雑記帳。

色々書いていく

海のない街で生まれ育ったせいか、海原に対する強い憧れがある。海がないと言っても、車を2時間程走らせれば北国特有のあの透明感のあまりない、青色の絵の具をそのまま絞ったような海の眺望を眼前に収めることは簡単にできてしまうのだが……。ともかく、僕の中には幼少の頃から、海への憧憬が確かに存在していた。

小学生の時分、家族旅行と銘打って泊まり掛けで海水浴へ出掛けた。8月の陽光に照らされて砂子を蒔いたように煌めく海面が、少年時代の僕の心を躍らせた。磯の香りが鼻を突き、潮風を孕んだシャツのバサバサという音に合わせて、遠くから蝉の声がこだましていた。僕の中での最初の海の記憶はそれである。

毎年夏になると、家族で海へ出掛けた。当然のことながら、そのような経緯を経て僕の中での海は容易に「夏」の枕詞たりえた。冬の海の猛々しさ、厳しさを僕は知らずに育った。それは今でも変わらない。

 

東京湾や横浜、小樽、苫小牧の港を眺めていると万里の波濤を乗り越えてやってくる船の数々は、白浪に身を委ねた鋼鉄の城のようにも見える。身近で船を見ることのない日々を送っていた僕にとっては、船というのはただそれだけで男らしさ、舶来風の(積み荷がどうこうという話ではなく船そのものが、ということ)香り、異国情緒、そして海原の彼方への憧れの象徴であった。船に乗るのが大好きで、公園にあった池のボートを父に漕いでもらうだけで喜んでいた思い出が蘇る。小学生の時に一度だけフェリーに乗った旅路なぞは、朝起きてから飯とトイレに行くとき以外はずっと船尾のデッキから海を眺めていたように記憶している。日本海の潮風を肺一杯に吸い込んで、僕はまさしく海の子になったような心持ちでいた。

小さい頃、家族旅行で沖縄へ行った。まだ春先のことであったが、もう既に海開きがされていて、エメラルドグリーンの色をした海と珊瑚礁銀シャリのような砂浜の向こうに広がっていた。地元では珊瑚などというものはテレビの向こう側でしか見たことがなかったので、幼い僕が興奮したのは仕方のないことではあるまいか。沖縄でも、フェリーの時と同じく、ホテルの近くの砂浜でひたすら海を眺めて過ごしていた。晩飯時になって、母が「部屋に戻りなさい」と呼びに来るまでずっと眺めていた。

 

『われは海の子』という童謡がある。御存知の方も多いだろう。僕はあの歌がとても好きで、今でもよく聴いている。あれを聴いていると、いつでも遥か昔の海の記憶を呼び起こすことができるのだ。山陽本線尾道駅の接近メロディとしてこの歌が使われているらしい。いつか聴きに行きたいものである。

 

来年の夏になったら、また海へ行こうと思う。

インターネット・SNSに於ける「陰キャラ」「陽キャラ」の概念についての考察

近頃Twitter2ちゃんねるを見ているとよく「陰キャ」「陽キャ」という単語を目にする。どちらも「陰キャラ」「陽キャラ」の略語であることは最早言うまでもないだろう。以前は、Twitter2ちゃんねるに於いては「リア充」という言葉が頻繁に用いられていたが、ここ数年で勢いがかなり澌尽礱磨したように感じる。そして、それを埋め合わせるかのように「陰キャラ」「陽キャラ」が取って代わったのだ。その原因、また「リア充」と「陰キャラ・陽キャラ」の本質的な違いとは何か。この二点について考察していきたい。

 

・そもそも「リア充」「陰キャラ・陽キャラ」の定義とは?

