流し読み

どうでもいいこと

カッコつけたい時期

思春期の男子は、基本的にカッコつけたがる生き物である。今になって振り返ると呆れ返るほど馬鹿なことをカッコいいと思っていた訳で、あの頃女子にウケると思ってやっていたことはだいたい何とも思われていないかダサいと思われていたかの二つに一つだったろう。当時の俺が自己をある程度客観的に見つめる視点を著しく欠いていたことは否めない。

 

中学生の頃、ポケットに手を入れて歩くのがカッコいいと思っていた。何だか少し悪な感じがして(中学生男子にとって、カッコつけと少し悪は同義語である)、特に登下校の最中によくやっていた。たぶんそもそも女子に気付かれてなかったと思う。思い返してみてもかなりダサい。考えてみれば、中学で背が伸びまくってズボンが七分丈みたいになっていた制服で不良ぶってもコントにしか見えないだろう。不良が腰パンで手を突っ込んでいるならまだしも、モサッとした髪型にニキビだらけの顔をした気持ち悪いオタクがそんなことをしていても女子にウケる要素などどこにもないのは至極当たり前である。

制服に関するカッコつけは色々あった。上着の下に着るシャツは長袖と半袖の二種類あって、夏以外は長袖を着用する。この長袖シャツを腕捲りして着るのがカッコいいと思っていた。猛者になると、半袖の時ですら捲ってノースリーブのシャツみたいにしていた。捲れた袖が肩のところでクロワッサンみたいに丸まっているのが少し笑える着こなしである。他にも(俺はやってなかったが)、上着のボタンをわざと留めないで前を開けて着たり、靴のかかとをわざと踏んで履いたり……。とにかく制服は崩して着るのがカッコいいとだいたいの男子は考えていたようである。女子がどう感じていたかは全く知らないが、少なくとも「カッコいい」とは多分思ってないだろう。清潔感ないし。この頃の体験を通じて、後に俺は「清潔感」というものが女性が男性を評価する上でかなり大きなウェイトを占めていることを学んだ。

 

ありがちな話だが、「女になんか全然興味ないから」とスカした態度を取るのがカッコいいと思っていた。むろん実際のところは思春期であるから「女子にモテたい」「彼女がほしい」「女子の裸を見たい」「おっぱい揉みたい」「おっぱい揉みたい」「おっぱい揉みたい」……等ということしか考えていない。10代男子のガラスの心にとって「めちゃくちゃモテたいのに現実的には女子に毛ほども相手にされていない自分」を受け入れることは耐え難い屈辱である。それをどうにか受け入れるために編み出したのが「女になんか興味ないからモテなくても全然悔しくない」という態度だった訳だ。もうこの文章を見ただけでも「死ぬほどモテたいんだろうし、おっぱいとかも揉みたいんだろうな~」と感じられて苦笑いしてしまう。事実、俺は何とかしておっぱいが揉めないかとあれこれ考えを巡らせては良いアイデアが思い付かず虚しく眠ることを中学時代繰り返していた。3年間でその成果が出たかどうか、読者諸賢は書かなくても勿論お分かりだろう。後に高校へ入学してから、この辺の性的欲望は一気にオープンな、かつ負の方向へと振り切れることになる。

今になって振り返ると、そんなにモテたいのならもっさりした髪型を整えるとか筋肉をもっとつけるとか(俺の中には思春期の女子は大抵運動部の筋肉質な男子が好きだという偏見がある)、色々できることはあった筈だ。ありのままの自分を受け入れてほしいという10年前の自分が抱く気持ちは分からなくもないが、それが可能なルックスや性格、能力を磨いてこなかったことに俺は愚かにも気づいていなかった。極端に言えば、レストランで生の豚肉を出されて「これがありのままの豚肉ですので、受け入れてお召し上がりください」等と言われるようなものである。加工して見栄えや味を良くしたから食べてもらえるわけで、何も加工しないまま食えと要求されてもどだい無理な話だ。そもそも、「モテたい=色んな異性に好かれてその中から自分の一番好みな異性を自由に選びたい」というとんでもなく傍若無人な欲望であり、そりゃそんなこと考えてる奴が女子から相手にされないのも当然だ。相手は玩具店に売っているお人形さんではなく、一人の生きた人間の女の子なのだから。

