雑記帳。

色々書いていく

いつか死ぬ

当たり前だが、人は皆いつか死ぬ。僕が生きているうちに不老不死の技術でも開発されれば別だが、今のところは出来ていないようだ。ほんの少し前に自分の意志とは無関係にこの世に生を受け、そしてたちまち死んでしまう。人間とは、そのようにできている。

お金を儲けたから何だと言うのだろう。それでも死んでしまう。懸命に勉強したから何だと言うのだろう。それでも死んでしまう。恋人ができたり、結婚をしたからと言って何だと言うのだろう。それでも死んでしまう。生きているうちに何をしたって、いずれは死に、死後暫くは自分の成したことや生きていたことを覚えている人はいるだろうが、やがて誰も自分のことを覚えていない時が来るだろう。そして、いつかは地球も、太陽系も、銀河系も、この広大な宇宙も、そのすべてがなくなるであろう。

僕は、一方では「死にたい」と思いながらも、また一方では、「死にたくない」とも思っている。死んだら、生きてゆくことの苦しみからは永遠に解放されるだろうが、その代わりに、この僕という一人の人間が、永久にこの世から消え去って、二度と生き返らない。死んだらもう故郷の山河を眺めることも叶わないし、新たな本を手に取ってその世界に耽溺することもできないし、そしてこのように僕が考えたことを書き残しておくこともできない。どちらが正しい選択なのだろう。答えはまだ見つからない。

 

「未来」という言葉がある。大辞林によると、未来とは「時の経過を三つに区分した一つで、これから来る時。将来。」だそうだ。時の経過の区分とは、過去、現在、未来の三つである。

未来は、本当に来るのだろうか。これから先も、時間が進み続けると、一体だれが保証したのだろうか。例えば今この文章を書いている次の瞬間にこの宇宙にある全てのものが跡形もなく消え去ってしまう可能性が0だと、一体だれが保証できるだろうか。「未来」はそもそも、「未だ」「来ていない」のだ。先のことなど、寸毫たりとも分かるものではない。逆に、もしかしたら不老不死の技術が開発されて僕は死なないかもしれないし、地球も宇宙もなくならないかも知れない(科学的には地球の寿命はあと約何億年、太陽の寿命はあと約何億年と予測がされているらしいので可能性は限りなく低いが)。しかし、現段階に於いては、少なくとも僕がいつか死ぬのは生物の原理として絶対に避けられない宿命である。

自分がいつか死ぬという避けられない現実に絶望し、どうにかして死を殺せないかと考えたが、無駄なことだった。いくら考えたところで、僕が死ぬのは変わらない。僕だけではない。僕の家族も友人も、この文章を読んでくれている方々も、雑踏を行く人々も、例外なく皆いつか死ぬし、あらゆる物体や物質、地球、太陽、宇宙もいつかはなくなる。すべてがなくなる。

 

読者諸賢は、宇宙の広大さに思いを馳せたことはあるだろうか。夜の星空を眺めていると、あの黒洞々たる空の彼方に、遥かな宇宙が広がっているのだと、やけに感傷的な気分に駆られる。宇宙から見れば僕は、僕から見たピロリ菌にも満たないほどにちっぽけな存在で、そして長くてもあと80年、短ければ今日にでも死ぬ。全く、一体、どんなにか恐ろしいことだろう。僕のこの貧相な身体はいつか灰燼に帰し、心も、五感も、何もかもがなくなる。僕という存在の終焉が、いつか必ず訪れる。いつか誰も僕のことを知らない時代が必ず来る。そして、死んだあとどうなるのかは、誰も知らない。

書評『木橋』

今回紹介する本は、永山則夫作『木橋』である。永山則夫と言えば、かの有名な連続ピストル射殺事件を起こし1997年に刑死した元死刑囚である。逮捕当時は読み書きもままならないほどであった彼だが、獄中で勉学を重ね、自己の体験を振り返る形で文学を発表し続けた。『木橋』は、そんな彼の代表作のひとつであり、1983年にこの作品で新日本文学賞を受賞した。彼の生い立ちやその生きざまについては、堀川惠子作『永山則夫―封印された鑑定記録―』に詳しく述べられているので、そちらを参照されたし(近いうちにそちらのレビューもアップロードするつもりである)。以下にネタバレを含むので注意。

 

木橋 (河出文庫)

木橋 (河出文庫)

 

 

本作は、『木橋』『土堤』『なぜか、アバシリ』という三つの短編からなっている。本記事では、『木橋』をこの三つのうちから取り上げたい。『木橋』は、永山の自伝的小説で、彼が青森県板柳町で過ごした頃のことが書かれている。