 まずは、これらの単語それぞれの定義付けを行うこととする。

始めに「リア充」。Wikipediaを参照すると、おおよそこのような記述がなされていた。以下に引用する。

 

概念自体は2005年頃に2ちゃんねるの大学生活板で成立しリアル充実組と呼ばれていたが、2006年初頭に今のリア充の形として使われ始めた。その後2007年夏頃からブログやtwitterでも流行した。(中略)

当初は、インターネット上のコミュニティに入り浸る者が、現実生活が充実していないことを自虐的に表現するための対語的造語だった。当時は友達が1人でもいればリア充とされた。その後、このニュアンスは、従来のネット文化に(触れずにいた事から)染まっていない、携帯電話を介したネットの利用者たちが流入するにつれ、彼らの恋愛や仕事の充実ぶりに対する妬みへと変化していった。

 

リア充という単語の出自は存外古いようで、今から12年前の2005年の時点では既に概念として成立し、大学生活板に於いて用いられ始めていたらしい(2005年当時の僕は2ちゃんねるを見ていなかったので実際に用いられていたかどうかに関しては追求の余地がある)。最初は比較的アンダーグラウンドな場で用いられていたが、やがてインターネットやSNSの普及、それに伴う2ちゃんねる用語の伝搬によって一般性を増したということが言えるだろう。

 

では次に「陽キャラ」「陰キャラ」の定義へ。以下にWikipedia引用。

陰キャラとは、陰気なキャラ(性格)の人のこと。陰キャラ・インキャとも。スクールカーストでは下位に属し、ともすればいじめ(ネットいじめ)の対象になりうる。 対義語として陽キャラという言葉も定着している。差別語。
「陰気なキャラ」を略して「陰キャラ」と称する。

TwitterFacebookなどのSNSを介して若年層の間で広く普及した俗語だが、出自は不明である。

 

リア充」がその人本人の実感として用いられるのに対して、「陰キャラ」は主に周囲からの評価がその基準になるという差が伺える記述である。また、「陽キャラ」は「陰キャラ」の対義語として「陰の逆なんだから陽でしょ」的な解釈のもとさらに後に誕生したということも分かる。

では、なぜ「リア充」がここ数年で「陰キャラ・陽キャラ」に取って代わられたのか。次章ではその原因について触れたい。

 

・なぜ「リア充」より「陰キャラ・陽キャラ」の方がここ数年で用いられることが増えたのか?

 前章では「リア充」と「陰キャラ・陽キャラ」の定義付けとその差の明文化を行った。次に本章では、その移り変わりの要因を探っていきたい。

前章でも触れたように、「リア充」は本人の実感、自分自身から見てどうかという「自己評価」が大きな基準である一方、「陰キャラ・陽キャラ」は主として他者からの評価がベースとなる。ここでどういう現象が生じるか。「陰キャラ・陽キャラ」が用いられる場合、他者からの評価を気にして周囲への受けを重視した行動をする、所謂承認欲求の肥大化が発生するのだ。

また、前章で引用したWikipediaの「陰キャラ」の記述にあったように、ここでは「スクールカースト」というものが重要になってくる。「リア充」が学校生活のみならず、その人の生活全般に於いて適用されるのに対して、「陰キャラ・陽キャラ」は主に学校でのその人の位置付けを決定するものとなることが分かる。

この差が意味するものは何か。それは、この10年ほどで、他者からの承認を得なければという承認願望が若年層の間でより強くなり、その結果として「周囲にウケる何か」を必死で模索しひたすら小集団の中で互いを認め合うことでその願望を満たそうとする、言ってみれば「内輪のノリ」という秩序がより強まったということだ。これが若者の行動をより最大公約数に近づけ、また小集団の中で互いを承認し合うという承認欲求の無限ループに陥らせる。これこそが「リア充」が「陰キャラ・陽キャラ」に取って代わられた要因である。

 

・「ありのままの自分」はどこか

では、周囲の受けばかりを気にして行動する者の「ありのままの自分」は一体どこにあるのだろうか。友達の間だろうか?それとも家族か?あるいはインターネット・SNS?どれも違う。

