流し読み

俺にまつわるエトセトラ

高校野球

2日連続の更新になる。ブログを書いてばかりいるのもあまり良くない気がするが

野球オタクなのでたまにはこういう記事を。プロ野球高校野球に違った良さがあるのは言うまでもないことだが(他にも大学野球、社会人野球、草野球、少年野球、それぞれ良さがある)、今回は高校野球の話。プロ野球についてはまた今度語るかも知れない。因みに横浜ファンなので、もしこのブログを読んでくれた方の中に横浜ファンがいたら、是非御一報の程を。

 

話を戻す。地元が北海道なので、やはり一番愛着があるのは北海道の高校野球である。毎年甲子園で応援するのも無論北海道勢だ。高校時代は休日を利用して札幌円山球場へ足繁く通ったものである。

南北海道高校野球と言えば、まず北海高校が思い浮かぶ。夏の甲子園出場回数では全国最多37回を誇る名門校だ。昨夏の甲子園では見事準優勝に輝いている。特にエース大西投手の力投は出色であった。

北海は伝統的に、投手中心の堅守で相手の攻めを凌ぎ、攻撃はバントを多用する典型的なスモールベースボールのチームである。走者が出たら、愚直なまでにバントで送ってタイムリーやスクイズで返し、その得点を守りきる。派手さには欠けるが、堅実な試合運びはやはり伝統校の底力を感じると言えるだろう。

北海高校と並んで全国的に知られているのは、駒澤大学附属苫小牧高校ではないだろうか。僕が高校野球ファンになる契機となった高校でもある。2004年、2005年と夏の甲子園を連覇し、2006年には当時3年生の田中将大投手(現ニューヨーク・ヤンキース)を擁して3年連続で甲子園決勝へと進出。早稲田実業と壮絶な延長戦を繰り広げた末に、再試合で敗れた。僕は当時小学生だったが、あの興奮は昨日のことのように覚えている。破壊力抜群の打線、相手の隙を突く走塁、堅い守り、鉄壁の投手リレー……。まさしく全てが揃ったチームだった。

北海と比較すると、駒苫はもう少し攻撃的な野球をする。盗塁やエンドラン、プッシュバントなどを用いた多彩な攻めで相手を揺さぶるのが駒苫の持ち味だ。また、高校野球にありがちな一人のエース頼みの投手陣ではなく、複数の投手による継投策を盛んに用いるのも特徴だろう。

駒苫のもうひとつの特徴として、とにかくブラスバンドの応援が素晴らしいことも挙げておかねばなるまい。軽快なテンポで演奏される応援歌の数々には僕も球場で聞き惚れた。あの応援は駒苫のリズム良い攻撃の象徴的存在だ。特に好きなのは『真っ赤な太陽』と『Gパン刑事』の2曲である。YouTubeなどで是非聴いてみてほしい。

応援団の威圧感という点に於いては、札幌第一高校も全く負けていない。チャンス時の『アフリカンシンフォニー』『大進撃』などは、球場で耳にすると強烈な印象を残してくれる。

札幌第一高校も、駒苫と同じく攻撃的なチームカラーだ。上位から下位まで、鋭いスイングでどんどん相手投手を打ち込んでいく。まさしく相手にプレッシャーを与える打線だ。観戦していてもその破壊力にはただ驚くばかりである。

 

一方北北海道の高校野球は、幾つかの有力校が毎年名を連ねる南北海道と違って群雄割拠の様相を呈している。旭川大高校、旭川実業、旭川工業、旭川龍谷稚内大谷、北見北斗、武修館遠軽釧路工業、釧路湖陵白樺学園、帯広北、帯広三条、帯広大谷……。ざっと挙げてみただけでもこれだけの有力校が思い浮かぶ。何しろ、夏の甲子園出場回数が二桁に到達している高校がないのだ(最多は旭川大高校の7回)。この記録だけでもその戦乱の様相を窺い知ることができよう。

個人的に好きなのは、白樺学園である。2011年夏の甲子園で、あの智弁和歌山高校と延長10回にわたる壮絶な打ち合いを繰り広げたのが今でも忘れられない。試合には敗れたものの、7回の同点満塁弾、8回の勝ち越し弾と2発のホームランを夏空に打ち上げた鮮烈な印象は、ずっと僕の脳裏に焼き付いている。

