が過去へと変化していくことを認識し続け不思議な感覚に陥ったが、拙いながらも書き上げることができ嬉しく思う。

これから先の「未来」が、少なくとも僕と僕の知人全てに、たとえ不幸なものでも幸福なものでも、途切れることなく訪れることを願う。過去を認識し続け、避けられない死とそこへ向かうまでに降りかかるであろう様々な理不尽を享受し続けることが、人生というものなのだから。

書評『一房の葡萄』

今回はかの有名な文豪、有島武郎の書いた童話『一房の葡萄』を取り上げる。これは僕が最も好きな小説のうちのひとつで、初めて読んだ小学生の時からいつ読んでも変わらぬ輝きと、独特の、タイトル通り葡萄のような切ない酸っぱさを感じさせる、沢山の方に読んでいただきたい小説だ。著作権が切れて青空文庫にアップロードされているので読んだことのない人はGoogleで検索してぜひ読んでみて欲しい(下記URL参照)。短い童話なので15分もあれば読めると思う。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/211_20472.html

 

 

一房の葡萄 他四篇 (岩波文庫)

一房の葡萄 他四篇 (岩波文庫)

 

 あらすじ

この小説は、有島本人の体験に基づいて書かれたと言われており、横浜英和学校に通っていた少年時代の彼自身がモデルになっているそうだ。

主人公の「ぼく」は引っ込み思案で無口、友達もいない。彼は唯一絵を描くことが好きだった。学校の行き帰りに見える横浜港の風景の美しさを彼はいつも絵にしようとしたが、彼の持っている粗末な絵の具では、あの透き通るような海の藍色と、船の水際近くに塗ってある洋紅色がどうしてもうまく出せなかった。

「ぼく」のクラスメートのジムという男の子が持っている絵の具は舶来の上等品で、とりわけ藍と洋紅は驚くほど美しかった。「ぼく」はそのジムの絵の具がほしくてほしくてたまらなかった。

ある秋の日、「ぼく」は一人教室にいた昼休みの時間、ジムの藍と洋紅色の絵の具を盗んでしまう。しかしすぐにバレて、クラスメートに職員室へ連れていかれ、大好きな美人の女の先生の前で絵の具を盗んだことを告白させられてしまう。涙に暮れる「ぼく」を前に、先生はクラスメートを部屋から帰らせて、「ぼく」に庭の木に実っていた一房の西洋葡萄をくれる。

翌日になって「ぼく」が学校へ行くと、ジムが真っ先に笑顔で飛んできて「ぼく」を女の先生のところへ連れていき、そこで二人は仲直りをするのだ。そして先生は、ジムと「ぼく」にまた一房の葡萄を半分に切り分けてプレゼントしてくれた。

「ぼく」はそれから少しはにかみ屋でなくなり、いい子になった。しかし、大好きだったあの先生はどこへ行ってしまったのだろうか。秋になると葡萄の実は美しい紫の色彩を見せるが、それを受け止めた白い美しい手はどこにも見つからない……。

葡萄が本作品に於いて果たした役割とは

本作のタイトルは『一房の葡萄』である。先生は「ぼく」が盗みを犯したことを知っても叱責せず、ただ一房の葡萄を下さって、そしてジムと仲直りしたあとにもう一度葡萄を二人に下さる。葡萄が本作品に於いて極めて重要なアイテムとなっていることに異論をはさむ余地はないだろう。では、有島はこの作品で、葡萄にどのようなメッセージを込めたのだろうか。

まず、葡萄という果物は秋(8月下旬から10月くらい)が一般的に旬とされている。というわけで、まず一つはこの物語で語られる季節が秋であることを示している。まあこれはさして重要なことではないだろう。では、文学的側面から見て、葡萄が本作に於いて果たした役割とは何か。

