雑記帳。

色々書いていく

方言

方言。地方出身でその辺色々悩んだという方もいるだろう。僕も頻度は高くないが、たまに指摘される。「~だべや」「~しょや」「~だべなぁ」「したっけさ」等の接尾語や接頭語は癖でついつい使ってしまうことが多い。また、命令形も例えば「やめろ」→「やめれ」のように、本来最後の音がオ段で終わる筈のところでも、エ段で終わる。他には、有名なところで「なまら」も使いがちだ。あとは「コーヒー」や「幼稚園」のイントネーションが変らしい。

 

北海道弁

↑ーヒー↓

↑うちえん↓

標準語

コ↓ー↓ー

よ↓う↑えん

 

こんな感じの違いがあるようだ(太字部分はアクセントが置かれるところ)。尤も、僕が住んでいた地域はさほど訛りが強くない、いやむしろ弱い部類なので明確に方言が他者に認識されることは頻繁ではない。

 

 

自己紹介したとき、「方言喋ってみて!」と言われるのが甚だ苦痛である。別に方言を喋る人間は面白い鳴き声を上げる珍獣などではないし、そもそも日常会話の中で自然に出るのがその人本来の言葉であるのに、急に喋れと言われても困る。喋ってみてと言われると、見世物にされているような気分で不愉快だ。

以前、関西出身の人にそんな話をしたら「上京してから関西出身って言うと『ボケてみて!』だの『面白い話して!』だの言われてめちゃくちゃ迷惑だ」みたいなことを言われた。確かに、関西人だからというだけの理由で全員吉本の芸人さんみたいにボケたり突っ込んだりすぐさまできるわけでもないだろうし、面白い話がスラスラ出てくる人もいればそうではない人もいるだろう。

こういう話をするとたまに「田舎コンプ丸出しじゃん、キモいな」みたいな指摘をする人がいる。言っておきたいのは、僕が不愉快に思っているのは見せ物小屋の珍獣を見るような感覚で方言を喋らせようとする行為であって、方言を喋ること自体は別に何とも思っていない。小さい頃からずっと使ってるんだから、今更完全には抜けないのだ。僕と接することがある人だと、もしかしたらたまに「こいつなんか変な言葉使ってるな」といった感覚があるかもしれない。別にそれはいいと思う。その人と僕は生まれた地域も環境も違うのだから、むしろそういう感覚を覚えて当然だろう。

そもそも突然「方言喋ってみて!」と言われても、例文や台本みたいなものもなしにいきなり心の準備もなくフリートークをしろと言われるようなものであって、余程会話の場数を踏んだ人でなければ、だいたい上手くいかないものである。「方言喋ってみて!」=「好奇の視線で見られている」+「だいたい上手くいかない」。嫌になったりイライラして当然だと思うのだが、いかがか。

ハイライト

僕は喫煙者だ。最近の世の中は嫌煙の潮流があって少し肩身が狭いが、実際副流煙は非常に健康を害するから仕方ないことだろう。まあとにかく、今回は喫煙の害やらたばこ条例やらの社会的な話がしたくてこの記事を書いている訳ではないので、その辺のことについては触れない。

 

僕の一番頻繁に吸っている銘柄は断トツでハイライトだ。JT日本たばこ産業)の生産する純国産の煙草で、1960年の発売以来今日まで長く愛されている日本を代表する銘柄である。僕は現在、1日だいたい7~10本ほど吸うので、2、3日に1箱くらいのペースで買っている。値段は20本入りの1箱で420円。タール17mg、ニコチン1.4mgで、現在コンビニで売っている煙草の中では重い部類に入ると言えよう。

ハイライトという名前は、hi-liteと綴る。「もっと陽の当たる場所」という意味らしい。発売された1960年は、4年前の1956年には経済白書に「もはや戦後ではない」と記された高度経済成長の真っ只中にあり、そうした世相を反映した名前であることが窺い知れる。