 

高校野球が好きな人は、別にレベルの高いプレーが見たくてあの暑い中球場へわざわざ行くわけではないと思う。高度に洗練された技術の数々が見たいならもう少しお金を出してプロ野球を見に行けばいい話だし、野球のレベルによって観客数が変動するのなら、これだけの高校野球ファンは日本にいないだろう。ではなぜ高校野球を観に行くのか。理由は色々あるだろう。高校球児の溌剌としたプレーが見たいから。自分の出身校を応援したいから。ブラスバンドの応援が聴きたいから。etc.……。

様々な理由を考えていくと、やっぱり最後にはどれも「野球が好きだから」に集約される気がする。やっぱり野球は感動を僕らに与えてくれる。

今年も先日から各地で夏の甲子園を目指す戦いが始まった(因みに先程速報を見たら僕の母校がコールド負けしていた。悲しい)。今年の南北海道はどこが制するのか。僕は春の全道を制した駒苫か、春センバツ出場校の札幌第一が優勝すると踏んでいる。しかし、高校野球は何が起こるか分からない。僕の全く予想外の高校が快進撃を見せるかもしれない。南北海道大会を現地で見られないのが残念だが、そのぶん今年は東西の東京大会や神奈川県大会を観に行こうと思っている。今から楽しみだ。みんな高校野球を観に行こう。

モテない話

モテない。それも尋常じゃなく。彼女ができる兆しは一向にないし、今年で21歳になるのに女性とは未だに上手く話すことができない。どうしても羞恥が先行したり、自分を無理に良く見せようとして自分語りをし過ぎてしまったり、逆に相手に合わせすぎてしまったり……。オタクなのが良くないのかと思ったこともあるが、高校から大学にかけてオタクでも恋人がいるという事例を沢山見るにつれそれは違うなと気付いた。

思春期に異性関連でいい思いができないと、異性との関わり方がわからなくなる。異性との関わり方がわからないので、当然意中の人を口説くこともできない。そうして失敗体験を積み重ねた結果として自信を持つことができず、年齢を重ねても異性の前で常にオドオドとして頼りない、女々しくて情けない男が出来上がるという寸法だ。

根拠のない自信がある人は本当に強いと思う。例えその自信に何の根拠がなくても「自分はすごい、自分はイケてる」というプラス思考が言動にもしっかり現れてくる。自信のある男は頼り甲斐があって男らしく見えるし、自信のある女は美しく可愛らしく見える。俺とは大違いだ。高校の同期やサークルで関わった人にもそういう人間(と少なくとも俺には感じられた。あくまで俺の主観だけど)がいたが、案の定彼ら彼女らはモテていた。

思春期に、根拠のない自己否定感に苛まれていた。成長するにつれて、根拠のない自己否定感は、根拠のある自己否定感へと変わった。自分をより強く否定し、自分をより激しく嫌い、自分の女々しさにより嫌気が差した。今こうして文章を書いていても、改めて自分の根暗さ、陰険さ、神経質さなどが嫌になってきてイライラしている。たぶんこの文章をアップロードしたら、今度はこの文章を見られる恥ずかしさで悶えてまた自分のことがもっと嫌いになるのだろう(ならアップロードしなければいい話なんですよね)。

自分が女性に愛される姿を想像できなくなったのはいつ頃からだろうか。結婚はしたいが、自分が誰かと結婚して家庭を持っている姿がどうしても想像できない。逆に、35歳を過ぎたあたりで慌てて婚活パーティーに出掛けて汗水垂らしている自分の姿は容易に思い浮かぶ。「将来こんな人と結婚したい」みたいな理想の女性像のハードルがどんどん高くなっていることも感じているし、女性に対する考えをますます拗らせていることも日々実感している。ああああああああどうしたらいいのだろう

そもそもブログでこんなにうだうだと自分がモテない話をしている時点でもう相当女々しい。気持ちの悪い男だ。改めて考えなくてもこんな男を好いてくれる女性など存在する訳はないのである。これは動かしようのない事実だ

先日、高校の友達から「彼女がほしいと思ってるうちは彼女なんか出来ない。彼女いらないと思うようになったら俺も彼女ができた」と言われた。早くその境地に至りたいものだ。しかし、彼女が欲しいがために彼女はいらないと自分に言い聞かせるのは自己矛盾を起こしている気がしてまた色々悩んでしまう。もう手がつけられない