主人公のN少年(つまり永山)は、三番目の兄が集団就職で東京へ行く前の小学校四年生の時から手伝い始めた新聞配達のアルバイトを、生活の糧としていた。当時、新聞配達をすると板柳町にあった映画館の映画をタダで見られる「パス券」を店主からもらえたのだ。N少年にとって、この「パス券」は憧憬の対象であった。なぜなら、それは小学校で推薦する映画をお金のなさが故に指を咥えて見過ごすしかないという惨めさからN少年を解放するものだったからだ。さらに、テレビのない家に住んでいたN少年は、テレビを見るために他の裕福な家へお邪魔させてもらい、厭味を言われながら30分くらいだけ見せてもらった挙句に追い出される生活を送っていたが、「パス券」はそのようなことごとにも別れを告げられるもののように思えた。

N少年は、頻繁に家出をした。二番目の兄のリンチと、三番目の兄の罵倒が原因である。二番目の兄が上京するまで、N少年の顔には痣やタンコブが絶えなかった。母は、行商から帰って来て、N少年が泣いているのを見ると、理由も訊かずに「ホレッ、まだ泣いでるじゃ!」と怒鳴った。家よりも、外の世界の方が静かに過ごすことができたのだ。N少年にとって、家は暴力と罵倒に耐え続け、ひたすら雑用を押し付けられるだけの、家族愛も何もない場所に過ぎなかった。

ある日、N少年はいつものように新聞配達へ出かける。N少年の家から新聞屋までの道のりには、小さな木橋があった。その日、街は暴風に襲われ、川は氾濫していた。木橋は今にも流されそうに、頼りなくそこに横たわっていた。

夕刊の配達を終えて、家に帰ったN少年は、木橋のことがまだ気にかかっていた。晩飯を食べ終わったN少年は、夜8時頃、木橋を見にゆく。木橋は、流れに揺られながらも、まだそこに頑張っていた。木橋の上にそそり立つ黒々とした山並み。ふもとに広がる林檎畑。林檎の木の枝は、人間の手のように見えた。「助けてよ、助けてよ」と叫んでいるように見えた。ひとり、少年はそれを視ていた……。

 

子供は親を、兄弟を選べない。愛のない家庭に育ち、ただ恐怖と絶望にのみ塗りつぶされた日々の中で、少年はいったい何を学ぶことができるというのだろう。心の中には、絶望と怨嗟が募り、いつかそれはきっと爆発する。永山のように……。

幼少期に親から無償で愛されるという経験は、何物にも代えがたい。子供は、親の愛のもとに育ち、そして次第に自立してゆく。しかし、親が子供を愛さなかったら、親が子供を放っておいたら、子供は精神的に自立することはできない。

この小説には、救いはない。N少年を愛する人は誰もいないし、N少年を守ろうとする人も、友情を分かち合おうとする子供もいない。N少年は、いつも一人だった。

『豊饒の海』の衝撃

だいぶ前にこのブログで、三島由紀夫の『豊饒の海』四部作の第一部『春の雪』を紹介した。あれから随分と長いこと経ち、四部作全てを読了したので、その衝撃的な最後について少し書きたい。以下にネタバレを多分に含むので注意。

 

天人五衰―豊饒の海・第四巻 (新潮文庫)

天人五衰―豊饒の海・第四巻 (新潮文庫)

 

 

豊饒の海』四部作は、本多繁邦という一人の男の前に現れる『春の雪』で紹介した松枝清顕の生まれ変わりたちが織り成す生と死、輪廻転生の壮大な物語である。第一部『春の雪』で現れた松枝清顕は「恋」に、第二部『奔馬』で現れる飯沼勲は「義」「使命」に、第三部『暁の寺』で現れるジン・ジャンは「肉」「欲望」にそれぞれ突き動かされ、運命という名のもとに自然につかみ出されいずれも20歳でその生を終える。たいていの読者は、ここまで読んだら「では最後の第四部で出てくるであろう生まれ変わりは、どのようなものに突き動かされ運命に翻弄されるのであろうか?」と期待するだろう(実際僕もそうだった)。しかし、第四部『天人五衰』のラストで、その全ては瓦解し、灰燼に帰する。

天人五衰』で出てくる生まれ変わり(?)は、安永透という16歳の少年である。彼の左の脇腹には、清顕にもあった三つの黒子がはっきりと見て取れた。本多は、ジン・ジャンの転生を透に賭け、彼を養子に迎えてその運命を変えるべく教育を始める。しかし――。