最近よくある煙草の箱のタイプは、いわゆるボックスタイプとか呼ばれるものだ。セブンスターの箱なんかが典型だろう。箱の上部に蓋がついていて、そこをパカッと開く方式だ。何本か吸った後だと、この箱の中にライターを入れておくことが可能なので便利である。しかしハイライトの箱は、今時少し珍しいソフトタイプだ。ボックスタイプのような厚紙ではなく、普通の柔らかい紙で出来ている。このタイプの箱は、上の銀紙の真ん中を横断するような形でオビがついていて、そのオビで分けられているどちらかの銀紙の折り目がついた部分をビリビリ破いて開ける。よく言われるのは、銀紙の折り目が「人」の形(つまり左の紙が上)ではなく、「入」の形(右の紙が上)になっている側を開けるというものだ。元々は水商売の世界に存在していたやり方のようで、「人」を破くのは失礼だからという理由らしい。こじつけかも知れないが縁起がいいので、僕もそれに倣っていつも「入」の側を破くようにしている。
f:id:cabbagetan:20180704021746j:image

手元にあったハイライトを撮影。左が「入」で、右が「人」の形になっているのがお分かりいただけるだろうか


f:id:cabbagetan:20180704022135j:image

そして、この箱のデザイン。まさしくシンプルイズベスト。昭和の香り漂う、何とも渋くて格好いいものではあるまいか。俗にハイライトブルーなどと呼ばれる色彩で、新幹線の色を決めかねていた国鉄の職員が、会議室でハイライトの箱を見てこの色にしたという逸話もある。ちなみに、デザインは『三谷幸喜のありふれた生活』のイラスト等で知られる和田誠である。僕はこの箱のデザインが大好きで、以前絵に描いたこともあるぐらいだ。僕が海に憧れていたというのも、この青色に惹かれた理由かも知れない。このへんの煙草の箱デザインの話については、また今度詳しく書きたいと思っている。

 

と、ここまで箱の話を延々としてきたが、やはり一番の問題は味である。どんなに綺麗な箱の煙草でも、肝心の味がまずければデザインで感じた喜びは雲散霧消だ。以前アメリカンスピリットを買ったとき、箱に描かれたネイティブアメリカンの絵を見て「中々どうしてハイカラな雰囲気でいいじゃないか」なんて思ったが、どうも味の方は、少なくとも僕は好きになれなかった(アメスピが好きな方を否定するつもりは一切ありません。単に僕個人が苦手な味だったというだけです)。煙草の味も人によって色々好き嫌いがあるから、煙草を吸おうかなと考えている方は、まずコンビニで売っているものを幾つか適当に吸ってみるといい。

話を戻す。さてハイライトの味だが、(僕個人としては)コンビニの煙草ではやっぱり一番美味しく感じられて大好きだ。高度経済成長期に最も売れた煙草の名は伊達ではない。

ハイライトに火をつけてゆっくり吸い込む。鼻と口に拡がる独特の芳醇な香りは、ラム酒でつけられているものだ。これが非常にいい味を出している。ふわりと漂う甘味と、仄かな酸味(これがもしガツンと感じられたら吸い込む勢いが強すぎる証なのでもう少しゆっくり吸い込もう)に、自然と頬が綻ぶ。基本いつ吸っても美味いのだが、特にお酒を飲みながら吸うともう堪らない。同じく僕の好きなビールをぐびりと一口、そしてハイライトを吸い込む。至高だ。喫煙者の読者諸兄、ハイライトを是非ともお試しあれ。

 

悪夢

自分の身体から血が抜けていく。だんだんと身体が冷たくなっていくのが感じられる。深い海の底へ底へと沈んでいくような、そんな気持ちがする。どうやら俺は死ぬらしい。そんなことを考えたあたりで死ぬ。そんな夢を見た。

 

 

自分の布団に他の誰かがいる。どういう怨恨か知らないが、俺は包丁を持っていて、その人(暗くて誰だかよく分からない、辛うじて和服の女性だということだけは分かったがそんな人には全く覚えがない)に何度も突き刺す。ねばねばした血が腕や顔へとかかるのがよくわかる。女性は何も言わぬ。ただ死んでいく。そんな夢を見た。