 

特に成績の良い男子にありがちなことだが、定期試験前になると「今回全然勉強してないからなぁ~」と女子の前で言う。本当は机にかじりついてめちゃくちゃ勉強しているのに。

勉強していないことがカッコいいと思っていた時期が俺にもあった。しかし実際は何だかんだ勉強していたから、それを女子に知られてはいけない訳だ。今になると心底馬鹿だと思うが、当時の俺は『勉強してないアピール→試験で高得点→女子に「カッコいい!!すごい!!♥️♥️」と言われる』と内心まあまあ本気で思っていた。実際のところは、俺のような陰気な男子が高得点を取っても良くて精々「あーそうなんだ、すごいね」程度である。女子との関わりが少なかったから当たり前だ。むしろ「すごいね」と言ってくれればまだいい方かも知れない。因みに、一番俺の成績を褒めてくれた異性はダントツで姉だった(俺の母親は子供を褒めない人だ)。

勉強関連で言うと、女子に勉強を教えてくれと頼まれたときにわざとぶっきらぼうに教えるのがカッコいいと思っていた。折角頼ってくれたのに失礼以外の何物でもない。「こんなの誰でもわかるだろ、簡単だよ」とかほざいてる暇があるなら練習問題のひとつでも作問した方がまだ好印象なのは考えるまでもない。あと、学生時代の女の子は勉強してないアピールにばかり精を出している俺のような男子よりも、毎日コツコツ目標に向かって頑張ってる努力家な男子の方が多分好きだと思う。

今までの人生で学んだことだが、女性は基本的に一目惚れの割合が男性に比べて非常に低いような気がする。女性というものは全員そうだと主張する訳ではないが、少なくとも俺の周囲にいた女性はあまり一目惚れをしなかったように思う。そして、女性が男性を評価するとき、俺には未だにハッキリと実態の掴めない「生理的に無理」というカテゴリーがあるらしい。姉に訊いたところ「清潔感のない人は全員そこだね」とのことだった。また「清潔感」か……。まあ男性の俺も髪の毛が脂でテカテカしてたり、フケだらけだったり、シャツが皺だらけでヨレヨレだったりする女性は確かに嫌だから、その感覚の強化版みたいなものなのだろうか。

 

他にも色々と意味不明なカッコつけは存在した。夜更かしをするのがカッコいい、授業中居眠りをするのがカッコいい、早弁をするのがカッコいい、テストで高得点を取っても平然としているのがカッコいい、等々……。正直書いていて恥ずかしいが、昔の俺は大真面目だった。自分でも非常に気持ち悪いと思う。ありのままでモテる人間など数はそんなに多くないから、それを自覚した上で何とか工夫をしていたという思い切り好意的な解釈をしても、流石にダサい以外の感想がない。

因みに、俺には弟がいるのだが、彼は彼で「女に興味ないカッコつけ」を俺以上に尖った形で行っていた。バレンタインデーにクラスの女子から呼び出され(弟は俺よりだいぶモテる男だ)、チョコを渡され告白されたにも関わらず「いや、付き合うとか興味ねえから」などと言って断った話をニヤニヤ笑いながら自慢げにしていたのを覚えている。弟の手には、その女子から貰ったチョコレートの食べかけがしっかりと握られていた。

告白断っておいてチョコだけもらってくるなよ。おい。

温泉と父

僕の実家がある町には、小さな温泉がある。幼少期からよく行っていたように記憶しており、今でも帰省するとたまに連れていかれる。

小学校に入るか入らないか位の頃から、父に連れられて時折温泉へ出掛けた。臆病な子供だった僕は、当時まだ風呂で頭を流すときに目をつぶるのが怖くて仕方なかった。そういう時はだいたい母に洗ってほしい旨を告げて解決していたような記憶がある。父は洗う力がやや強く、また子供心に少し怖さを感じる存在であったこともあり、あまりそういったことは頼まなかった。父は身長が180cmを越える非常に大柄な男で、かつ筋肉質な体つきをしているから、単純な大きさだけでも小学校低学年の僕にとっては畏怖の対象だったということをどうかご理解いただきたい(母も女性としてはかなりの高身長だが)。