この小説は、大人になった「ぼく」が、かつての少年時代の記憶を一人回想するという形を取っている。そして、そこで出てくるのが葡萄なのだ。葡萄は彼にとって、学校での孤独で惨めな日々からの大きな転換点と、そして何より憧れの美しい先生とのかけがえのない思い出の象徴であると言えるのではないだろうか。もう二度と戻らぬ幼き頃の日々。そして二度と会えないであろう先生への忘れがたき追憶。そうした、少年から青年へ、そして大人へと成長していくにつれ懐かしく思え、どうしようもなく胸を締め付けられるような時の流れへの切なさ。そういった、誰しもが経験しうる幼少期の思い出の象徴として用いられたのが、本作での葡萄だったのだ。「ぼく」にとっての、いわば現代で言うところの少年時代のキャッチフレーズのようなものだろうか……。

人生は、時の流れは、常に先へ先へと流れてゆき、数瞬の間も止まることはない。少年の日々も、決して戻ることはない。「ぼく」はその後先生と再会することはなかっただろうし、「ぼく」のその後についても何も語られてはいない。そうした切なさ、大切な人との別れをこれほど見事に描写した小説はなかなかないのではなかろうか。

そして、何よりも僕が良いと思うのは、ここで選ばれた果実が葡萄であったという点だ。これが林檎や蜜柑だったら、これほどの名作にはなっていなかったろう。葡萄という果実の甘酸っぱさ、それが「ぼく」の絵の具を盗んでしまったという罪への罪悪感と、先生との別離という切なさのメタファーになっているのだ。また紫色の色彩も良い。紫という色は、得てしてマイナスなイメージを抱かれがちである。有島はそれを逆手に取り、罪を犯した罪悪感や、少年の日々への追憶、もう二度と会えない先生との思い出、そういったどこか悲しみを感じさせる要素を葡萄の色彩によって際立たせているのだ。

幼き頃の思い出を振り返りたい方、あの頃にしかなかった純粋な悲しみ、思い返して蘇る切なさ、そういったものをもう一度味わいたい方、是非ともこの小説を読んでいただきたい。切に願う。

 

 

学生野球の投手球数制限について

先日、首都大学野球連盟が投手の球数制限のガイドラインを導入するというニュースを見た(下記URL参照)。第1戦に先発した投手は、121球以上を投球した場合、翌日の第2戦では50球以上の投球を禁止するという、投手の故障リスクを少しでも減らそうとする画期的な取り組みだと思う。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180302-00000049-spnannex-base ※リンク切れ

 

ただ、このガイドラインには罰則がなく、場合によっては(優勝や降格・昇格のかかる試合等)エース級の投手に連投を強いるようなチームが出てくるかも知れない。無論首都大学野球連盟は国内有数の強豪ひしめく大学野球リーグであるからして、各大学とも選手層は厚いから、そのようなケースは少ないだろう。しかし、他のリーグではどうだろうか。

恐らく日本国民の間で最もよく知られている大学野球リーグは、東京六大学野球連盟だろう。早稲田、慶応、明治、立教、法政、東大の六大学が春と秋に勝ち点制でリーグ優勝を争う、日本一の歴史と伝統を誇る大学野球リーグだ。僕もよくテレビやスマホアプリ等で観戦している。しかし近年このリーグを見ていて思うのは、故障する投手が非常に多いということだ。一体なぜなのか。

東京六大学野球連盟では、球数制限は導入されていない。これは別に日本の大学野球リーグでは珍しいことではないが(だからといってこれに問題がないわけでは全くない)、更にもうひとつ問題点がある。昇降格の制度がないことだ。東京六大学野球連盟東都大学野球連盟首都大学野球連盟と違って、一部の最下位チームと二部の優勝チームが入れ替え戦を行い昇降格を決めるというシステムが存在しない。そもそも二部自体がないのだから。

これによって生じる問題とは何か。大学間での選手層の差によって、選手層の薄い大学や、選手層の薄い年ほどエース級の投手の連投に頼らざるを得ないという事態が発生する。例えば、東京六大学野球連盟の万年最下位チームとして知られる東京大学は、昨年秋リーグの対法政戦で15年ぶりの勝ち点を上げたが、この2試合でエースの宮台康平投手(日本ハムのドラフト7位指名でプロ入り)は第1戦に先発し9回を121球で2失点完投、翌日の第2戦も6回からリリーフで登板し試合終了まで60球を投げ切った。2日間の合計の球数は181球である。これで更に中5日で次の試合が控えている。勝負が第3戦までもつれて、そこで登板の機会があれば中4日だ。一方、去年の秋リーグ優勝校である慶應義塾大学の投手陣を見てみると、その様相は全く違う。例として2017年秋リーグの慶東戦3試合を挙げてみるが、慶応は3試合とも違った投手が先発登板し、東大がエースの宮台投手を先発させてきた第1戦は落としたものの、残りの2試合は早々に相手先発をノックアウトし勝ちを収めている。選手層の差によって、このように投手陣にかかる負担というのは全く異なってくることがよく分かるだろう。