 

 

自宅の天井に何か大きな生き物が張り付いていて、凝然と俺を見ている。何なのかは分からない。それを見ようと思って振り向いた瞬間に死ぬ。そしてまた自宅へと戻っている。何度も振り向いて、何度も死ぬ。そんな夢を見た。

 

 

どこだかはさっぱり分からないが、とにかく俺は超高層ビルの屋上にいる。遥か下には、歩く人々の姿がゴマ粒のようにポツポツと見える。誰かが俺の背中を押す。俺は真っ逆さまに落ちていく。風が身体を切り、ビョウビョウと大きな音がする。当然頭が重いから、脳天を下にして落っこちていく。地面に当たる瞬間に目が覚める。そんな夢を見た。

 

 

眼鏡の中年男性(見覚えはない)にひたすら怒られている。どういう理由なのか全く分からない。とにかく怒られている。「お前はそんなんだから駄目なんだ」と、どこかで聞いたことのあるような言葉を耳にした。目覚まし時計の音が、説教と俺の心に溜まってきた怒りを打ち破った。そんな夢を見た。

 

 

どこまでも歩いている。先は見えぬ。ひたすら一本道を歩いていく。まわりは畑なのだが、何故か時計を栽培していて、生えている時計の針が俺が歩くのと同じようにガッチャガッチャと動く。空は曇っている。そんな夢を見た。

 

 

 自分の夢が分からない。

あの頃

小学生の頃、田舎に住んでいた。近所の森にヒグマやシカが出たり、バスが一日に来る本数が一桁だったり(今調べたら一日上り下りともに7本だった)、庭にキツネが出たりするくらいの田舎である。鉄道は走っていない。コンビニは一番近いところで、坂道を20分くらい上ったところにあった記憶がある。僕は12歳までそこで暮らし、小学校を卒業すると同時に現在実家のある町へと引っ越し、大学入学を機に上京して今に至っている。

田舎の暮らしは、今思うと不便なことも色々あったが、当時はそこそこ楽しかった。学校の休み時間は図書館で読書に耽り、放課後は塾(バスでしばらく行ったところにあった)がない日は昆虫を捕まえて遊んでいた。あの頃は大きなクワガタムシを捕まえることが男子生徒みんなの夢であり目標のようになっていたから、僕も夏の夜になると父に頼んで一緒に公園の白熱灯を見に行っていた。特にミヤマクワガタが人気だったと思う。今でも夏になると、ついつい神社の傍の街灯などを見に行ってしまうのは当時の思い出が誘蛾灯となって僕をおびき寄せているからなのだろうか。

 

小学校の給食で、一番人気なのは揚げパンだった。あれが出る日はおかわりのジャンケンをする生徒の目がとても真剣だった。しかし、僕は揚げパンが苦手だった。砂糖がべたべたしていて、どうにも好きになれなかったのだ。揚げパンを欲しがるクラスメイトと、何か他のおかずをトレード(北海道弁で言うと「ばくりっこ」)してもらって腹を満たすのがいつものことだった。

小中学校は給食制だから、間食ができないのが非常に苦しかった思い出がある。特に中学生の時はキツかった。男子中学生の胃袋なんていうのは底なし沼のようなもので、食べても食べても腹が減る。朝食はいつもおかわりをしていたのだが、4時間目になるといつも腹がグウと鳴ってたいそう恥ずかしかった。高校に入ってからは購買でパンやお握りなんかを買えるようになったし、食事を学校に持ち込むこともできたので随分助かったものだ。

 

運動会の時、毎年のように校庭で竜巻が起こるのには閉口した。原因はいまいち分からないのだが、なぜか毎年昼過ぎになると発生した。弁当が砂利だらけになるし、ビニールシートや傘なんかが飛ばされて裏の田んぼに突っ込み泥だらけになったりする。運動の苦手さと相まって、運動会はいつも大嫌いだった。