まず友達。友達という小さな人間関係の中では、互いに空気を読み合い、仲間の気に障りそうな言動を(例えそれが「ありのままの自分」らしさの発露であったとしても)極力控えるという関係性が目立つ。「友達」という立場を失い仲間はずれにされ「ぼっち」になるくらいなら、本音を表に出せなくても関係を続けようとしてしまうのだ。

次に家族。家族も友達と同様、その関係性・立場を失うことを恐れるあまり本音を表に出せないという事例を多く耳にする(僕の家庭もその傾向がある。そこまで強くはないが)。毎日接する家族という関係性であれば、その関係の破綻を恐れるのは友達よりも尚更である。

最後にインターネット・SNS。これなどはまさに承認欲求の大海のようなもので、「いかにして他人に(Twitterならフォロワー、Facebookならともだちだろうか)ウケるような投稿をして『いいね!』を貰い承認されるか」がテーマとなる承認不安社会たる現代の象徴的産物である。

そもそも、「ありのままの自分」をもし誰かに開示したとして、それを受け入れてもらえる確証はどこにあるのだろう。そう、どこにもないのだ。だからこそ人は恐れ、インスタントな承認を求め、承認不安社会が形成されるのだ。

一方では「ありのままの自分」を認められたいと切望しながら、もう一方では「ありのままの自分」を押し殺して周囲の空気に合わせその場の「ノリ」に迎合し行動をする。現代の若者の「ありのままの自分」は、一体どこにあるのだろう。惟うに、それは自己の中にしか存在し得ないものではあるまいか。本当の「ありのままの自分」を受け入れられる、認めることができるのは自分だけなのだ。

「人の気持ちになって考えなさい」。親、学校の先生、テレビに出てくる識者、ミュージシャン、etc…。皆がそう言う。いつも思う。そんなことは可能なのか。「人の気持ちを理解する」というのは、そんなに簡単なことなのか。

極論だが、例えば僕が人を殺したとする(くどいようだが無論これは例えで、実際の僕は人を殺したことはない)。その理由が、例えば「その人に長年苛められていた」とか「多額の借金をしていて、至急お金が必要だったので金持ちそうな人を殺して金品を盗もうと思った」とかならまだわかるだろう。しかし、例えば「人が血を流す姿に性的興奮を覚えるので」とか「食肉のため」となると、これを理解できるという人は一気に減るのではないか。人の気持ちを理解するならば、こういう人間の気持ちも、その人の立場に立って考えに考え抜き理解せねばならないのではあるまいか。

或いは、この文章を読んでいるあなたが誰かに苛められていたとする。あなたはその苛めている人の気持ちを理解しようと思うだろうか。その人の気持ちになって考えようとするだろうか。

人の気持ちを理解するとは、斯くも苦しく厳しいものなのだと、僕はそう思っている。ならば、本当の「ありのままの自分」を理解し受け入れられるのも、自分だけなのではないだろうか。

それはあまりに寂しいと言う人もいるかも知れない。しかし、例えそれが自分だけでも、この世界に「ありのままの自分」を受け入れ決して否定することのない人間が存在するということは、どれだけの救いになるだろうか。

あなたが空虚な承認のし合いに疲弊し、嫌気が差したとき、自分の心の中を振り返って「ありのままの自分」を受け入れてみて欲しい。きっと、少しは救われる気分になる筈だから。

自信

自信とは何か。「自分を信ずる」と書いて自信である。僕は自分を信じていないので、当然自信もない。自己評価が低いと周囲の人には言われるが、僕は自分の自己評価を正確なものだと思っている。でもそこにも自信はないので、自己評価よりも他人からの評価に言動を大きく左右される傾向が非常に強い。芯のない人間だなぁと自分でも思う。