今病気で悩んでいること、留年していることも彼女がほしいという感情の重要なファクターになっていると思う。心の拠り所を求めている訳だ。しかし彼女という存在は断じてカウンセラーなどではない。それを忘れてただ寂しいから、憂鬱だから、嫌なことばかりだからという理由でそういった感情の発散先を求めるのは違う気がする。それは相手に失礼だ(こういうことを書くと、高校の友人の某君から「童貞臭い」と言われそうだ)。

こんな捻くれ拗らせた思考でいるから、女性と縁がない日々を送っているのだろう。長生きしたくないと思いながらも死を行動に移さず、かといって生を一生懸命に享受するでもなく、唯ぼんやりと無為な毎日を過ごしている。そんな自分のことがとても嫌いだし、許すことはできない。「考えすぎだよ」とよく言われる。確かにそうなのかも知れない。考えすぎないためにはどうしたらいいのだろうか?と考えると、そこからまた思考の沼の底へと沈み込んでゆく。

もう疲れた。

アサガオと夏の話

小学生の頃にアサガオを育てた経験は、誰しも一度はあることだろう。夏の朝に、露を纏ったアサガオの花が咲いたのを初めて見たときの純粋な感動は、私の懐かしき幼少の思い出である。

アサガオ花言葉は「はかない恋」「固い絆」「愛情」だそうだ。「はかない恋」は花が短命であることから、「固い絆」は支柱に蔓をしっかりと絡ませることが由来となっているそうである(「愛情」の由来は調べても出てこなかった)。個人的には、最初の「はかない恋」がアサガオの爽やかで儚げなイメージとマッチして最も好きな花言葉だ。

アサガオは、ヒマワリと並ぶ著名な夏の花である。暖色の花弁でエネルギーに溢れ、力強さを感じるヒマワリに比べると、アサガオは些か地味かも知れない。しかし、そのひそやかな美しさ、儚い輝きが私の心を捉えてならない。

 

夏という季節には、他の季節にはない特別な何かがあると思う。それは風鈴の音色であったり、うだるような暑さであったり、そしてノスタルジアであったり……。私の貧弱な語彙ではうまく説明できないが、強烈なエネルギーの裏に隠された空虚さ、物悲しさのようなものが夏という季節を形作っているように思われる。不思議なもので、ネガティブな意味の単語は夏と合う(と私には感ぜられる)。夏と死、夏と孤独、夏と寂寥、夏と空虚さ……。

もうすぐ夏がやって来る。今年の夏は、どんな日々が私を待ち受けているのだろうか。

書評『池袋通り魔との往復書簡』

 突然だが、読者諸賢は「池袋通り魔殺人事件」を御存知だろうか。もし知らない人がいたら、この先の文章が読みづらいと思われるので、まずここに概要を示すこととする。1999年9月8日、池袋サンシャイン60通り東急ハンズ池袋店前で起きた通り魔殺人事件である。犯人の造田博(ぞうた ひろし/新聞配達員・当時23歳)は、東急ハンズ池袋店前で通行中の人々に包丁と玄能を用いて突如襲い掛かり、2人を殺害、6人を負傷させる大惨事を引き起こした。その後造田は、殺人・殺人未遂・銃砲刀剣類所持等取締法違反・傷害・暴行の罪で起訴され2007年に死刑が確定した。本書は、その造田と著者との間で交わされた25通の書簡を通じ、この事件とその後にも続く無差別殺人事件の連鎖と、その背後に蠢く社会病理を解き明かす内容となっている。以下ネタバレを含むので注意。

 

池袋通り魔との往復書簡 (小学館文庫)

池袋通り魔との往復書簡 (小学館文庫)

 

 

池袋という土地は今こそ栄えているが、近世江戸の頃には辻斬り、近現代に至れば俗に言う「スガモプリズン」としてA級戦犯の処刑を行った巣鴨拘置所と、きな臭い土地柄だ。そして、事件はそんな池袋の白昼、サンシャイン60通りで起きた。右手に包丁、左手に玄能を持った造田は「むかついた!ぶっ殺す!」と叫ぶと同時に、通行人へと襲い掛かる。詳しい犯行の様子は本書を読んでもらえればわかると思うので省くが、残虐極まりない殺戮が行われた。死者2名。負傷者6名。いずれも造田とは面識も何もない人々で、まさしく通り魔と呼ぶにふさわしい犯行であった。