当時を振り返ると、かなり小規模な運動会だったなあと思う。生徒の数が少ないので仕方ないが、どの種目もあっという間に終わる。一番時間がかかったのは100メートル走だろうか……。

 

汚い話だが、冬になるとつららをよく食べた。登下校の道にある家の屋根からよくつららが垂れているので、それを折ってボリボリ食べるのだ。いい水分補給だとあの頃は思っていたが、そのうち汚さに気づいてしなくなった。

雪もよく食べたが、これも同様の理由でしなくなっている(酔っ払っていると今でもたまにやってしまうけど)。

 

 近所に、何歳か年上の女の子が住んでいた。僕がまだ小学生だった頃に、彼女は中学校へ入学した。制服を着た彼女は、何故かとても遠いところへ行ってしまったような感じがして、以前のように一緒に遊ぶことに変な気後れを感じてしまった。その後、僕は引っ越し、彼女もどこか別の町へ引っ越し、風の噂で上京したようなことを聞いたが、現在何をしているのか、どこに住んでいるのか、元気にしているのか、今となっては何も分からない。引っ越してから、一度も会ったこともない。あの女の子は、どこへ行ってしまったのだろうか。もう二度と会えないと知っていながら、それが心のどこかに引っ掛かって仕方がない。

 

昔僕が住んでいたあの小さな町は、諸々の理由で今は誰もいなくなってしまったようだ。一度だけ見に行ったが、熊笹の向こうに見える昔の家は朽ち果てていた。草木に蝕まれ、陽の光に照らされ、雪に押し潰され、少しずつ森へと還っていくように思えて、戻らぬ少年の日々に茫漠とした悲しみと儚さを覚えてならなかった。

 

あの頃を思い出すにつけ、薄明の色彩に混濁した少年の日々の、砂子のような小さく静かなきらめきを偲ばずにはいられない。皆さんはどうだろうか。

時間の流れとは

時が流れるというのはどういうことだろうか。我々は日常的に時計やスマートフォンの時刻表示などで時間を見ているし、あらゆる人は時の流れの中に生きている。時間というのは川の流れのように、いつも先へ先へと進んでいて止まることはない。考えるまでもなく当たり前のことである。しかし、僕はいつも思うのだ。時が流れるのは何故なのか。一年一年、一日一日、一秒一秒、時は確実に流れていて、我々は常に好むと好まざるとに関わらず「現在」を次の瞬間には「過去」へと変換され「未来」へと進まされる。当然その間に僕は老いていくし、僕を取り巻くさまざまな事象は変化を遂げるだろうし、世界の様相もどんどん移り変わってゆくだろう。今日はそんなことを少し考えてみることにしたい。

 

時間軸というのは、常に3つの要素によって構成されている。先ほども述べた「過去」「現在」「未来」だ。数学的に言えば(数学が非常に苦手なので誤りがあったらご指摘を賜りたい)、X軸のみが存在していて、Y軸とZ軸はそこにはない。つまり時間というのは1次元的な図の描き方で説明できる。要は1本の線だ。それの片方の端に「現在」があり、もう片方の端にその人が時間という概念の中に生き始めることになった契機、その人の生命誕生の瞬間があると仮定しよう。右端を現在、左端を起点と定義する。時間は起点から常に右へ右へと進み続けており、少なくとも今この瞬間までは進むことが可能でありつづけている。

では「未来」はどこにあるのか?そして、我々は自分が生まれる前にも時間が流れていたことを了解しているし、また死んだあとも恐らく流れ続けるであろうことも了解している。時間の流れというのは、如何にしてこのように我々に了解されているのだろう?