 

透は、本多の友人の久松慶子から、彼がなぜ本多の養子に迎えられたか、そして本多の囚われている生まれ変わりの話を全て打ち明けられる。透の、自分は密かに選ばれた人間だという矜りは、木端微塵に砕かれる。人間に例外などいないのだ。歴史に例外も存在していないのだ。

この世には幸福の特権がないように、不幸の特権もないの。悲劇もなければ、天才もいません。あなたの確信と夢の根拠は全部不合理なんです。もしこの世に生れつき別格で、特別に美しかったり、特別に悪だったり、そういうことがあれば、自然が見のがしにしておきません。そんな存在は根絶やしにして、人間にとっての手きびしい教訓にし、誰一人人間は『選ばれて』なんかこの世に生れて来はしない、ということを人間の頭に叩き込んでくれる筈ですわ。」(本文中の慶子の言葉より引用)

本多は、透が彼自身の夢見ている運命に身をまかせていたら、きっと20歳で自然に殺されると予感して、彼を手許に置いて保護したのだ。彼を「どこにでもいる普通の青年」に叩き直すことで、彼を自然と運命から守ろうとしたのだ。つまり、彼を無理やりつかみ出したものは「恋」でも「使命」でも「肉」でもなく、本多と慶子というただの二人の老人と、自分は人とは違うという透本人の根拠のない認識だけであった。そんなことを、彼の矜りが許すだろうか。

透は毒を飲んで、自殺しようとする。彼が20歳の春であった。しかし、彼は死ねなかった。盲目にはなったものの、生きたまま21歳を迎える。

そして本多は、『春の雪』で紹介した、綾倉聡子へ会いに奈良へと旅立つ。しかし本多と対面した聡子は、本多へ向けてこう言い放つ。

「その松枝清顕さんという方は、どういうお人やした?」

彼女は、清顕のことを覚えていないのではない。初めから、清顕という人間のことを知らないのだ。

僕はこの一文を読んだ瞬間、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。本多が長年にわたって囚われ続けてきた転生の物語は、そして清顕の存在は、全て幻想だったのだろうか?幻を見て生き続けた、本多の人生とは何だったのか?これまで読み進めてきた全てが音をたてて崩れ去ってゆくような、茫漠とした荒野の中に一人佇むような、果てしない虚脱感が全身を包んだ。

天人五衰』最後の部分を以下に引用して、この記事の結びにかえる。

この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。

庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。……

 

豊饒の海』完。

昭和四十五年十一月二十五日 

 

クリスマス

今日はクリスマスだ。街には人が溢れ、恋人や家族と共に暖かなひとときを過ごしているのであろう窓の灯がそこここに映る。僕にとってはあまり嬉しくない1日だ。

今年はクリスマスを一人で過ごした。家でぼんやりと天井を見つめ、本を少しだけ読み、Twitterをして、ご飯(レトルトカレー)を食べた。まだバイトや飲み会の用事でもあったら気が紛れたかも知れない。しかし生憎というか何というか、何の予定も何の出来事もないまま今日という日が終わろうとしている。生まれてから恐らく最も充実していないクリスマスだと思う。

年度が明けて、春を迎えたとき「今年のクリスマスこそは恋人と二人で過ごすんだ!」とそんな叶うわけもない決意をした記憶が朧気にあるが、見事に相変わらず恋人はいない。それどころか、家族とすらクリスマスを過ごせなかった(諸事情あって帰省のタイミングが合わなかったのだ)。まあ、これも僕が何の努力もしてこなかった結果だろう。自己責任というやつだ。

恋人と二人でクリスマスを過ごす等という甘い経験をしたことはまだないが、去年までは家族とは過ごせていた。一人きりというのは、こういう何かの記念日には頗る寂しくなるものである。ケーキはコンビニで買ってきて食べたが、食べていても無性に悲しくなるだけだった。

 

 

メリークリスマス。

海のない街で生まれ育ったせいか、海原に対する強い憧れがある。海がないと言っても、車を2時間程走らせれば北国特有のあの透明感のあまりない、青色の絵の具をそのまま絞ったような海の眺望を眼前に収めることは簡単にできてしまうのだが……。ともかく、僕の中には幼少の頃から、海への憧憬が確かに存在していた。