造田は現行犯逮捕。しかし、やがて始まった裁判で、造田の口から事件について語られることはほとんどなかった。代わりに彼の思いを雄弁に語り得たのは、手紙だった……。

著者は、造田の公判中耳にした、造田が友人に宛てた手紙の中の一文に驚きと興味を感じる。

「造田博教を作りました」

この文章の真意を突き止めたいと考えた著者は、東京拘置所収監中の造田へ「造田博教の中身について教えてほしい」と手紙を送る。これが著者と造田との文通の始まりとなった。

造田の手紙も、かなりの内容が本文中に記載されている。だが、正直いずれの手紙を読んでも、文章として何を言いたいのかが見えてこない。日本語にはなってはいるのだ。しかし、著者の問いかけに対する返答であったり、「造田博教」の中身であったりの話になるとよくわからなくなってきてしまう。文章としての総意が掴めないのである。そして、彼のどの手紙にも必ず出てくる二つの文。

「この手紙は私の思った事を適当に書いただけなので、あまり深刻に考えないで下さい」

「ボールペンで消している所があります」

自分が責任を取るのが余程嫌なのか、手紙の内容については「深刻に考えないで下さい」と冗談交じりにして責任を逃れる。一方では、完璧主義者なのか、ボールペンでミスした部分を塗りつぶしたことについて弁解をする。自分が傷つくことを何よりも恐れる姿は、今の若者にも通ずるものがあるのではないだろうか。SNSが発達し人と人との繋がりが希薄になった現代に於いて、大事なのは責任の所在よりもまず自分が傷つかないこと。傷つかないために予防線を張る。傷つかないために人と接しない。傷つかないために表面上は「仲良しのふり」を続ける。傷つかないために……。皆さんも、一度は身に覚えがあるのではなかろうか。

そして、著者から手紙で事件のこと、それがもたらした被害について質問されると、彼はたちどころに妄想の世界へ逃げてしまう。以下本文の造田の手紙より抜粋。

 

「私が事件を起こしたのは無言電話(※本ブログ筆者注・事件の5日前に造田の携帯にかかってきたいたずら電話のこと。造田はこれに激怒し犯行を思い立ったという)で日本にたくさんいる人にたまたま頭にきての事です。私の携帯電話に無言電話をかけてきたのも日本にたくさんいるような人です。頭に来たのは日本にいてわからない事(仕事中トイレに行けない、仕事で大酒に付き合わされるとか。)がそれまでにもたくさんあった事もあります。造田博教に書いてある事と事件とは関係ないですが、いくらかは関係あったと思います。私が事件の事をどう受け止めているのかは、事件の事は反省していますと前にたぶん書いたと思います。」

 

その後著者がこの手紙で出てきた「日本にたくさんいるような人たち」「日本にいてわからない事」の解説を手紙で求めても、明確な返答はなかったという。

自分に都合が悪くなると、内面の世界へと逃げ込む。そこにいれば、理屈に合わないことも正当化できるし、目を背けたいことは見なくて済む。しかし、いくら目を背けたって、現実はそこにあるし、それでも日は昇るのだ。

 

「私は事件の被害者の人の言う事を聞かないでいいと思っています。むちゃくちゃな言い分を含むという事です。私は事件の被害者の人へは裁判で決められた金額に沿うように払えばいいと思います。決められた金額以上は払わないでいいと思います。」(造田の手紙より抜粋)

 

なるほど妄想の世界は居心地が良いだろう。しかし、それはあくまで妄想に過ぎないのだ。見たくない現実から必死に目をそらしても、現実は変わってはくれない。天国のような妄想の世界と、思うようにいかない現実とのギャップ。そこに行き着いた時、通り魔は社会へと牙を剥いた……。

2017年5月現在、造田は東京拘置所に収監されている。

運動音痴

運動音痴だ。幼少の時分から、運動会は唾棄すべき対象であったし、体育の徒競走はいつも最下位だった。私の強烈な肉体的劣等感は、このような体験に起因すると思われる。体が弱く、同級生にモヤシとからかわれることも多かった。子供は残酷だ。私のそういう肉体的繊弱さは、容易に苛めの対象たりえた。小学生の頃に、私の顔色が青白いからという理由で苛めっ子の同級生からお化けと呼ばれていたことを、私は今でも克明に記憶している。恐らく私をそう呼んでいた彼らは、今となってはそんなことなど覚えてはいないだろう。