 

未来と時間の速度について

未来は、現在の先にある(とされている)ものだ。つまり先ほどの時間軸を持ち出すと、起点から右へ右へと進み続けている「現在」の先、もっと右に「恐らく存在していて、そして今後いつかそこが『現在』になりうるような点の集まり」が未来と言えるのではないだろうか。

こう考えると、未来というものがいかに不確かなものかがよくわかる。まず来るかどうかが分からない。そして、そもそも来るということは存在していることが前提になっている筈だが、未来の存在を実証しうる証拠は果たしてあるだろうか。こういうことを言うと、「これまで我々の人生には未来があり続けてきたんだからこれからもあるのは当然だ」という反論を受けることは予想できる。しかしだ。過去これまでそうだったからと言って、これから先も必ずそうであるという保証にはなり得ないのではなかろうか。

未来はこれまで「たまたま」連続して我々の人生に「現在」へと姿を変えて現れ続けてきたのであって、その「たまたま」がこれからも続くという保証は、少なくとも僕は寡聞にして知らない(もし未来が確実に存在するという確たる証拠を提示し、未来の存在を証明できうる方がいたら是非意見を賜りたい)。

そもそも、時間が流れるものであるとしたら、そこには確実に一定の「速さ」というものが存在する筈である。しかし、ここで一つ疑問を提示したい。

例えば、Aという人と、Bという人がいたとする。AとBの走る速度が全く同じと仮定すると、AとBが同時に10km/hで同じ方向に走った場合、Aから見たBの速度は(Aの主観から見て)0km/hである。同じ速度で走っているのだから、計測器でもない限りAから見ればBの速度はないものと同じだ。しかし第三者から見た場合、両者はどちらも10km/hで走っている。これは一体どういうことだろうか。Aから見たBの速度と、第三者から見たBの速度には、明らかに矛盾が生じている。しかしA、B、第三者の間にはこの時いずれも全く同じ時間が流れている筈であり、そして同じ時間に同じ速度で走っているにも関わらずその速度認識には違いがある。アインシュタイン特殊相対性理論によると、高速で移動する物体と停止している物体とでは、前者の方が時間の流れが若干遅いらしい。つまり時間の流れは、条件Xと条件Yのもとでは速度がちがってくるのだ。

ここまでは物理法則における速度の話をしてきたが、これを今度は時間に当てはめてみる。例えば、退屈な授業を受けている時や労働をしている時と、友達と楽しく遊んでいる時とでは、同じ2時間でも体感として後者の方が短く感じられるのではないだろうか。文学でもよく「楽しい時間はあっという間に過ぎる」という表現が使われる。ここでも条件Xと条件Yのもとでは、時間(ここでは我々は高速で移動していないので認識にとどまっているが)の速度に差がついている。

 時間の体感認識の差は、「集中」によって生じるというのが僕なりに考えた結論だ。たぶん大方の人もそう思うだろう。物事に集中している時は時間認識は「速く」なるし、逆にしていない時は「遅く」感じられる。物理的側面における違いが「速度」であるならば、認識における違いはその「集中」の「強さ」だ。人間の心理には速度は存在しないのだから。人間の認識とは不思議なもので、時間の流れは一定である筈なのに先刻の物理的な例や心理的な面から見るとそこには細かな違いが発生している。

 

時間の流れの了解とは?

冒頭でも述べた通り、我々は自分が生まれる前も、死んだ後も時間が流れ続けるであろうことを了解している。しかし我々はその現場を見ることはない。ではなぜ、時間がこれまでもこれからもずっと流れ続けることを人間は承認しているのだろう?

 前章では、まず物理的側面から時間と未来について切り込み、それを心理的側面へと適用してみたが、本章では「こころ」の時間認識について迫り、それを深く考えてみることにしたい。なぜなら、時間そのものは物理的に流れるものとしての説明が可能だが、本章で考える時間の流れの了解において了解を「する」のは「人間」であって、人間が時間を認識するのは「こころ」によってだからだ。