ここ数年は、早稲田大学の投手にも故障が目立つ。斎藤佑樹、吉永健太郎、小島和哉などなど…。いずれの投手も甲子園で輝かしい実績を残した選手だが、高校時代からの酷使と、大学に入ってからの更なる酷使(どうも早稲田大学野球部は私大のわりに選手層があまり厚くないようだ)によって潰れてしまった。斎藤はプロ入りしたがパッとせず、吉永は大学時代の後半から完全に壊れ社会人野球では野手へ転向、小島はまだ在学しているが投手成績は1年の頃と比べると見る影もない。早稲田大学野球部は、2017年秋リーグは東京大学野球部と並んで同率最下位に沈んだ。適切なコーチングのもと、投手の酷使を避けつつ復活への道を辿ってほしい。

 

そもそも、大学に野球でのスポーツ推薦で行くような学生投手はだいたいが高校時代に甲子園、もしくは地方大会での酷使に遭っている。高校時代からの酷使のツケが回ってきて大学に入ってから怪我をする、というのはよくある話だ。高校野球はトーナメントの一発勝負、となればエースを先発させるのは致し方ないことかも知れない。しかし、その酷使によって投手の将来を潰してしまっては元も子もない。強豪私学ならともかく、公立高校の野球部ともなればエース級の投手を何人も用意するのは至難の業だ。エースへの負担は、ますます増していく。大会が佳境へと入るにつれ、連投に次ぐ連投を強いられる。先程名前を出した斎藤佑樹などは、2006年夏の甲子園でなんと69回を一人で投げ抜いた(これは一人の投手が投げたイニングとしては大会記録)。沖縄水産高校の大野倫投手は、かつて夏の甲子園で決勝まで全試合を投げ抜き、肘の骨を折って投手生命を永久に絶たれた。トーナメント制という高校野球のシステムは、確実に投手の肩や肘の寿命を縮めている。また問題なのが、日本人はどうもこういう「意気に感じて」とか「根性」とかで疲労や痛みを我慢して投げ続ける、というエピソードが大好きな人が多いということだ。特に中年以上の男性や、高野連の理事会。大事なのは、感動と悲劇の物語の中で死するエース像よりも、選手一人一人の将来であることを忘れてはならない。

高校野球でも球数制限を導入してはどうかという意見も最近よく浮上するようになったのは良いことだと思う。しかし一方で、それではますます強豪私学と公立の格差を広めるだけだという声も聞かれる。他にも、トーナメントではなくリーグ戦形式にするのはどうか、休養日をもっと増やすのはどうか等の活発な議論が交わされている。高校3年生の夏ともなると、大学受験や就職のことも考えねばならないので、あまり大会に多くの時間は取れない。トーナメント形式が抽選や会場の確保その他を鑑みて一番時間がかからないので現状こうなっているのだろうが、果たしてこの形式は本当に正しいのか。今後も議論の余地がある問題である。

ゴジラ映画の不思議な現象

前回と打って変わって今回は完全に趣味の話。まだ小さい頃、かの有名な東宝の映画『ゴジラ』シリーズに随分ハマっていた記憶がある。しかし、このシリーズには独特の法則(或いはお約束というか製作上の都合というか)があり、今思うと少し奇異なものであった。まあそもそも扱ってるモノ自体が奇異なんだけど。

 

話を進める。全ての始まりは1954年に東宝によって製作・公開された映画『ゴジラ』である。この映画は非常に傑出した作品で、反核反戦をテーマとした怪獣映画の一つの金字塔とも言えるものだ。

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初代『ゴジラ』のポスター

 