自分を信ずるにはどうすればいいのか。惟うに、過去の人生に於ける自己を肯定しうる体験の積み重ねの結果として顕在化してくるのが「自信」というものではあるまいか。何でもいい、例えば勉強ができて褒められたとか運動が得意で褒められたとか、そんな些細なことでいい。そういったことの蓄積がやがて自信のある人格の形成を促す。つまり、自信をつけるには周囲の人の協力が不可欠である。

僕は親からあまり褒められない子供だった(父は仕事で単身赴任していてあまり家におらず、母は弟ばかり褒めていた)。やがて小学校に入った。学校の試験ではいつもトップクラスだったが、母は「良くできたね、でも…」と必ず何処かにケチを付けたがった。母がたまに僕を褒めるときは、必ずその後に「でも」が付いた。弟は手放しで褒められていた。テストの点数は僕より30点から40点も低いのに。

小学校では虐められた。曰く、「勉強ばかりしていて調子に乗っているのに痩せていて少しからかうとすぐ泣くから」だそうだ。成人式で僕を虐めていた奴らに会った。彼らは全く覚えていないようだった。

不思議なもので、否定され続けると最初は「なぜ俺が」と思っていても徐々に「俺が悪いのかな…」と考えるようになる。同じことを繰り返し説かれるとやがてその思考に自分が染められてゆくのだ。洗脳と同じである。

そうして、自分を信じられなくなる。蓄積がないのだから、当然だ。大きくなってから慌てて成功体験を積み重ねても、幼少期程の効果はないように感じる。

そして気が付けば大学受験に失敗し、留年し、毎日を怠惰に過ごし、将来の展望もなく、何も産まず、何も積み重ねず、ただ時間を浪費して日々が過ぎていった。自信など、もう心のどこにもない。

自信のなさは、態度にも出る。普段僕と接している人なら何となく分かるかとは思うが、常に周囲の顔色を窺って、オドオドとどこか所在なげな態度だ。胸を張って歩くことができない。いつも猫背で、光のない目をしている。自分はこの世界に必要とされていないような気がする。森山直太朗ではないが、「恋人と親は悲しむが3日も経てば元通り」だ。僕に恋人はいないので、僕が死んだとしてもせいぜい悲しむのは親と友人数名くらいだろう。

自信をつけようと、色々なことをした。ピアノを習った。勉強も頑張った。大学では友達を沢山作ろうとした。結果としてピアノは才能の違いを周囲に見せつけられ、勉強では受験に失敗、友達と思っていた人はこんな僕を見て離れていった。

 

僕は、自分を信じることができない。

両親と家庭環境

これまでこのブログでは僕の考えたことや趣味のことについてのみ語り、僕自身のことについてはあまり書かないことにしていた。しかし今回、僕の家庭環境について少し書いてみる。僕の現在の性格を形成し、更には病を発症するに至った上で、極めて大事な要素の一つだと思うから。

僕は、北海道の片田舎で高校を出るまで生まれ育った。父は仕事で家にいないことが多く(特に単身赴任してからはそれが増えた)、幼少の頃から家庭では母と接する機会の方がかなり多かったように記憶している。兄弟は僕を含めて3人いて、僕は中間子だった。

中間子という人種にありがちな傾向として「人の顔色を窺う」というものがある。僕もこの傾向は非常に強い。中間子として生まれたことに加えて、両親の教育方針が多分に影響していると考えている。以下にその内容を書いていく(ほぼ愚痴のようなものになると思われるので、見るに堪えない方はブラウザを閉じることを推奨する)。

僕の両親は、教育方針というか子供への係わり方が父と母で全く異なっていた。父は何をするにしても「お前の好きなようにやりなさい」といった感じで、放任主義の人だった。僕がピアノを習いたいと言った幼稚園児の時も、この高校を受けたいと言った中学3年の時も、この大学を受けたいと言った高校3年の時も、大学を休学したいと言った時も、父の態度は一貫して「お前がそうしたいのなら、好きなようにしなさい。金は私が何とかするから」といったものであった。その態度が変化したことは、息子21年目に突入した今まで一度とてない。