 例えば、今朝僕はシャワーを浴びたが、これは僕が生きている間に起きた過去の出来事だ。僕は「今朝僕はシャワーを浴びた」ということを了解している。シャワーを浴びていたその時はそれが「現在」だったが、この記事を書いている今この瞬間においてはもうそれは「過去」の出来事だ。そもそも、この「シャワーを浴びた」という過去の出来事はどこへ行ったのだろう?今この瞬間僕はシャワーを浴びていないが、仮に明日の朝が来たとしたら僕は恐らくシャワーを浴びるだろう。では、今朝の「シャワーを浴びた」という出来事は未来へ行ったのか?というと、これは違うだろう。未来の事象はまだ現段階に於いては不確定であって、過去がそのまま未来へと移動するなどという現象はありえない。

過去の出来事は、全てが「過去」というカテゴリに例外なく分類され、それは時の流れの法則に従い「終わったもの」として今この瞬間我々に認識されている。過去は、冒頭で出した時間軸の左側に存在しているのではなく、もはや「認識」においてのみ我々の心の中にあるのだ。それが証拠に、歴史の教科書でよく何年にこんな出来事があって云々という記述があって、我々はそれがあったことを認識しているが、実際にそれを(例えば関ヶ原の戦いを)見たという人はいないだろう。それを「現在」として認識したことのある人間が既にみな死んでいるからだ。しかし僕はそんな出来事があったということを「こころの中の認識」として知っている。過去は、時間軸のこれまでにあるのではなく、我々の認識の中にのみ存在していると考える。つまり、極端な話、仮に我々が過去を認識しなければ、過去は存在しないし、そもそも人間がみな地球上から死に絶えれば、過去を認識する存在がなくなるわけだから過去はなくなってしまう。

では、「未来」はどうか。僕は間違いなく運がよくてもあと数十年、運が悪ければ次の瞬間にでも死ぬだろうし、それは読者諸賢も変わらない。死というものは、生命に義務付けられている必然の行く末なのだから。しかし、おそらく僕が死んだあとも時間は流れ続けるだろうし、これを読んでいる読者の皆さんが死んだあとも時間は恐らく流れ続けるだろう。だが、これについて明確な根拠を示せと言われると、なかなか難しいのではないだろうか。「過去」についてはそれをこころの中で認識することでその存在を証明できるが、「未来」はそもそも「未だ」「来ていない」と書いて未来と読む通りまだ不確定なものであって、認識ができない。「神はいるのか」という問いと少し似ている。

未来の存在了解については、我々人間はただ「何となく」了解しているにすぎず、来るかどうか分からないので、これを証明せよというのはまさしく悪魔の証明である。存在しているかどうかが不確定なものを何となく承認しているというのは、よく考えてみれば何とも不思議な話だ。この「何となく」を支えるものが、歴史である。「今までそうだったんだから、これからもそうだろう」という頼りない予測のもと、我々は未来の存在を何となく了解しているのだ。

 

おわりに

本記事では、「過去」「現在」「未来」と時間を三つの区分に分けて考えた。途中からこれを書いている現在が過去へと変化していくことを認識し続け不思議な感覚に陥ったが、拙いながらも書き上げることができ嬉しく思う。

これから先の「未来」が、少なくとも僕と僕の知人全てに、たとえ不幸なものでも幸福なものでも、途切れることなく訪れることを願う。過去を認識し続け、避けられない死とそこへ向かうまでに降りかかるであろう様々な理不尽を享受し続けることが、人生というものなのだから。

書評『一房の葡萄』

今回はかの有名な文豪、有島武郎の書いた童話『一房の葡萄』を取り上げる。これは僕が最も好きな小説のうちのひとつで、初めて読んだ小学生の時からいつ読んでも変わらぬ輝きと、独特の、タイトル通り葡萄のような切ない酸っぱさを感じさせる、沢山の方に読んでいただきたい小説だ。著作権が切れて青空文庫にアップロードされているので読んだことのない人はGoogleで検索してぜひ読んでみて欲しい(下記URL参照)。短い童話なので15分もあれば読めると思う。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/211_20472.html

 

 

一房の葡萄 他四篇 (岩波文庫)

一房の葡萄 他四篇 (岩波文庫)