実際国内外を問わず評価は総じてとても高く、上映当時は渋谷の東宝映画館が2時間待ちになったという話もあるほどだ。渋谷東宝の封切り動員だけでも961万人に及び、当時の日本国の人口から換算するとおおよそ10人に1人はこの封切り動員で『ゴジラ』を観たことになるという。なんだこれは、たまげたなぁ…。

あらすじは皆さんもだいたいはご存知、若しくは予測がついているだろうが、一応ざっくりと説明しておく。繰り返される水爆実験によって古代の生物が突然変異を遂げた怪獣「ゴジラ」が東京を襲い、破壊の限りを尽くす。そして最後には芹沢大助博士(演・平田昭彦)の発明した兵器「オキシジェン・デストロイヤー」によって倒され、海中へと没して白骨死体と化してゆく、という感じだ。じかに核や空襲の恐怖と悲劇を味わった頃の日本人が作った映画だけあって、反核反戦映画、パニック映画としての見応えはまさしく白眉である。皆さんも是非一度は観てみてほしい。

 

さて、このように初代『ゴジラ』は興行的にも社会に与えた影響的にも大成功を収めた傑作だった訳だが、これ以降のゴジラシリーズではこの初代『ゴジラ』が脚本に大きな影を落とすことになる。次にその話をしていこう。

初代『ゴジラ』以降、東宝は1975年の『メカゴジラの逆襲』まで合計15本の映画を出している(いわゆる昭和ゴジラシリーズ)。この段階では、1954年の初代ゴジラの内容を踏まえた脚本が各作品でなされているのだが、問題はこの昭和シリーズが終わったあとに発生する。昭和ゴジラシリーズにも色々触れたい部分はあるのだが、話がずれる上に冗長になるのでそれはまた別の機会に。

 東宝1984年末に平成vsシリーズのスタートとして『ゴジラ』を封切る。ここでタイトルに挙げた不思議な法則、現象が発生する。なんと、昭和ゴジラシリーズは初代ゴジラ以外全てが「なかったもの」として設定され、ゴジラが東京を襲うのは1954年以来だとされたのだ。新たなステージへとシリーズを持っていくためには仕方のないことなのかも知れないが、どうにも首をひねらざるを得ない。

この現象は更に続く。1991年の『ゴジラvsキングギドラ』では、未来からやって来た時間遡行者によって歴史が改竄され、ゴジラがいた歴史そのものが「なかったこと」にされてしまう。そして、何故か再びここでゴジラが現れる(原潜が事故ったか何かが原因らしい)。おまけに、キングギドラゴジラに倒された後に、今度は正義の未来人が倒されたキングギドラをメカキングギドラに改造してゴジラを倒そうとする超展開。84年の『ゴジラ』から間に『ゴジラvsビオランテ』を1本挟んでいるとはいえ展開がややこしいわ!映画自体はゴジラ誕生の秘密が明かされたり迫力満点の特撮バトルシーンの連続でなかなか良かったけど

まだある。1995年、平成ゴジラvsシリーズは『ゴジラvsデストロイア』をもって完結する。ゴジラの死を描いた、ファンにはなかなか胸にこみ上げるものがある映画ではないかと思うが、まあそれはいい。問題なのはこの後だ。1999年、東宝は新たにゴジラ・ミレニアムシリーズと銘打って『ゴジラ2000 ミレニアム』という映画を封切る。ここでまたリセット現象が発生するのだ。1954年の初代ゴジラ以外の出来事は再び「なかったこと」にされる。そしてここからミレニアムシリーズがスタートするのだ。新たなシリーズに移行する時はリセットしなきゃいけない決まりでもあるのか?