母は反対に、とても過保護で過干渉な人だった。何をするにしても僕のやることにいちいち口出しをし、何かにつけ僕のことを心配しては涙を流していた。僕の精神的薄弱さ、女性に対する漠然とした苦手意識は、主に母によって形成されたと言ってもいいと思う。

私事ながら少し前に21歳になったのだが、母は息子がこの歳になっても相変わらず何やかやと干渉してくる。子離れが出来ていないのだ。父は単身赴任中、姉も社会人になり家を出て、実家に普段母と弟しかいないともなれば、寂しさを覚える気持ちも分からなくはない(弟は部活が忙しく帰ってくるとすぐ寝てしまう)。しかし、もうとっくに中年を越えたのだから、いい加減に子離れして精神的に自立してほしいと思うのは僕が間違っているのだろうか。

加えて母は、ややヒステリックな性格をしていた(その影響を受けたのか、姉もヒステリーを起こすことがたまにある)。何かにつけては涙を流して怒り、僕や他の兄弟をそれぞれ比較して粗捜しをすることがあった。兄弟のいる子供にとって、比較されることほどの苦痛はない。成長するに従って、僕は母のことを内心苦々しく、また鬱陶しく思うようになっていった。

僕が高校3年の時の話である。僕は当然ながら大学入試へ向けた勉強に追われる日々を送っていた。そんな時期に、母と姉が喧嘩を始めてしまったことがある(原因は些細な行き違いで、本当に生産性のないどうでもいい内容だった)。晩秋から冬にかけてのことだが、毎日姉が帰ってくると怒号が飛び交い、一頻り怒鳴り合いが終わると母は僕の部屋へ必ずやってきて、延々と愚痴を言った。父が家にいるときは父に愚痴っていたが、普段の愚痴を言う相手は基本的に僕だった。恐らく家庭内の男性で父の次に年嵩だからという単純な理由だろう。しかし、勉強続きでストレスを溜めていた当時の僕には耐えがたかった。自分を育ててきた母に目の前で「母さん疲れた、もう子育てなんかやめちゃおうかしら」だの「私の育て方が間違ってたのかしら」だの言われたら流石に嫌気が差す。まるで僕や弟まで間違った育て方をされたような言い方ではないか。しかも子育てをやめたいとまで言う。僕は別に母を恨んではいないし、今でも実家に帰れば普通に会話や食事はする。しかし、この一件だけは未だに許すことは出来ない。

一度母に「そんなに嫌なら家から出ていけばいいだろ」と言ったことがある。案の定だが、母は泣きながら怒った。「あんたは私がどれだけ毎日苦労して家事と子育てをしてるか分からないの!?そんなことを言う子供に育てた覚えはありません!」みたいなことを言われた記憶がある。育児放棄願望とも取れる愚痴を聞くのが子供の義務なら、僕は息子なんかやりたくない。

今はだいぶ家庭環境も落ち着いて、普段は静かな家になったらしい(実家にいる弟曰く)。僕が帰省したときも、母はあの頃よりは落ち着いた様子だった。過干渉なのは相変わらずだが……。僕が東京にいるときも、本当にどうでもいい内容のLINEを送ってきたり、いちいち食事はきちんと取っているのか、もっと頻繁に連絡を寄越しなさい、心配だから就職はこっちでしなさいだの言ってくる。僕は半分無視している。就職もたぶん東京ですると思う。

生まれてから21年間、全く教育方針の違う両親のもとで育ち、双方の顔色を窺いながら波風を立てぬよう生活し、母からの過干渉と散々な愚痴やヒステリーの数々を受けた僕が、神経質で人の顔色を窺ってばかりいる気弱な性格になるのは無理からぬことではあるまいか(こういう言い方をすると親に責任を転嫁しているようで何だか嫌だが)。