小学生の時分、家族旅行と銘打って泊まり掛けで海水浴へ出掛けた。8月の陽光に照らされて砂子を蒔いたように煌めく海面が、少年時代の僕の心を躍らせた。磯の香りが鼻を突き、潮風を孕んだシャツのバサバサという音に合わせて、遠くから蝉の声がこだましていた。僕の中での最初の海の記憶はそれである。

毎年夏になると、家族で海へ出掛けた。当然のことながら、そのような経緯を経て僕の中での海は容易に「夏」の枕詞たりえた。冬の海の猛々しさ、厳しさを僕は知らずに育った。それは今でも変わらない。

 

東京湾や横浜、小樽、苫小牧の港を眺めていると万里の波濤を乗り越えてやってくる船の数々は、白浪に身を委ねた鋼鉄の城のようにも見える。身近で船を見ることのない日々を送っていた僕にとっては、船というのはただそれだけで男らしさ、舶来風の(積み荷がどうこうという話ではなく船そのものが、ということ)香り、異国情緒、そして海原の彼方への憧れの象徴であった。船に乗るのが大好きで、公園にあった池のボートを父に漕いでもらうだけで喜んでいた思い出が蘇る。小学生の時に一度だけフェリーに乗った旅路なぞは、朝起きてから飯とトイレに行くとき以外はずっと船尾のデッキから海を眺めていたように記憶している。日本海の潮風を肺一杯に吸い込んで、僕はまさしく海の子になったような心持ちでいた。

小さい頃、家族旅行で沖縄へ行った。まだ春先のことであったが、もう既に海開きがされていて、エメラルドグリーンの色をした海と珊瑚礁銀シャリのような砂浜の向こうに広がっていた。地元では珊瑚などというものはテレビの向こう側でしか見たことがなかったので、幼い僕が興奮したのは仕方のないことではあるまいか。沖縄でも、フェリーの時と同じく、ホテルの近くの砂浜でひたすら海を眺めて過ごしていた。晩飯時になって、母が「部屋に戻りなさい」と呼びに来るまでずっと眺めていた。

 

『われは海の子』という童謡がある。御存知の方も多いだろう。僕はあの歌がとても好きで、今でもよく聴いている。あれを聴いていると、いつでも遥か昔の海の記憶を呼び起こすことができるのだ。山陽本線尾道駅の接近メロディとしてこの歌が使われているらしい。いつか聴きに行きたいものである。

 

来年の夏になったら、また海へ行こうと思う。

インターネット・SNSに於ける「陰キャラ」「陽キャラ」の概念についての考察

近頃Twitter2ちゃんねるを見ているとよく「陰キャ」「陽キャ」という単語を目にする。どちらも「陰キャラ」「陽キャラ」の略語であることは最早言うまでもないだろう。以前は、Twitter2ちゃんねるに於いては「リア充」という言葉が頻繁に用いられていたが、ここ数年で勢いがかなり澌尽礱磨したように感じる。そして、それを埋め合わせるかのように「陰キャラ」「陽キャラ」が取って代わったのだ。その原因、また「リア充」と「陰キャラ・陽キャラ」の本質的な違いとは何か。この二点について考察していきたい。

 

・そもそも「リア充」「陰キャラ・陽キャラ」の定義とは?

 まずは、これらの単語それぞれの定義付けを行うこととする。

始めに「リア充」。Wikipediaを参照すると、おおよそこのような記述がなされていた。以下に引用する。

 

概念自体は2005年頃に2ちゃんねるの大学生活板で成立しリアル充実組と呼ばれていたが、2006年初頭に今のリア充の形として使われ始めた。その後2007年夏頃からブログやtwitterでも流行した。(中略)

当初は、インターネット上のコミュニティに入り浸る者が、現実生活が充実していないことを自虐的に表現するための対語的造語だった。当時は友達が1人でもいればリア充とされた。その後、このニュアンスは、従来のネット文化に(触れずにいた事から)染まっていない、携帯電話を介したネットの利用者たちが流入するにつれ、彼らの恋愛や仕事の充実ぶりに対する妬みへと変化していった。

 

リア充という単語の出自は存外古いようで、今から12年前の2005年の時点では既に概念として成立し、大学生活板に於いて用いられ始めていたらしい(2005年当時の僕は2ちゃんねるを見ていなかったので実際に用いられていたかどうかに関しては追求の余地がある)。最初は比較的アンダーグラウンドな場で用いられていたが、やがてインターネットやSNSの普及、それに伴う2ちゃんねる用語の伝搬によって一般性を増したということが言えるだろう。

 