そしてミレニアムシリーズに入ると、リセットの回数は劇的に増加する。続く『ゴジラvsメガギラス』では、いきなり訳の分からない設定がされる。何と、初代ゴジラがオキシジェン・デストロイヤーによって殺されたという歴史が「なかったこと」にされ、ゴジラは過去に何度も日本を襲っており、挙げ句の果てには日本の首都は大阪になっているとかいうトンデモ展開だ。これもうわかんねぇな…。更にその次の『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』では再びリセット現象が発生。ゴジラは初代以外は全ていなかったことになっている。そしてさらにその次の『ゴジラvsメカゴジラ』でまたしてもリセット。何回この手法続けるんだよ!アメリカの名物レビュワー「AVGN」ことジェームズ・ロルフ氏の言葉を借りよう。「初代は金塊、他は全部クソとでも思ったのか?」

4連続でゴジラをリセットするのは流石に如何なものなのか。これで映画が面白いならまだ良いのだが、個人的には正直先に挙げたミレニアムシリーズは『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』以外はそんなに面白くない(あくまで僕の個人的見解なので面白いと思う方がいたら悪しからず)。特に『ゴジラvsメカゴジラ』は子供心にも正直観てて退屈だった(父親と映画館行きました)。自衛隊メカゴジラ取り戻す戦いとかどうでもいいからゴジラをもっと出せよな、ゴジラ見たくて映画館まで行ってるんだから。まあ続編の『ゴジラ モスラ メカゴジラ 東京SOS』はまあまあ面白かった(内容は様式美って感じは否めなかったけど)からそこで差し引き0か…?『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』は僕が初めて観たゴジラ映画だったので多少の補正はあるかも知れないが、古代神話に絡めた展開や、見た目も行動もファンによく「シリーズ史上最凶」と言われるほど凶悪な怨霊の如きゴジラの恐怖、(公開された2001年当時としては)目覚ましい特撮技術等、観ている者を飽きさせない要素が盛り沢山だ。是非とも観てみてほしい。余談だが、ゴジラシリーズ最凶と言われるゴジラ(太平洋戦争で戦死した人々の怨念が乗り移った破壊神という設定らしい、だから人々を容赦なくブッ殺そうとする)の出演する、人がバタバタ死にまくるこの映画を、東宝はよりにもよってハム太郎映画との同時上映で放映した。ハム太郎目当てで観に行った子供の反応は想像に難くない。こんな同時上映考え付いた奴誰だよ

そして、2004年に放映された「ゴジラ FINAL WARS」では、何と過去に放映された全てのゴジラ映画の出来事が「あったこと」にされている。今度は設定復活させるのかよ…(困惑)。しかも舞台は現在ではなく遥か先の未来ということになっている。もう訳が分からん。まあ映画自体は怪獣がドカドカ出てきてなかなか胸熱なのでそれでいいか

最近話題を呼んだ『シン・ゴジラ』についてだが、僕は観ていないのであまり講釈を垂れることは出来ない。しかし、ポスターや予告編等で目にしたゴジラの造形にどうも違和感を感じる。これは僕が幾分か昔のゴジラ映画ばかり観ていたからだろうが、ゴジラは背中からビームは出さないし、あんなに赤黒い色彩はしていない(ゴジラはグレー、もしくは黒い体色が基本だ)し、放射熱線はビルを突き抜けることはあっても切断はしない(ビルを切断するような光線を出すのは大映ガメラ映画のギャオスだ)し、何よりゴジラは集合体生物ではない。読者諸賢、こういうことをベラベラ言うのが老害、もしくは悪いタイプのオタクなのだろう。『シン・ゴジラ』ファンの方々、申し訳無い。

 

総論に入る。初代『ゴジラ』は傑出した作品であったが、その幻影に東宝は追われ、新シリーズ製作ごとにリセット現象を発生させるようになってしまう。悪いことばかりだとは言わないが、その都度ストーリーを理解し直さなくてはならないのが欠点だ。製作側からすると過去作を初代ゴジラ以外無視して都合の良いように脚本できるので便利な手法なのかも知れないが、どうにも釈然としない。僕が気にしすぎなのか?