 

 あらすじ

この小説は、有島本人の体験に基づいて書かれたと言われており、横浜英和学校に通っていた少年時代の彼自身がモデルになっているそうだ。

主人公の「ぼく」は引っ込み思案で無口、友達もいない。彼は唯一絵を描くことが好きだった。学校の行き帰りに見える横浜港の風景の美しさを彼はいつも絵にしようとしたが、彼の持っている粗末な絵の具では、あの透き通るような海の藍色と、船の水際近くに塗ってある洋紅色がどうしてもうまく出せなかった。

「ぼく」のクラスメートのジムという男の子が持っている絵の具は舶来の上等品で、とりわけ藍と洋紅は驚くほど美しかった。「ぼく」はそのジムの絵の具がほしくてほしくてたまらなかった。

ある秋の日、「ぼく」は一人教室にいた昼休みの時間、ジムの藍と洋紅色の絵の具を盗んでしまう。しかしすぐにバレて、クラスメートに職員室へ連れていかれ、大好きな美人の女の先生の前で絵の具を盗んだことを告白させられてしまう。涙に暮れる「ぼく」を前に、先生はクラスメートを部屋から帰らせて、「ぼく」に庭の木に実っていた一房の西洋葡萄をくれる。

翌日になって「ぼく」が学校へ行くと、ジムが真っ先に笑顔で飛んできて「ぼく」を女の先生のところへ連れていき、そこで二人は仲直りをするのだ。そして先生は、ジムと「ぼく」にまた一房の葡萄を半分に切り分けてプレゼントしてくれた。

「ぼく」はそれから少しはにかみ屋でなくなり、いい子になった。しかし、大好きだったあの先生はどこへ行ってしまったのだろうか。秋になると葡萄の実は美しい紫の色彩を見せるが、それを受け止めた白い美しい手はどこにも見つからない……。

葡萄が本作品に於いて果たした役割とは

本作のタイトルは『一房の葡萄』である。先生は「ぼく」が盗みを犯したことを知っても叱責せず、ただ一房の葡萄を下さって、そしてジムと仲直りしたあとにもう一度葡萄を二人に下さる。葡萄が本作品に於いて極めて重要なアイテムとなっていることに異論をはさむ余地はないだろう。では、有島はこの作品で、葡萄にどのようなメッセージを込めたのだろうか。

まず、葡萄という果物は秋(8月下旬から10月くらい)が一般的に旬とされている。というわけで、まず一つはこの物語で語られる季節が秋であることを示している。まあこれはさして重要なことではないだろう。では、文学的側面から見て、葡萄が本作に於いて果たした役割とは何か。

この小説は、大人になった「ぼく」が、かつての少年時代の記憶を一人回想するという形を取っている。そして、そこで出てくるのが葡萄なのだ。葡萄は彼にとって、学校での孤独で惨めな日々からの大きな転換点と、そして何より憧れの美しい先生とのかけがえのない思い出の象徴であると言えるのではないだろうか。もう二度と戻らぬ幼き頃の日々。そして二度と会えないであろう先生への忘れがたき追憶。そうした、少年から青年へ、そして大人へと成長していくにつれ懐かしく思え、どうしようもなく胸を締め付けられるような時の流れへの切なさ。そういった、誰しもが経験しうる幼少期の思い出の象徴として用いられたのが、本作での葡萄だったのだ。「ぼく」にとっての、いわば現代で言うところの少年時代のキャッチフレーズのようなものだろうか……。

人生は、時の流れは、常に先へ先へと流れてゆき、数瞬の間も止まることはない。少年の日々も、決して戻ることはない。「ぼく」はその後先生と再会することはなかっただろうし、「ぼく」のその後についても何も語られてはいない。そうした切なさ、大切な人との別れをこれほど見事に描写した小説はなかなかないのではなかろうか。