では次に「陽キャラ」「陰キャラ」の定義へ。以下にWikipedia引用。

陰キャラとは、陰気なキャラ(性格)の人のこと。陰キャラ・インキャとも。スクールカーストでは下位に属し、ともすればいじめ(ネットいじめ)の対象になりうる。 対義語として陽キャラという言葉も定着している。差別語。
「陰気なキャラ」を略して「陰キャラ」と称する。

TwitterFacebookなどのSNSを介して若年層の間で広く普及した俗語だが、出自は不明である。

 

リア充」がその人本人の実感として用いられるのに対して、「陰キャラ」は主に周囲からの評価がその基準になるという差が伺える記述である。また、「陽キャラ」は「陰キャラ」の対義語として「陰の逆なんだから陽でしょ」的な解釈のもとさらに後に誕生したということも分かる。

では、なぜ「リア充」がここ数年で「陰キャラ・陽キャラ」に取って代わられたのか。次章ではその原因について触れたい。

 

・なぜ「リア充」より「陰キャラ・陽キャラ」の方がここ数年で用いられることが増えたのか?

 前章では「リア充」と「陰キャラ・陽キャラ」の定義付けとその差の明文化を行った。次に本章では、その移り変わりの要因を探っていきたい。

前章でも触れたように、「リア充」は本人の実感、自分自身から見てどうかという「自己評価」が大きな基準である一方、「陰キャラ・陽キャラ」は主として他者からの評価がベースとなる。ここでどういう現象が生じるか。「陰キャラ・陽キャラ」が用いられる場合、他者からの評価を気にして周囲への受けを重視した行動をする、所謂承認欲求の肥大化が発生するのだ。

また、前章で引用したWikipediaの「陰キャラ」の記述にあったように、ここでは「スクールカースト」というものが重要になってくる。「リア充」が学校生活のみならず、その人の生活全般に於いて適用されるのに対して、「陰キャラ・陽キャラ」は主に学校でのその人の位置付けを決定するものとなることが分かる。

この差が意味するものは何か。それは、この10年ほどで、他者からの承認を得なければという承認願望が若年層の間でより強くなり、その結果として「周囲にウケる何か」を必死で模索しひたすら小集団の中で互いを認め合うことでその願望を満たそうとする、言ってみれば「内輪のノリ」という秩序がより強まったということだ。これが若者の行動をより最大公約数に近づけ、また小集団の中で互いを承認し合うという承認欲求の無限ループに陥らせる。これこそが「リア充」が「陰キャラ・陽キャラ」に取って代わられた要因である。

 

・「ありのままの自分」はどこか

では、周囲の受けばかりを気にして行動する者の「ありのままの自分」は一体どこにあるのだろうか。友達の間だろうか?それとも家族か?あるいはインターネット・SNS?どれも違う。

まず友達。友達という小さな人間関係の中では、互いに空気を読み合い、仲間の気に障りそうな言動を(例えそれが「ありのままの自分」らしさの発露であったとしても)極力控えるという関係性が目立つ。「友達」という立場を失い仲間はずれにされ「ぼっち」になるくらいなら、本音を表に出せなくても関係を続けようとしてしまうのだ。

次に家族。家族も友達と同様、その関係性・立場を失うことを恐れるあまり本音を表に出せないという事例を多く耳にする(僕の家庭もその傾向がある。そこまで強くはないが)。毎日接する家族という関係性であれば、その関係の破綻を恐れるのは友達よりも尚更である。

最後にインターネット・SNS。これなどはまさに承認欲求の大海のようなもので、「いかにして他人に(Twitterならフォロワー、Facebookならともだちだろうか)ウケるような投稿をして『いいね!』を貰い承認されるか」がテーマとなる承認不安社会たる現代の象徴的産物である。

そもそも、「ありのままの自分」をもし誰かに開示したとして、それを受け入れてもらえる確証はどこにあるのだろう。そう、どこにもないのだ。だからこそ人は恐れ、インスタントな承認を求め、承認不安社会が形成されるのだ。

一方では「ありのままの自分」を認められたいと切望しながら、もう一方では「ありのままの自分」を押し殺して周囲の空気に合わせその場の「ノリ」に迎合し行動をする。現代の若者の「ありのままの自分」は、一体どこにあるのだろう。惟うに、それは自己の中にしか存在し得ないものではあるまいか。本当の「ありのままの自分」を受け入れられる、認めることができるのは自分だけなのだ。

「人の気持ちになって考えなさい」。親、学校の先生、テレビに出てくる識者、ミュージシャン、etc…。皆がそう言う。いつも思う。そんなことは可能なのか。「人の気持ちを理解する」というのは、そんなに簡単なことなのか。