父と温泉に入ると、横で体を洗う父の腕や足は丸太のように見えて、生来痩せっぽちの僕はいつも目を見張った。語弊があるかも知れないが、あまりのサイズの違いにとても同じ人間だとは思えなかった(当時の僕は自分が成長し、やがてニキビだらけの冴えない青年になるという自覚が全くない)。父は温泉に行くとよく僕に「お前も背が伸びてきたなぁ、大きくなったなぁ」と言ったが、小学生の僕が怪訝な顔をしていたことは言うまでもない。暑がりでこらえ性のない僕がすぐ温泉を出ようとするので、100数えるまで上がるなと父が言い、熱くて逆上せそうになる中もぞもぞと数字を唱えた。

 

大学生になってから久々に父と二人で温泉へ出掛けた時のことである。横で昔のように体を洗う父と、僕の頭の位置はほぼ変わらなくなっていた。父の短く刈り込んだ頭にはあの頃なかった白髪が目立ち、胡麻を振ったようになっていた。昔は弁当箱のような四角い顔にいつも厳めしい表情ばかり作っていたが、50歳を過ぎたあたりからすっかり愛想のいい「おじさん」になった。

昔と変わらず痩せている僕の手足を眺めて「相変わらず細いなあ、ちゃんと東京で飯食ってるのか」と父に言われたが、十数年前に比べると父も少し小さくなったように感じた。

父と二人で温泉に浸かる。やっぱり頭の位置は変わらない。父の「大きくなったなぁ…」は、昔よりもしみじみと聞こえるようになった。もう、あの頃のように僕が100を数える声が温泉の天井に響くことは二度とない。

食事の思い出

まだ小学生だった頃、僕は毎日のように野山で遊び回る田舎の少年であった。学校から帰ると虫採りへ行き、昆虫のいない冬は橇で雪山を滑り、腹が減ったら家路についた。

小学生の僕は、痩せた子供だった。なのにかなりの大食いで、両親によく不思議がられたものだった。

あの頃の食卓で僕が大好きだったのは豚カツだ。父の給料日が来ると、母はいつもより少し良い肉を買ってくる。その頃は家庭もそれほどギスギスしていなかったから、豚カツが並ぶ月末の食卓が僕はいつも待ち遠しかった。

母の作る豚カツはいつも衣がサクサクで、中の肉は小学生の僕でも食べやすいよう柔らかく下拵えがしてあった。ソースをかけて頬張ると堪らない美味しさで、ついつい3枚4枚とおかわりを繰り返した。母はそういうときいつも「私はもういらないからあんたが食べなさい」と言って1枚しかない自分の豚カツをくれた。弟とそれを巡って取り合いの口論になり、母がその豚カツを半分に分けて僕ら兄弟を宥めるのが常であった。食事が終わり僕と弟がレゴブロックで遊ぶ頃に、築40年近い当時の自宅の古びた台所で黙って洗い物をする母の背中が何故か寂しく思えた。台所のすりガラスの外には、いつも白熱灯がぼんやりと滲んで見えていた。

 

小学生の頃は平均身長ぐらいの体格だった僕だが、中学校の3年間で20cm背が伸びた。所謂成長期だ。

この頃の生活は、ほぼ食欲と性欲、そして自意識に支配されていた。中でも食欲が一際強く、給食はおかわり必須であった。給食前の4時間目の授業中に空腹で音が鳴るのが嫌で朝食も白米を二杯おかわりしていたのだが、それでも毎日ぐぅと腹が鳴る。今思うと運動部でもないのに毎日馬鹿みたいな量の飯を平らげていた。だから身長が伸びたのかも知れない。

朝食は毎日白米で、パンは全く食べなかった。パン派の姉はやや不満げであったが、姉以外の家族全員が白米派であったから仕方ない。朝食のメニューは、白米と味噌汁は固定で他はおかずが1品か2品ついた。

わかめの味噌汁が僕の思春期の思い出の食事である。母はいつも白味噌で作っていた。朝の弱い僕が漸く遅刻ギリギリで起き出してくると、居間は味噌汁の香りに満ちている。母に急かされながら朝食を摂り、制服に着替えて家を出る。朝の冷たい空気が肺を満たした。勉強は嫌いではなかったが、学校はあまり好きではなかった。家族の朝食に会話が減っていったのは、この頃からだっただろうか。今となっては、あまりよく覚えていない。