長々と書いたが要するに何が言いたいかというと、子育てをするときは両親で教育方針や意見を統一すること、子供に愚痴らないこと、育児放棄を脅しにしないこと、干渉しすぎないことが大事だということである。将来、皆さんが親になったとき、僕のような醜い子供を育ててしまうことがないよう願う。

大学で留年する人の特徴

大学で留年する人には、幾つかの共通点が見受けられるように感じる。一留年生として、その特徴を僕自身の経験と僕の周囲の留年生に見られる傾向を基に何点か列挙してみたいと思う(勿論、全ての留年生に対してこれから述べる特徴が当てはまるとは限らない。留年事情は人それぞれだ)。これを読んだ1回生、2回生の後輩たちが僕のようにならない為の参考にしてもらえたら幸いだ。

因みに僕の留年理由は期間不足である。単位取得状況もあまり芳しくはないけれど……。

 

1、極端にポジティブか極端にネガティブ

留年生の特徴としてまず挙げられるのは、性格面に於いて、極端にポジティブか若しくは極端にネガティブのどちらかである場合が殆どだということである。因みに僕は後者だ。

まずは前者について考察してみる。ポジティブの度合いが強いのは悪いことでは決してないのだが、それが良くない方向へ向かうと単位が取得出来るかどうか怪しい科目に対して「まあ、来年に回せば何とかなるでしょ!」という結論に達し、単位を取ることを諦めて来年度の再履修に回してしまうという傾向が散見される。これを積み重ねていくうちに気が付いたら再履修の嵐に飲み込まれ留年、というケースが前者のテンプレートと言えよう。恐ろしい人になると、「大学には8年までいられるんだから折角の学生時代を延長して楽しまない手はないでしょ!」等と言い出す。

一方、後者についてはどうか。極端にネガティブな性格をしていると、適応障害鬱病等の精神疾患を発症し大学へ行けなくなるという状態に陥る場合が往々にしてある(僕はこのパターン)。また、そこまではいかなくてもネガティブな性格のせいで「どうせ単位なんか取れない」「どうせ進級できない」という思考へ囚われがちだ。何もかもが嫌になっているのに、どうして大学の講義に集中して試験へ臨み単位を取得することが出来よう。また、このタイプにありがちなのが、コミュニケーションが苦手で友達がなかなか出来ず、過去問や楽単情報、欠席した時配られたプリント等を手に入れられないというパターンだ。更に、友達がいないという状態はネガティブ思考に拍車をかけ、周囲からの肯定を得られずますます自己否定感を募らせより抑うつ状態へ陥っていくという悪いループを描きやすい。こうなるともう止まらない。ネガティブ思考に支配され、周囲へのコンプレックスを募らせ続けやがて大学へ行けなくなる。

 

2、朝に弱い

留年生で朝に強い人は少なくとも僕は見たことがない。だいたいが起きるのが苦手で、講義を寝過ごしてしまいそのまま出席点で落とす、或いは出席していないので授業内容への理解・関心が深まらないためやる気が出ずやがてその講義へ全く出なくなるというケースが多いように見受けられる。目覚まし時計を多めにセットする等して対策しよう。

 

3、独り暮らし

やはり親の目というのは偉大である。実家暮らしの場合、何だかんだ言っても親が起こしてくれたり色々悩みを聞いてくれる場合が多いため、精神的支柱、更には生活を律する為の監視役として親が機能しその結果自身の心身をある程度健康な状態で維持することが可能である(よっぽど毎晩遊び歩いてる場合やネグレクト家庭等は別だが)。他方、独り暮らしの場合、遠方に住んでいる親を頼ることはなかなか出来ない。更に朝起こしてくれる人もいない。そして家事は全て自分でやらねばならない。この差は非常に大きいだろう。

 

4、直前にならないとエンジンがかからない(若しくは直前になってもエンジンがかからない)