極論だが、例えば僕が人を殺したとする(くどいようだが無論これは例えで、実際の僕は人を殺したことはない)。その理由が、例えば「その人に長年苛められていた」とか「多額の借金をしていて、至急お金が必要だったので金持ちそうな人を殺して金品を盗もうと思った」とかならまだわかるだろう。しかし、例えば「人が血を流す姿に性的興奮を覚えるので」とか「食肉のため」となると、これを理解できるという人は一気に減るのではないか。人の気持ちを理解するならば、こういう人間の気持ちも、その人の立場に立って考えに考え抜き理解せねばならないのではあるまいか。

或いは、この文章を読んでいるあなたが誰かに苛められていたとする。あなたはその苛めている人の気持ちを理解しようと思うだろうか。その人の気持ちになって考えようとするだろうか。

人の気持ちを理解するとは、斯くも苦しく厳しいものなのだと、僕はそう思っている。ならば、本当の「ありのままの自分」を理解し受け入れられるのも、自分だけなのではないだろうか。

それはあまりに寂しいと言う人もいるかも知れない。しかし、例えそれが自分だけでも、この世界に「ありのままの自分」を受け入れ決して否定することのない人間が存在するということは、どれだけの救いになるだろうか。

あなたが空虚な承認のし合いに疲弊し、嫌気が差したとき、自分の心の中を振り返って「ありのままの自分」を受け入れてみて欲しい。きっと、少しは救われる気分になる筈だから。

自信

自信とは何か。「自分を信ずる」と書いて自信である。僕は自分を信じていないので、当然自信もない。自己評価が低いと周囲の人には言われるが、僕は自分の自己評価を正確なものだと思っている。でもそこにも自信はないので、自己評価よりも他人からの評価に言動を大きく左右される傾向が非常に強い。芯のない人間だなぁと自分でも思う。

自分を信ずるにはどうすればいいのか。惟うに、過去の人生に於ける自己を肯定しうる体験の積み重ねの結果として顕在化してくるのが「自信」というものではあるまいか。何でもいい、例えば勉強ができて褒められたとか運動が得意で褒められたとか、そんな些細なことでいい。そういったことの蓄積がやがて自信のある人格の形成を促す。つまり、自信をつけるには周囲の人の協力が不可欠である。

僕は親からあまり褒められない子供だった(父は仕事で単身赴任していてあまり家におらず、母は弟ばかり褒めていた)。やがて小学校に入った。学校の試験ではいつもトップクラスだったが、母は「良くできたね、でも…」と必ず何処かにケチを付けたがった。母がたまに僕を褒めるときは、必ずその後に「でも」が付いた。弟は手放しで褒められていた。テストの点数は僕より30点から40点も低いのに。

小学校では虐められた。曰く、「勉強ばかりしていて調子に乗っているのに痩せていて少しからかうとすぐ泣くから」だそうだ。成人式で僕を虐めていた奴らに会った。彼らは全く覚えていないようだった。

不思議なもので、否定され続けると最初は「なぜ俺が」と思っていても徐々に「俺が悪いのかな…」と考えるようになる。同じことを繰り返し説かれるとやがてその思考に自分が染められてゆくのだ。洗脳と同じである。

そうして、自分を信じられなくなる。蓄積がないのだから、当然だ。大きくなってから慌てて成功体験を積み重ねても、幼少期程の効果はないように感じる。

そして気が付けば大学受験に失敗し、留年し、毎日を怠惰に過ごし、将来の展望もなく、何も産まず、何も積み重ねず、ただ時間を浪費して日々が過ぎていった。自信など、もう心のどこにもない。

自信のなさは、態度にも出る。普段僕と接している人なら何となく分かるかとは思うが、常に周囲の顔色を窺って、オドオドとどこか所在なげな態度だ。胸を張って歩くことができない。いつも猫背で、光のない目をしている。自分はこの世界に必要とされていないような気がする。森山直太朗ではないが、「恋人と親は悲しむが3日も経てば元通り」だ。僕に恋人はいないので、僕が死んだとしてもせいぜい悲しむのは親と友人数名くらいだろう。

自信をつけようと、色々なことをした。ピアノを習った。勉強も頑張った。大学では友達を沢山作ろうとした。結果としてピアノは才能の違いを周囲に見せつけられ、勉強では受験に失敗、友達と思っていた人はこんな僕を見て離れていった。

 

僕は、自分を信じることができない。