 

かなり通学に時間がかかる高校に進学して、家を出る時間がぐっと早くなった。最初の頃は母が弁当を作ってくれたが、しばらくして「早起きして弁当を作るのが面倒」という至極もっともなお達しを彼女が僕に言い渡したため、その後は食堂で昼飯を食べるようになった。

中学生の頃ほどではなくなったが、相変わらず食事の量は多かった。食堂のメニューに炒飯があったのだが、僕はいつも大盛りを注文していた。しかもそれでは飽き足らず、帰宅途中によくおにぎり等を買い食いしていた。

高校2年生の春休みに、11年間習い続けていたピアノをやめた。受験勉強のためだった。最後の発表会で、ピアノ教室の先生と握手を交わした思い出が頭を過る。習い始めた頃は小さな子供だったのに、いつの間にか僕の方が先生よりもだいぶ大きくなってしまっていた。

発表会が終わったあと、家族で回転寿司を食べに行った。弟と二人で、どちらが沢山食べられるか競争になった。もう先生にピアノを習えないという寂しさを紛らわせようと、僕は寿司を沢山食べた。わさびが鼻につんと染みた。

 

高校3年生の冬、家庭は冷えていた。母と姉が毎日喧嘩を繰り返し、父は数年前から単身赴任で家にあまりいなかった。

塾から帰るといつも弟が玄関で嫌気のさした顔をしていた。2階からは怒鳴り声が聞こえてくる。誰もいないテーブルには昔を思い出すかのように、僕用に作られた冷めた豚カツの乗った皿が1枚、ラップに包まれて置いてあった。家族がバラバラに食事をすることが増えて、話すことも減った。このころよく母と二人で晩飯を食べたのだが、あの頃のように話すことはできなかった。僕も母もそれぞれの事情でストレスを溜めており、喧嘩はさほどしなかったが接し方を忘れてしまったような感覚がした。母は「おかわりいらない?私のをあげようか」と、僕が食べ終わる前によく言ってきたが、元々異常な程痩せているのが歳を取ってますます細くなり、皺も増えた母の食事を貰うことはできなかった。

冷めた豚カツは、しなびた衣に染みこんだソースの味ばかり目立っていた。窓の外には、雪がしんしんと降っていた。

 

大学生になり、僕は実家を出た。初めての東京暮らしは何もかも新鮮で、田舎者の僕は全てに圧倒されていた。

独り暮らしであるから当然自分の食事を作る必要に迫られる訳だが、母のように美味しくできない。炒飯、野菜炒め、鍋などの簡単な料理しか作れない。塩辛い野菜炒めをおかずにご飯を食べた。一人で食事をするのは慣れていたが、どこか侘しかった。

最近これではまずいと思い、料理を練習し始めた。オムライスを練習しているのだが、これが中々面白い。いつの日でも、美味しい食事は僕に元気を与えてくれる。

先日帰省したときに、母の豚カツを久々に食べた。あの頃と変わらない美味しさが、嬉しかった。家族があちこちに離散し、昔のように団欒を楽しむことはもう出来なくなったが、豚カツの味は今になっても変わらない。

やはり、豚カツは揚げたてで温かい方がいい。

文章をうまく書く

文章力とは、どのような力なのだろうか。少し面倒な言い方をすると、今回は「文章をうまく書くこと」について文章を書く。

 

1.基本的な文章の巧拙

文章を書く目的は、大方の場合「他者に何らかのメッセージを伝えること」だろう。日記や個人的なメモなど、それを目的としない文章(つまり自分以外の人間が読むことを想定せずに書かれた文章)もあるにはあるが、普段我々が声に出したり、手紙やメール、SNS等で書く、或いは打つ文章は、誰かに聴かれること、読まれることを前提としているのは間違いない。

これを念頭に置いて、基本的な文章の巧拙について考える。

「他者に何らかのメッセージを伝えること」が文章の目的とすれば、文章の巧拙は通常「そのメッセージが伝わりやすいか否か」で判断されるのが妥当と言えよう。以下に例を示してみる。