普通の大学生は試験が始まる前から1週間の間に少しでも勉強の時間を設け、講義内容への理解を深め試験への準備をしている(らしい。僕はそうではないのであまり確かなことは言えない)。留年生は、試験直前になって初めて自身の不勉強に気付いて焦りだし、慌てて一夜漬けで試験に臨むことが多い。その結末は読者諸賢も想像に難くないだろう。試験の直前やレポートの提出期限前日になって慌てているタイプの人は当然の帰結ながら単位を落とし、やがて留年へと引き込まれやすい。

 

5、サークルかバイトが忙しい

これは僕には一切当てはまらないので周囲の人から仄聞した話を基にして書く。サークルやバイトが忙しい、或いは充実していると、ついついそちらへばかりかまけてしまい勉強が疎かになってしまうというのはよく耳にする話だ。その結果準備不足のまま試験へと臨み、勿論単位を落とす。その先へ待っているのは留年の二文字である。

 

他にも思い付くものは幾つかあるが、冗長になりそうなのでこの辺にしておく。留年は決して他人事ではない。今これを読んでくれた読者諸賢にも、可能性は充分にあるのだ。大学の試験は情報をより多く手に入れ、かつ講義内容をきちんと理解し勉強した人間こそが突破できる。読者諸賢は本記事で列挙した項目に当てはまらないよう気を付けて、充実した大学生活を送ってほしいと切に願う。

生きづらさ

自分の抱えてる生きづらさが最近ますます存在感を増してきている。生きるためのあらゆることが煩わしく、何もしたくない。大学にもあまり行っていないし、家でも何もせずにぼんやりしていることが多い。このままだと進級が危ぶまれるので、7月に入ったら気持ちを入れ替えて頑張ろうと思っていたのに、今日も自主全休してしまった。卒業できるだろうか……。

自分が今何のために生きているのかが分からない。強いて言うならば、今まで莫大なお金を俺にかけて育ててくれた両親の恩に報いるためだろうか(ということにしておく)。両親には感謝しているが、どうもその恩には仇を以て返す結果になってしまいそうで申し訳ない気持ちで一杯だ。

大学へ向かう時、家へ帰る時、ふと「今線路に飛び込んで電車に跳ねられたら明日から苦しまずに済むのだろうか」という考えが頭をよぎる。幸か不幸かまだ実行には移していないが……。死んだら実家のある街へ帰ってそこの土の中で静かに眠れると思うと、何やら甘美な響きだ。

何事にも過敏な自分の性向が嫌になる。小さなこと(だと周囲の友人には言われる)でずっとクヨクヨ悩み、考え込み、そしてまた自分を否定する。その繰り返しだ。もう少し、良い意味で馬鹿に(つまり、些細な物事は気にしない性格ということ)生まれていたらもっと楽しく人生を謳歌できたのだろうか……。

人生に意味のないことなんてない、という言葉を聞いたことがある。俺が今こうして鬱に苦しんでいることも、何か意味があって神様から与えられた使命なのだろうか。それも分からない。

人生が、仕事が、学業が、人間関係が、思うようにいかないなぁと満たされない気持ちを抱き続けていると、概ねその気持ちは二つの方向へ向かうように思われる。一つは「~できないのは、私のせいだ」と内罰的になるタイプで、もう一つは「~できないのは、この社会が、国が、自分ではない誰かが悪い」と他者へその原因を求めるタイプだ。前者は鬱になりやすい典型例と言えると思う。後者は、ともすれば社会への攻撃(通り魔・大量殺人など)へと向かいやすい危険さを孕んでいる。大事なのは、満たされない気持ちを抱いたときに「まあ、いいか」と上手く諦めることなのではないだろうか(しかしこれが非常に難しいのである。俺も一向にできるようにならず相変わらず苦しんでいる)。生きづらさを上手く解消できる人は、そういった諦め方がしっかりできている人なのだろうと思う。