こういった少年が、周囲を密かに見下し自己を特別視することで自尊心を守ろうとするのは、読者諸賢も想像に難くない筈だ。所謂ネットで言われている中二病的なものだが、私にもそんな時期があった。私のためだけに用意された荘厳たる使命が此の世界の何処かにあるような気がしていた。

最近、ランニングをしている。適度な運動で健康を保とうとするという目的の他に、もうひとつの狙いが存在している。小さい頃からの肉体的劣等感を少しでも克服し、その引け目の解消を以て自信を得ようというものだ。これからも続けたい。もしかしたら次に同期の友人と会ったときには私の肉体的変化に彼らは驚愕するかも知れないなと考えて、密かにほくそえんでいる。

書評『春の雪』

記念すべき書評1冊目は、三島由紀夫の長編四部作『豊饒の海』の第一部、『春の雪』である。以下ネタバレを含むので注意。

 

春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)

春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)

 

時は大正。 主人公の松枝清顕は、明治維新の功臣を祖父に持つ侯爵家の嫡子。そしてヒロインの綾倉聡子も、伯爵家の深窓の令嬢。二人とも、所謂「名家」のお坊ちゃまお嬢様だ。この二人の悲恋をスキャンダラスに描き切ったのが本作である。正直なところ、題材としてはかなりありきたりなものだと言えよう。しかし、そんなありきたりな題材も三島にかかれば、ここまでの美しい物語へと昇華される。

とりたてて私が好きなのは、主人公の清顕である。この清顕という少年は、基本的にかなりめんどくさい。そして思春期特有の女性への悩ましさに溢れている。何しろ、恋い焦がれている聡子に自分が女慣れしていない童貞だと馬鹿にされるのが嫌で、わざわざ「俺はもう経験済みだ!」なんていう嘘を書いた手紙を聡子宛に送りつけたりするのだ。他にも、松枝家にやってきた留学生に「内心では『へえ?君はその年で、一人も恋人がいないのかい?』と馬鹿にされているんじゃないか?」と被害妄想にかられたり、更にはその留学生へ「きっと近いうちに彼女を紹介するよ」と彼女なんかいないのに虚栄心からそんなことを言ったりと、序盤はまあ読んでて苦笑いしてしまうような言動が目立つ。聡子のことが好きなのに、うまくアプローチできないもどかしさ。聡子に弄ばれてばかりの自分と、己が心を波立たせる聡子への苛立ち……。アンビバレントな感情に苛まれる少年を三島は見事に描写している。

そして物語はクライマックス。綾倉家に宮家との縁談話が舞い込んでくる。当時はまだ宮家の威光は圧倒的な時代。断ることなど出来はしないのだ。清顕と聡子の恋路は、こうして破滅が運命付けられてしまう。

ラストシーン。病に冒されながらも清顕は、出家を決意した聡子に一目会おうと奈良まで向かう。しかし、逢瀬を果たせぬまま、失意のうちに友人の本多に連れられ東京へ戻る。清顕の最後の台詞。

「今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」

豊饒の海』の主題とされた夢と転生、その念が滲む言葉をラストに持ってくるのが何ともニクい。三島文学という大海原を心行くまで旅したくなる、そんな一冊の紹介でした。

最初の記事、及びブログ開設に至った経緯とこのブログの内容について。

ブログを始めた。物ぐさな人間である私が果たして定期的に更新を続けることができるのかという点は甚だ疑問だが、とにかくやれるだけやってみたいと思う。

 

抑々ブログ開設に至った経緯だが、これは至極単純な話である。私が大学で所属しているサークルの友人に勧められたからだ。更新を怠っては、せっかく開設を勧めてくれた彼の私に対する信用にも関わろう。そう考えると、身が引き締まる思いだ。

 

ブログの内容について。主に書評、日常のあれこれ、諸々の考えたことなどを纏める場になろうと思われる。特に書評は力を入れていきたい所存である。

 

拙い文章の羅列にはなってしまうだろうが、どうぞお許し願いたい。これからよろしく。