 

a.私は彼の不審な挙動が気になり、何故そんなことをするのか尋ねた。

b.私は彼のやることが何だか変だなーと思ったから、私は何だか彼のやることのわけが気になったから、私は今の彼のやることのわけを訊いてみた。

 

aとbの文章は、その伝えたい内容は同じだ。しかし、aとbの文章を比較して「bの方が読みやすい!卓抜な文章だ!」と感じる人は恐らくあまり多くないのではないか。

その理由としては、

1.aと比較してbは冗長であるから。

2.aと比較してbは「何だか」という言葉を、同じ意味合いを持たせて一つの文中で二度用いているから。

3.aと比較してbは「今"の"彼"の"やること"の"」と同じ助詞を三度続けて用いているから。

4.aと比較してbは「彼のやること」という同じ名詞節を三度用いており、代名詞を使っていないから。

5.aと比較してbは「"私は"何だか~」「"私は"今の~」等、省略可能な主語を全く省略していないから。

6.aと比較してbは「から」という接尾語を同じ文中で二度用いているから。

これらが挙げられるだろう。aとbを比較した場合、上記の要因によりbの方が「メッセージの伝わりやすさ」という文章の最も重要な部分において、劣っていると言える。bの文章は、もう少し推敲を重ねた形で読み手の目に入るのが望ましい。

bの文章をもし整理して読みやすいもの(いわばb')にするなら、このような形になるだろう。

b'.私は彼のやることが変だと思い、その理由が気になったため、わけを尋ねてみた。

 

2.助詞の使い方に気を付ける

以前、ラジオNIKKEIの中野雷太アナウンサーが自身の競馬レース実況における助詞の使い方について話しているのを聞き、大変納得がいった記憶がある。彼曰く「内ラチ沿いを伸びてくる馬には『内から』と言う」「僕が『今日は』と言ったら、それは前回、前々回とは違っている。逆に『今日も』と言ったら、前回、前々回と同じ」なのだそうだ。試しに、彼の実況したレースの中からこれらのフレーズが使われている部分を引用してみる。

「その外"から"1番のキズナも追ってこれは横に広がった大激戦」…2013年日本ダービー

「さあ先頭4番ジェネラーレウーノ、今日"は"行きました」…2018年菊花賞

「12番ミッキースワロー今日"も"アルアインを前に見ています」…2017年菊花賞

こうして見てみると、助詞の使い方ひとつで文章全体の印象が少なからず左右されることが伺えるのではないだろうか。

前章で述べた通り、同じ助詞を続ければくどくなるし、本章で述べたように、いつもと同じことを「今日は○○だ」と表現すると文章として適切とはあまり言えない。

「も」と言えば、「他のことがらや過去の出来事と同様に今述べた内容が成立する」という意味合いを伝達できる。逆に、「は」と言うと、「他のことがらや過去の出来事に関係なく、今述べた内容のみについてそれが成立する」ということがニュアンスとして伝わるだろう。

「も」を使うなら例えば、

A「私"は"いつも休みの日は家でゴロゴロしてるんだけど、あなたはどう?」

B「私"も"そうしています。」

というように、Aという人物の話した事柄についてBも同様にそうであると示したい場合に適切だろう。

「は」について述べるなら、

A「私"は"いつも休みの日は家でゴロゴロしてるんだけど、あなたはどう?」

B「私"は"よく外出しますね。」

といった具合に、AとBの述べた内容が違っており、ABそれぞれ「互いに関係なく自分についてのみ今述べた行動様式が成立する」というニュアンスを文章に含ませたい場合に使うのが良いと思われる。

例示が長くなったが、つまり過去の出来事やその場の状況、他の物事との関連を考えた上でそれに即した助詞を選択し、文章を構成していくことが「読みやすい文章」を作成するためには欠かせないということである。

 

3.着飾りすぎは必ずしも良いことではない

着飾る、つまり文章を豪華絢爛に書くということであるが、これは必ずしも良いことではない(ここで注意してほしいのは、これが絶対的に悪いことだとは私は全く言っていないということである)。