この手法がファンに与える利点としては、リセット現象が発生するたびにこれまでの作品群と違った見た目や背景を持つ新たなゴジラを存分に観賞できる、つまり飽きづらくなり新鮮味が映画それぞれに出てくるという点が挙げられるだろう。

東宝が生み出した不朽の名作シリーズ『ゴジラ』は、初代のあまりに素晴らしい脚本や映像、特撮の数々に後の作品群が影響され、「都合がいいから」という理由のもとリセット現象が相次ぎ、結果としてファンを混乱させることとなった。そのことによる功罪は相半ばするといったところだろうが、もう少しスムーズに脚本を進めることは出来なかったのだろうかという一抹の疑問に駆られる。今後、東宝で新たにゴジラ映画が作られるかどうかは分からないが、なるべく前作の内容を踏襲したものとして脚本を進めていってほしいと、一ファンとして切に願う。

最後に、僕なりのおすすめゴジラ映画トップ5を紹介して、結びに代えたいと思う。

1位 『ゴジラ』1954年公開

2位 『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』2001年公開

3位 『モスラ対ゴジラ』1964年公開

4位 『ゴジラ FINAL WARS』2004年公開

5位 『ゴジラvsデストロイア』1995年公開

読者諸賢、とりあえず見てみてくれ。ガメラ映画やウルトラマンシリーズについてはまた今度機会があれば取り上げます。

いつか死ぬ

当たり前だが、人は皆いつか死ぬ。僕が生きているうちに不老不死の技術でも開発されれば別だが、今のところは出来ていないようだ。ほんの少し前に自分の意志とは無関係にこの世に生を受け、そしてたちまち死んでしまう。人間とは、そのようにできている。

お金を儲けたから何だと言うのだろう。それでも死んでしまう。懸命に勉強したから何だと言うのだろう。それでも死んでしまう。恋人ができたり、結婚をしたからと言って何だと言うのだろう。それでも死んでしまう。生きているうちに何をしたって、いずれは死に、死後暫くは自分の成したことや生きていたことを覚えている人はいるだろうが、やがて誰も自分のことを覚えていない時が来るだろう。そして、いつかは地球も、太陽系も、銀河系も、この広大な宇宙も、そのすべてがなくなるであろう。

僕は、一方では「死にたい」と思いながらも、また一方では、「死にたくない」とも思っている。死んだら、生きてゆくことの苦しみからは永遠に解放されるだろうが、その代わりに、この僕という一人の人間が、永久にこの世から消え去って、二度と生き返らない。死んだらもう故郷の山河を眺めることも叶わないし、新たな本を手に取ってその世界に耽溺することもできないし、そしてこのように僕が考えたことを書き残しておくこともできない。どちらが正しい選択なのだろう。答えはまだ見つからない。

 

「未来」という言葉がある。大辞林によると、未来とは「時の経過を三つに区分した一つで、これから来る時。将来。」だそうだ。時の経過の区分とは、過去、現在、未来の三つである。

未来は、本当に来るのだろうか。これから先も、時間が進み続けると、一体だれが保証したのだろうか。例えば今この文章を書いている次の瞬間にこの宇宙にある全てのものが跡形もなく消え去ってしまう可能性が0だと、一体だれが保証できるだろうか。「未来」はそもそも、「未だ」「来ていない」のだ。先のことなど、寸毫たりとも分かるものではない。逆に、もしかしたら不老不死の技術が開発されて僕は死なないかもしれないし、地球も宇宙もなくならないかも知れない(科学的には地球の寿命はあと約何億年、太陽の寿命はあと約何億年と予測がされているらしいので可能性は限りなく低いが)。しかし、現段階に於いては、少なくとも僕がいつか死ぬのは生物の原理として絶対に避けられない宿命である。

自分がいつか死ぬという避けられない現実に絶望し、どうにかして死を殺せないかと考えたが、無駄なことだった。いくら考えたところで、僕が死ぬのは変わらない。僕だけではない。僕の家族も友人も、この文章を読んでくれている方々も、雑踏を行く人々も、例外なく皆いつか死ぬし、あらゆる物体や物質、地球、太陽、宇宙もいつかはなくなる。すべてがなくなる。

 

読者諸賢は、宇宙の広大さに思いを馳せたことはあるだろうか。夜の星空を眺めていると、あの黒洞々たる空の彼方に、遥かな宇宙が広がっているのだと、やけに感傷的な気分に駆られる。宇宙から見れば僕は、僕から見たピロリ菌にも満たないほどにちっぽけな存在で、そして長くてもあと80年、短ければ今日にでも死ぬ。全く、一体、どんなにか恐ろしいことだろう。僕のこの貧相な身体はいつか灰燼に帰し、心も、五感も、何もかもがなくなる。僕という存在の終焉が、いつか必ず訪れる。いつか誰も僕のことを知らない時代が必ず来る。そして、死んだあとどうなるのかは、誰も知らない。