俺も色んな事を諦めて過ごせたなら、もう少し楽になるのだろうか。

ピアノのクラシック音楽を聴こう

6歳から17歳までピアノを習っていたので、ピアノの奏でるあの音が耳に馴染み深くてとても好きだ。大学受験を機に教室へ通うのはやめてしまったが、今でも実家へ帰ったときは暇を見つけて色々弾いてみている。本当は東京にいるときも弾きたいのだが、今住んでいるアパートが楽器禁止なのと、単純にピアノを買えるような金と場所の余裕がなかったので諦めた。ピアノを持っている友人がいたときは時々彼の家へ行って弾かせてもらっていたが、その友人とは色々あって会えなくなってしまったので今はそれも叶わなくなった(喧嘩したとかではないです)。

 

話がずれた。ピアノの話に戻す。好きな作曲家はベタなところだがドビュッシー、リスト、ショパンあたりだろうか。特にドビュッシーは良い。少し弾きにくいけど……。

代表的な2曲を紹介する。『月の光』と『アラベスク第1番』だ。


月の光 ドビュッシー


ドビュッシー-アラベスク第1番 Debussy:ARABESQUE No.1

どちらもこの艶やかな音色が何とも言えぬ心地好さだ。僕もこんな風に弾けたらなぁと思ってどちらの曲もトライしてみたのだが、なかなか上手く弾きこなせず苦労した。

『月の光』は僕の母親が好きな曲だったので小さい頃からよく聴かされた。個人的には転調したのが元に戻る直前の畳み掛けるような連打が一番好きな箇所だ。同時に最も弾きづらい箇所でもあるが……。

アラベスク第1番』は序盤の右手と左手が違ったリズムを刻む箇所がきらびやかで耳に心地好い。どうもドビュッシーはこういう左右の手でテンポをずらす作曲が好きなようだ

どちらの曲も幻想的な雰囲気が特徴で、深夜や明け方に聴くと特に涼やかな心持ちになれる。

 

リストの曲で一番好きなのは、やはり『愛の夢第3番』である。これはリストらしく、非常に難易度の高い技巧を要する曲だ。僕もそれなりに弾けるようになるまで半年以上かかった

下の動画を見てもらえればお分かりいただけるかと思うが、サビの部分の激しい手の動きが非常に難しい。だが同時に一番の聴かせどころでもあるのでここは気合いが入る。曲のタイトル通りの激しく、情熱的な愛の表現は聴く者を魅了してやまない。


Artur Rubinstein plays Liebestraum nº3 Liszt (HQ - High Quality)

 

続いてショパン。はじめに『夜想曲第2番』を紹介する。ショパン夜想曲といえばこれ、といった感じの曲だが何度聴いても良い。同じような旋律の繰り返しで曲が構成されているので、ともすればやや単調に聞こえるかもしれない。しかし、それを補って余りあるほどの音色の甘やかさ、響きの格調高さが僕はとても好きだ。最後のトリルがどうしても弾けなくて涙に暮れたのはご愛敬。


ショパン夜想曲第2番Op9-2

続いて、かの有名な『別れの曲』だ。正確には『練習曲作品10第3番』というタイトルである。この曲、実は序盤の静かな旋律からは想像もできないほどの難易度を誇っているのだ。全音ピアノピースの難易度ランキングではF(上級上)に位置付けられている。僕も序盤を少し弾いただけで諦めた

ショパン自身が「一生のうちに二度とこんなに美しい旋律を見つけることはできないだろう」と語ったほど素晴らしい旋律の照応を持ち合わせた曲で、中盤部の激情的な表現から静かなラストへの移り変わりは、そこはかとないノスタルジアを我々に抱かせる。


ショパン 別れの曲

 

クラシック音楽と聞くとやや敷居が高く感じられる人もいるかも知れない。しかし決してそんなことはない。ピアノの美しい音色はいつも我々を癒してくれる。今回紹介し切れなかった曲でも、良いものはたくさんある。読者諸賢も、是非とも「これは!」と感ずるものがある曲を見つけてほしいと、一ピアノ好きとして切に願う。