何が言いたいかというと、必要のない場面で文章をわざと難解に書きすぎるなということだ。以下に例を示してみる。

 

a.このような姿をお見せしてしまい、誠にお恥ずかしい限りです。

b.斯様な醜態を曝してしまい、甚も慚愧の念に堪えません。

 

aとbで言いたいことはだいたい同じなのだが、bは過度に文章を難しく書いている。「醜態」ぐらいならまあ大抵の人は読み書きできるだろうが、「慚愧の念(ざんきのねん)」「甚も(いたも)」などは普段あまり目にしない言葉だ。

これが小説で書かれた文章ならまだ良いだろう。何故なら、小説は文章の伝わりやすさも無論大事だが、表現技法としての言葉選び、文章全体の質感も同じぐらい大事であるからだ。例えば、もしも中島敦の『山月記』で急に「なんか俺気付いたら虎になっちゃっててマジビビったわ~」などという文章が出てきたら、前後の文章とのあまりのテイストの違いにこちら側がマジビビったわ~になってしまう。つまり、小説家がわざと難解に文章を書くことや、逆にわざと易しく文章を書くことにはある種の必要性があると推察される訳だ。

しかし、上の文章aとbが、普段の生活の場において何らかの謝罪を目的として作成されたものだとすると、bのようにわざと難解な言葉を用い、衒学的に書く必要性はどこにもない。aとbの文章と比較すると文章の最大の目的である「メッセージの伝わりやすさ」という点においてbの文章はaに大きな遅れを取っていると言わざるを得ないだろう。

まとめると、文章を豪華絢爛に飾り立てるのはある時はそれが表現の美しさを醸し出すが、場合によっては「伝わりにくく読みづらい、目的を果たせぬただ難しい言葉を並べただけの文章」になってしまうということだ。注意されたし。

 

4.最後に

かなり久々のブログ更新になり、テーマも「文章をうまく書くこと」などという極めて主観の入りやすいものだったので少し疲れた。

という訳で、最後にもう一度だけ今書いているこの記事を推敲したら、晴れてブログの更新である。ではまた。

 

追記

もう一度推敲したら誤字を見つけた。推敲は重ねるに越したことはないな。

ゲームへの眼差し

俺の実家はテレビゲーム禁止の家庭だった。これは今時わりと珍しいことのようで、周囲でそういう家庭環境に育った人は現在に至るまで寡聞にして知らない。姉が小学5年生のとき、誕生日にDSを買ってほしいと父親にねだったことがあったが、とりつく島もない様子であった。

俺が小学生だった頃、クラスではモンスターハンターが大流行していた。無論俺もプレイしたかったが、買ってもらえない以上どうしようもない。仕方なく友達の家でDSを借りてプレイさせてもらっていた。買ってくれと父親におねだりすることは、何故か非常にみっともないことのように思えたのでしなかった。俺はそういうどこか「利口ぶった」小学生だった。

そんな調子だから、勿論クラスメイトのゲーム話には全くついていけない。

「この前モンハンのティガレックスが云々」

マリオカートの◯◯ステージをようやくクリアして云々」

これらの話をしているクラスメイトが非常に羨ましく思われたと同時に、強い孤立感を覚えたのは事実だ。彼らが遠くに行ってしまったような気がして、ゲームを買ってもらえない自分が少し惨めだった。

結局、父親によるこの「ゲーム禁止」は俺が高校を卒業するまで18年続いた。先日実家に帰ったら弟が居間のテレビで堂々とNintendo Switch版の「大乱闘スマッシュブラザーズ」をプレイしていて俺がぶったまげた話はまた別の機会にでもする。

中学高校の時もゲームの話は相変わらず全く分からなかったが、抑制された「ゲームをしたい」という願望が形になって現れてきていた。その頃、YouTubeニコニコ動画というものに初めて出会ったのだが、ゲームをプレイし、その実況をする動画がポツポツ投稿されていた。俺はその実況動画に追体験を求めて、親が寝静まった後一人居間のパソコンで動画を再生しニヤついていた訳である。

 