書評『木橋』

今回紹介する本は、永山則夫作『木橋』である。永山則夫と言えば、かの有名な連続ピストル射殺事件を起こし1997年に刑死した元死刑囚である。逮捕当時は読み書きもままならないほどであった彼だが、獄中で勉学を重ね、自己の体験を振り返る形で文学を発表し続けた。『木橋』は、そんな彼の代表作のひとつであり、1983年にこの作品で新日本文学賞を受賞した。彼の生い立ちやその生きざまについては、堀川惠子作『永山則夫―封印された鑑定記録―』に詳しく述べられているので、そちらを参照されたし(近いうちにそちらのレビューもアップロードするつもりである)。以下にネタバレを含むので注意。

 

木橋 (河出文庫)

木橋 (河出文庫)

 

 

本作は、『木橋』『土堤』『なぜか、アバシリ』という三つの短編からなっている。本記事では、『木橋』をこの三つのうちから取り上げたい。『木橋』は、永山の自伝的小説で、彼が青森県板柳町で過ごした頃のことが書かれている。

主人公のN少年(つまり永山)は、三番目の兄が集団就職で東京へ行く前の小学校四年生の時から手伝い始めた新聞配達のアルバイトを、生活の糧としていた。当時、新聞配達をすると板柳町にあった映画館の映画をタダで見られる「パス券」を店主からもらえたのだ。N少年にとって、この「パス券」は憧憬の対象であった。なぜなら、それは小学校で推薦する映画をお金のなさが故に指を咥えて見過ごすしかないという惨めさからN少年を解放するものだったからだ。さらに、テレビのない家に住んでいたN少年は、テレビを見るために他の裕福な家へお邪魔させてもらい、厭味を言われながら30分くらいだけ見せてもらった挙句に追い出される生活を送っていたが、「パス券」はそのようなことごとにも別れを告げられるもののように思えた。

N少年は、頻繁に家出をした。二番目の兄のリンチと、三番目の兄の罵倒が原因である。二番目の兄が上京するまで、N少年の顔には痣やタンコブが絶えなかった。母は、行商から帰って来て、N少年が泣いているのを見ると、理由も訊かずに「ホレッ、まだ泣いでるじゃ!」と怒鳴った。家よりも、外の世界の方が静かに過ごすことができたのだ。N少年にとって、家は暴力と罵倒に耐え続け、ひたすら雑用を押し付けられるだけの、家族愛も何もない場所に過ぎなかった。

ある日、N少年はいつものように新聞配達へ出かける。N少年の家から新聞屋までの道のりには、小さな木橋があった。その日、街は暴風に襲われ、川は氾濫していた。木橋は今にも流されそうに、頼りなくそこに横たわっていた。

夕刊の配達を終えて、家に帰ったN少年は、木橋のことがまだ気にかかっていた。晩飯を食べ終わったN少年は、夜8時頃、木橋を見にゆく。木橋は、流れに揺られながらも、まだそこに頑張っていた。木橋の上にそそり立つ黒々とした山並み。ふもとに広がる林檎畑。林檎の木の枝は、人間の手のように見えた。「助けてよ、助けてよ」と叫んでいるように見えた。ひとり、少年はそれを視ていた……。

 

子供は親を、兄弟を選べない。愛のない家庭に育ち、ただ恐怖と絶望にのみ塗りつぶされた日々の中で、少年はいったい何を学ぶことができるというのだろう。心の中には、絶望と怨嗟が募り、いつかそれはきっと爆発する。永山のように……。

幼少期に親から無償で愛されるという経験は、何物にも代えがたい。子供は、親の愛のもとに育ち、そして次第に自立してゆく。しかし、親が子供を愛さなかったら、親が子供を放っておいたら、子供は精神的に自立することはできない。