そして、何よりも僕が良いと思うのは、ここで選ばれた果実が葡萄であったという点だ。これが林檎や蜜柑だったら、これほどの名作にはなっていなかったろう。葡萄という果実の甘酸っぱさ、それが「ぼく」の絵の具を盗んでしまったという罪への罪悪感と、先生との別離という切なさのメタファーになっているのだ。また紫色の色彩も良い。紫という色は、得てしてマイナスなイメージを抱かれがちである。有島はそれを逆手に取り、罪を犯した罪悪感や、少年の日々への追憶、もう二度と会えない先生との思い出、そういったどこか悲しみを感じさせる要素を葡萄の色彩によって際立たせているのだ。

幼き頃の思い出を振り返りたい方、あの頃にしかなかった純粋な悲しみ、思い返して蘇る切なさ、そういったものをもう一度味わいたい方、是非ともこの小説を読んでいただきたい。切に願う。

 

 

教育格差への僻み

以前このブログでも取り上げた通り、俺は北海道の片田舎で生まれ育った。小さい頃はまわりの世界が全てだったし、地元の1学年1クラスしかない小さな小学校に通うことにも、バスにしばらく乗らないと塾へ(塾と言っても東京にあるような上等なやつではない)行けないことにも、あまり疑問を持っていなかった。中学高校と地元の公立を卒業し、大学受験を経て上京して、俺は衝撃を受けた。この国には、中学受験をすること、家から歩いて数分のところに質の高い教育を施してくれる塾があること、附属校からエスカレーター式に大学受験を経ずに(正確には面接試験や内部進学のための考査などがあるらしいが)有名私立大学(典型的なのは早慶MARCHの類だろうか?)へ入学できること、これらが当たり前という世界が存在していたのだ。

それだけではない。北海道では私立高校は公立高校の滑り止め、もしくは私立高校というものは町にないというのが一般的な価値観だが、東京では逆に私立高校が公立高校よりも上なのだ。東京のお金持ちの家庭に生まれた子供は、小さい頃から高いお金を払って質の高い塾へと通い研鑽を重ね、大学附属の中高一貫校に入学するもよし、私立の進学校(御三家とかあるらしいね、よく知らないけど)に入学するもよしという環境を生まれながらにして与えられるのだ。俺は激しく憤り、悔しさと羨望を隠せなかった。俺だって東京に生れていたら、俺だって中学受験で大学の附属校に入学できていたら、俺だって東京の優秀な塾に通うことができていたら……etc。仮定の話をいくらしたって現実は変わらないので仕方がないし、一流の人間は環境に文句など言わず淡々と結果を出すのだろうから、俺が言っているのは所詮は三流の人間が垂れ流す僻みに満ちた唯の恨み言に過ぎない。それは分かっている。分かっているが、しかし言わずにはいられないのだ。

それと同時に、もうひとつ嫌な、最高に性格の悪い自分が浮上してくる。今の大学へ入学してから、前述のような環境に育った人を見るたびに「お前らは東京に生まれて質の高い教育を中高と施されてきた、俺は田舎に生まれお前らに比べると恵まれているとは言えない環境に生きてきた、でも入学した大学は同じだ、俺の方が努力した、俺の方が勝っている」というこれ以上ないほど醜い考えが頭に浮かんでくる。実際は何一つ彼らに勝っている要素などないというのに。いわゆる自己の正当化だ。内在的なコンプレックスを拭い難いがために、自分を仮初でも優位に見立てて心を満足させているのだ。一体、何という醜さだろう。そもそも人を勝ち負けや経歴でしか計れない狭量さがもう人としてどうかしている。

しかし、首都圏に生まれると、私立高校は入試日程が被らなければ幾らでも受けられるし、周囲の意識の高さも段違いだ。俺はそれが羨ましくて仕方がない。

高級な塾に通いながら勉強をサボって遊んでばかりいる子供たちへ。その環境がそんなにどうでもいい、面倒臭いなら、俺にくれ。なぜそれだけ恵まれた環境にありながら呆けたように日々を送っている?俺にその環境を、時間を、お金を、くれ。