大学に入学して実家を離れ、初めて「おおっぴらに家でゲームをしていても誰にも咎められない環境」を手に入れた18歳の俺ではあったが、しかしその段階に至ると今度は、何故か「ゲームを買うこと」に仄かな罪悪感を覚えるようになった。ゲームショップに行くと、何故か悪いことをしている気分になる。これは今でも同じである。据え置き型のゲーム(この呼称が正しいかは分からない)を購入することは、俺にとっては相当な覚悟が必要な行為なのだ。あるいはDS、PSPWiiもそうだ。何故か買うのが怖い。

俺は現在ソシャゲにドハマりしてたまに課金をしたりもしている。ソシャゲというものの存在をまともに知ったのが大学生になってから、というのがその要因なのか?それともそのコンテンツが単純に好きだから?理由は今でもよくわからない。

 

ちなみに、俺が一番長くプレイしたテレビゲームは、近所の文教堂書店に体験版として置かれていたウルトラマン格闘ゲームである。俺がケムラーに苦戦していたところに突然現れて、毒ガスの来るタイミングを教えてくれたあのTシャツスポーツ刈りの少年は今どうしているだろうか。

少年から青年への目覚め─川原にて─

※この記事には性的な記述が含まれています。そのことに留意された上で、それでも良いという方のみ、以下の文章をお読み下さい。

 

小学校4年生か5年生の時だったと思うのだが、ある休日に自転車で出かけた。何か明確な目標があったわけではないが、ただ漠然と「自分が行ける限界まで行ってみたい」と考えて自転車のストッパーを蹴ったのは覚えている。

その頃住んでいた地域はそこそこな田舎で(詳細は以前書いた「あの頃」という記事参照)、当時持っていた地図帳を見ると隅っこにはダム湖が描いてあった。とりあえずそのダム湖を目標にして自転車を漕いだ。季節は初夏で、山々が緑に染まり風に揺れていた。

やがて大きな橋が架かった川に差し掛かった。当時の僕は大変な昆虫好きで、川原にはトノサマバッタを捕まえによく行っていたので、勿論この川原にも立ち寄って虫を探すことにした。よくある田舎少年の光景である。僕は嬉々として自転車を止め、川原をうろうろしていた。

 

人生というのは何が起こるか分からないものだ。その瞬間まで頭の片隅にも思わなかった物事が突然目の前に立ちふさがるなんてことはよくある。あの時の僕もそうだった。

 

川原を歩いていると、ちょうど橋の真下、影が落ちてくるところに汚い紙束が大量に落ちていた。正義感に溢れる少年だった当時の僕は、当然それを回収して自宅に持ち帰り、「燃えるゴミ」の箱にぶち込むことが責務であると考え、その紙束を拾った。勘の良い読者の方ならもう今後の展開にお気づきだろう。

見てみると、その紙束には女性の裸の写真が ”カラーで”  印刷されていた。僕は当時性的な物事への興味関心などは全くなく、また性欲の何たるかも考えたこともなかった。これが平均的なものなのか、それとも遅いものなのかはよく分からないが、そんなことは些細な問題だ。

その紙束に印刷された "カラーの" 女性の裸からなぜか目が離せなかったのは鮮明に覚えている。僕は男性であるし、身近な女性は家族しかいないから、女性の裸をまともに見るのはそれが初めての体験であったことは言うまでもない。こういう話に共通して存在する感覚だと思うのだが、僕はなぜか自分が途轍もない大罪を犯しているような気分になり、慌てて周囲を見回した。幸か不幸か、ちょうどカヌーサークルか何かの団体が川を下っているところであり、船上のおじさんとばっちり目が合ってしまった。僕は必死で「川原のゴミ拾いをしている、道徳心に溢れ身近な環境問題に通暁した少年」を演じることで平静を保った。あの時の演技は、その年の学習発表会で主役を演じた全ての同級生よりも秀でていたに違いない。

無論、その紙束(通俗的な言い方をすると捨てられたエロ本)を僕は自宅へ持って帰らなかった。川原に落ちていたゴミを置き去りにすることに対する道徳心の痛みよりも、未知の罪悪感からの逃避の方が重要な問題であったからだ。

その後、保健の教科書を僕がそれまでより少し熱心に読むようになった話や、18歳になってから暫く経った高校3年生の冬に初めてエロ本を自前で買った話はまた別の機会にでもすることにしようと思う。

素直じゃない「素直」

素直になれ?