この小説には、救いはない。N少年を愛する人は誰もいないし、N少年を守ろうとする人も、友情を分かち合おうとする子供もいない。N少年は、いつも一人だった。

『豊饒の海』の衝撃

だいぶ前にこのブログで、三島由紀夫の『豊饒の海』四部作の第一部『春の雪』を紹介した。あれから随分と長いこと経ち、四部作全てを読了したので、その衝撃的な最後について少し書きたい。以下にネタバレを多分に含むので注意。

 

天人五衰―豊饒の海・第四巻 (新潮文庫)

天人五衰―豊饒の海・第四巻 (新潮文庫)

 

 

豊饒の海』四部作は、本多繁邦という一人の男の前に現れる『春の雪』で紹介した松枝清顕の生まれ変わりたちが織り成す生と死、輪廻転生の壮大な物語である。第一部『春の雪』で現れた松枝清顕は「恋」に、第二部『奔馬』で現れる飯沼勲は「義」「使命」に、第三部『暁の寺』で現れるジン・ジャンは「肉」「欲望」にそれぞれ突き動かされ、運命という名のもとに自然につかみ出されいずれも20歳でその生を終える。たいていの読者は、ここまで読んだら「では最後の第四部で出てくるであろう生まれ変わりは、どのようなものに突き動かされ運命に翻弄されるのであろうか?」と期待するだろう(実際僕もそうだった)。しかし、第四部『天人五衰』のラストで、その全ては瓦解し、灰燼に帰する。

天人五衰』で出てくる生まれ変わり(?)は、安永透という16歳の少年である。彼の左の脇腹には、清顕にもあった三つの黒子がはっきりと見て取れた。本多は、ジン・ジャンの転生を透に賭け、彼を養子に迎えてその運命を変えるべく教育を始める。しかし――。

 

透は、本多の友人の久松慶子から、彼がなぜ本多の養子に迎えられたか、そして本多の囚われている生まれ変わりの話を全て打ち明けられる。透の、自分は密かに選ばれた人間だという矜りは、木端微塵に砕かれる。人間に例外などいないのだ。歴史に例外も存在していないのだ。

この世には幸福の特権がないように、不幸の特権もないの。悲劇もなければ、天才もいません。あなたの確信と夢の根拠は全部不合理なんです。もしこの世に生れつき別格で、特別に美しかったり、特別に悪だったり、そういうことがあれば、自然が見のがしにしておきません。そんな存在は根絶やしにして、人間にとっての手きびしい教訓にし、誰一人人間は『選ばれて』なんかこの世に生れて来はしない、ということを人間の頭に叩き込んでくれる筈ですわ。」(本文中の慶子の言葉より引用)

本多は、透が彼自身の夢見ている運命に身をまかせていたら、きっと20歳で自然に殺されると予感して、彼を手許に置いて保護したのだ。彼を「どこにでもいる普通の青年」に叩き直すことで、彼を自然と運命から守ろうとしたのだ。つまり、彼を無理やりつかみ出したものは「恋」でも「使命」でも「肉」でもなく、本多と慶子というただの二人の老人と、自分は人とは違うという透本人の根拠のない認識だけであった。そんなことを、彼の矜りが許すだろうか。

透は毒を飲んで、自殺しようとする。彼が20歳の春であった。しかし、彼は死ねなかった。盲目にはなったものの、生きたまま21歳を迎える。

そして本多は、『春の雪』で紹介した、綾倉聡子へ会いに奈良へと旅立つ。しかし本多と対面した聡子は、本多へ向けてこう言い放つ。

「その松枝清顕さんという方は、どういうお人やした?」

彼女は、清顕のことを覚えていないのではない。初めから、清顕という人間のことを知らないのだ。

僕はこの一文を読んだ瞬間、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。本多が長年にわたって囚われ続けてきた転生の物語は、そして清顕の存在は、全て幻想だったのだろうか?幻を見て生き続けた、本多の人生とは何だったのか?これまで読み進めてきた全てが音をたてて崩れ去ってゆくような、茫漠とした荒野の中に一人佇むような、果てしない虚脱感が全身を包んだ。

天人五衰』最後の部分を以下に引用して、この記事の結びにかえる。

この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。

庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。……

 

豊饒の海』完。

昭和四十五年十一月二十五日