突然だが、皆さんはこんな経験をしたことはないだろうか。

 

例えば、あなたは最近恋愛に冷めていて、しばらく恋人など別に欲しくはないなと考えている。今の生活にも満足しており恋人がいない寂しさも特筆するほどではなく、結婚についても焦る気持ちはない。

そんなある日、あなたは友人と飲みに行く。友人は、あなたに向かって「最近恋人がいないと言っているが寂しい筈だ、こんど好い人を紹介しよう」などと言い出す。あなたにとって恋愛は別に急を要する問題ではないから、そんなことはしなくていい、私は今の生活に満足しているし恋人も欲しくはないと返事をすると、友人は「そんな強がりを言わなくてもいい、本当は寂しいんだろう」「自分の気持ちに素直になりなよ」と言ってくる。あなたは何だか心にスッキリしないものを抱えたまま、結局その話を受けてしまう……。

 

このような、「強がるな」「素直になりなよ」体験(恋人に限った話ではなく、仕事や生活、人間関係など多岐に渡るだろう)をしたことがあるという人は、それなりにいるのではあるまいか。

 

 

「素直な気持ち」は必ずしも「素直な気持ち」とは捉えられない

上記の例で、もしあなたが本当は恋人がいないことが不満足で、寂しさと毎夜戦っているとしたならば、友人の言葉は悩みを吐露しやすくするものかも知れない。だが、いずれにせよこの友人がやっているのは、相手の気持ちを勝手に自分の都合のいいように解釈し、それ以外の感情の発露を一切認めず、あなた本人の気持ちを無理矢理規定して悪びれもしていない悪辣な行為である。

「素直な気持ち」をたとえ吐露したとしても、その場にいる人間にとって面白いもの、彼らの希望に沿うものでなければそれは「素直ではない」と強制的に決定され、それに言い返すと「ムキになっている」「強がっている」と捉えられ、どうあっても真面目に聞いてもらうことなどもはや望むべくもない。

やがて、あなたは「素直になってみろよ」と言われるとむしろ素直になれず、本当の気持ちがどうなのかとは関係なしに「いやはや実は恋人がいないと寂しくて…」「本当はあいつが先に昇進したのが悔しくてね…」といかにも相手にウケそうな台詞を選ぶようになる。すると相手はウンウンと頷いて満足げに「そうだろうそうだろう」と、こう来るわけだ。

 

「素直になろう」のズルさ

「素直になろう」がズルいのは、ここでたとえ「俺は素直に話したつもりだ」と言い返しても、絶対にそれを相手はまともに取り合わないところだ。「まーたそんなに強がっちゃって…」「強情なやつだなあ」なんてニヤニヤ笑いながら言う。「なぜ俺は素直ではないと断定できるのか」といくら訊いたって、こいつ強がってムキになっているぜとからかわれて終わりである。素直かそうでないかの判断基準なんていう話には、絶対に乗ってこない。ひたすら茶化してからかって、それだけだ。

結局のところ、本当にその言葉が素直なものかどうかなど何ら大事なことではなく、その場の話のタネとして面白いか、「素直になれよ」と言った人間が、そう発言した者"だけは少なくとも"楽しいかどうか、という事項のみが大事なのだ。言動が自己中心的なのはまだいいとしても、それに対する反論の一切を「強がってる断定」「茶化し」で遮断しこちらの感情を勝手に決めてかかってくる卑怯さズルさは、非常に神経に障る。「素直になれよ」と言われると、僕は内心に苛立ちを禁じ得ない。

そのうちに、「俺は素直に言ったんだけど」と返しているとやがて「なんだこいつは、異常な奴だ」といった目で見られ始める。彼らの勝手に考えた「きっとこうだろう、これなら面白かろう」に沿わない感情を持ち合わせていると、それは異常なことらしいのだ。異常なのは、相手の感情を勝手に規定してそれ以外の一切を認めず、反論も許さない人間の方だと思うのだが……。

なので、これから先「素直になれよ」と言われたら「素直な僕の感情として申し上げますが、そんなことを言われるのは不愉快なのでやめていただきたい」と返すことにしようかと思う。臆病者なので多分出来ないなこれ。